そば

Let’s eat soba today!

昨日、「すごい、すごい」と騒いでいたスピードラーニングの「ダッシュボード」の続報です(笑)

教材に同梱されている会報誌「エスプリクラブ」(ESPRIT CLUB)をPDFファイルで読むことができるのは、昨日の記事で紹介したとおり。

ダッシュボードの「MYコンテンツ」の中を見ると「ESPRIT CLUB」のアイコンがあって、クリックすると最近のエスプリクラブを何冊か見ることができます。

しかも同じナンバーが振られたCD模様のアイコンもあって、これをクリックすると、該当号の「エスプリクラブ」に掲載されている英語表現の実際の発音を聞くことができるんですよ。

冊子だと「音」を聞くのは無理だけど、こうしたデジタルな媒体なら音を聞くことも可能になるんですね。

No.41には、年越しそばを海外の人に説明するときに役立つTipsが多数掲載されているので要注目。「その号は実際にもう読んだ」という人も、CD模様のアイコンをチェックしておくのがおすすめですよ。

江戸の人が、おそばを愛した理由

というわけで、現在、見ることができる「エスプリクラブ」(ESPRIT CLUB)のいちばん古い巻はNo.41です。

「英語で伝えたい倖せの和食レシピ」では年越しそばが紹介されているように、年末に発行されたものみたいですね。

で、ちょっと気になったのが、この「英語で伝えたい倖せの和食レシピ」の文字媒体の部分。年越しそばの紹介で、大体こんなことが書かれています。

・そばは弥生時代の遺跡から出土するほど日本人とはなじみの深い食べ物
・そば粉を麺にして食べる習慣は江戸時代に生まれた(それ以前は”そばがき”)
・当時、そばは江戸の人々にとってご飯以外の唯一身近な食べ物だったようだ

「ご飯に飽きれば、うどん、ラーメン、パスタ、パン、その他多彩なものが食べられますが、江戸時代の人たちはそばしかなかったのです。」と紹介されています。

確かに、江戸時代は「そば」ぐらいしかなかったんだけど、実際はもうちょっと切迫したものがあったんじゃないかな?

というのも、江戸時代に多く発生した恐ろしい病気の一つに、「脚気」(かっけ)があったんですよね。多分、紙面には限界があるので、「倖せの和食レシピ」では触れられていないんだと思うのですが。

お医者さんのイメージ

古くは平安時代の貴族階級を中心に広がっていた病気ですが、江戸時代になると白米を食べる習慣が一般にも広まっていったので、武士階級だけでなく、ちょっと裕福な町人にも大流行して、「江戸患い」(えどわずらい)と呼ばれていました。

昔の時代劇を見ていると、けっこうよく出てきた言葉だったんだけど、今はそうでもないですよね。現在とイメージが違い過ぎて理解できないから省略されているのかな?

管理人が小さかった頃は、ご飯と一緒にビタミンを強化した押し麦を入れて炊いていたので、それで余計に印象に残っているのかもしれません。

…って、別に我が家が江戸時代だったわけじゃないですよ(汗)

ともあれ、「銀シャリ」と呼ばれた白米中心の憧れの食生活で、ちょっと偏った食べ方をすると発生する病気だったわけですが、当時の人が知ったらびっくりする話だったでしょうね。

ただ、「おそば」や「玄米」が脚気にいいことは経験的に知られていたようで、お医者さんからおそばを食べるように指導されることも多かったようです。

万延元年(1860年)に、そばの値上げのために江戸市中のそば屋が集まったその数が3000軒を超えていたというのも、こんな食生活事情が影響していたわけですね。

街道筋のお茶屋さんに出ている看板の歴史で見ると、江戸時代初期には関西・関東とも「うどん、そば切り」だったのが、中期になると江戸の看板は「そば切り、うどん」と順番がひっくり返る様子がわかるそうですよ。

※そば切り:そばがきに対して、「おそば」のことを「そば切り」と呼んでいました

このダッシュボードはパソコンだけでなく、モバイルでも一部使えるようです。こちらの記事を参考にしてみてくださいね。

このタグに関する他の記事を読みたい時は、このリンクから一覧で見ることができます