鬼殺隊には、柱と呼ばれる剣士が9名います。日本には、「9」はいい意味と悪い意味があります。
(この記事は、2巻、6巻、7巻、17巻、19巻、22巻、23巻、ファンブック第1弾のネタバレを含みます)
鬼殺隊には、「柱」と呼ばれる9名の剣士がいます。
ちなみに「九」は、発音が「苦(く)」を連想させることから、日本では「四(死)」と同じく避けられることが多い数字ですが、「馬九行久」あるいは「馬九行駆」と書いて、「(万事)うまくいく」という判じ物になると縁起のいい数に変わる、ちょっと不思議な数字でもあります。
中国では「9」は「3」の3倍で、天界、地界、冥界の三つの世界を支配する完全な力を意味するとして、歴代の皇帝も好んで「9」を用いたそう。極数で、これ以上の数はないところから幸運を表す数字とされています。
第6巻 47話に出てくるお館様の説明によると、「鬼殺隊の柱たちは当然抜きん出た才能がある。血を吐くような鍛錬で自らを叩き上げて死線をくぐり、十二鬼月をも倒している」だからこそ、柱は尊敬され優遇されるそうですよ。
でも、柱って、なぜ柱なんでしょう? そして、なぜ9名なんでしょう?
古典に出てくる「柱」
日本や中国の古典では、「柱」は頼りになる人を意味しました。
人に対して「柱」と呼ぶのは、ちょっと珍しいですよね。なので、神様を数えるときの「一柱」、「二柱」をイメージする人も多いみたいです。
ただ、「角川新版 古語辞典」によると、神様のことを一柱、二柱と数えるのは名詞の一種である「数詞」になるようです。
物の数量や物事の順序を表す品詞で、名詞は名詞なんだけど、意味がかなり狭まってしまうんですね。
この辞典では、名詞としての「柱」は「出現頻度が高い、意味用法の分化が著しい基本語・重要語」として扱われていて、意味は大きく分けて2つありました。
・頼りとする人をたとえていう語
謡の「藤戸」には、「杖柱(つえ、はしら)とも頼みつる」という表現が出てくるそう。
古代中国でも似たような使い方をしていたようで、「角川 漢和中辞典」には、「柱石」(ちゅうせき)という言葉が紹介されていました。
「柱やいしずえのように頼みになるもの」「国家を維持するのに最もたいせつなもの。また、その人」という意味で、「漢書 霍光伝」には「将軍為(二)国柱石(一)」という表現があるようです。
文字の意味からすると、戦力の中核をなす剣士を「柱」と表現するのは自然なことだといえそうですね。
第21巻 186話では、縁壱が鬼狩りに呼吸を教える際に、「柱と呼ばれていた剣士たちは優秀で」と出てくることから、呼吸と剣技が融合する前に、すでに柱が存在していたことがわかります。
このとき出てくる呼吸は、第7巻 54話で煉獄さんが言っていたように、「炎、風、水、雷、岩」の5種類。
この他、枝分かれしてできたものとして、胡蝶しのぶの「蟲の呼吸」、宇随天元の「音の呼吸」、甘露寺蜜璃の「恋の呼吸」、時透無一郎の「霞の呼吸」、伊黒小芭内の「蛇の呼吸」、胡蝶カナエの「花の呼吸」(ファンブック第1弾54~78頁)が出てくるので、呼吸が全部でいくつあるのかは不明ですが、けっこう数がありそうです。
では、条件が合えば呼吸の数だけ柱が生まれるのかというとそうではなく、ファンブックによると柱の上限は9名と決まっているとのこと(ファンブック第1弾 87頁)
「鬼滅の刃」物語スタート時には、上限いっぱいの9名の柱がいます。
「9」が表す意味
陰陽道では「9」はデリケートな数字です。「9」は「陽」が極まった状態を意味すると同時に、「陰」の兆しも生まれるとされます。
ファンブックでは、この「9」に関して、「柱の字が九画だから」(ファンブック第1弾 87頁)という説明があるのですが…
いやいや、「9」という数字はちょっとクセモノですよね。
「すべてのものは陰と陽の2元から成り立つ」と考える陰陽五行説で数字を見ると、奇数は「陽」、偶数は「陰」に分けられます。
「9」は「陽」に分類される数字でも最大となる数字で、「陽」が極まった状態を表します。
「陽」が最大になるのは、一見、いいことのように見えますが、一方の勢力が極まると、もう一方の勢力の兆しが生まれ、「陰陽転化」(いんようてんか)といって、陰陽の質的な変化が起こるとされています。
例えば9月9日の重陽の節句(ちょうようのせっく)は、月と日の両方に「9」があるので、「陽」が重なって極まった状態と考えられているのですが、「陰」の兆しも同時に生まれるので、悪いことが起こらないよう邪気を払う意味がありました。
図で表すと、こんな感じ。大きく膨らんだ部分に、反対の勢力を含んだ形が表されています。
この図は東洋医学や道教でも用いられる、「太極図」(たいきょくず)といいます。
9名から始まった柱は、無惨とその配下の上弦の鬼との戦いで数を減らしていって、最終決戦を終えた時点で残ったのは2名。
これは「陰」に分類される数字で、最小の数字になります。
つまり、柱の数だけ見ていくと、陰陽転化を起こしながら、この死闘を戦い抜いていくように見えるんですよね…。
ワニ先生ー、どうして柱は最初9名だったんですか? そして、どうして生き残った柱は2名だったんですかー?(汗)
「陰」から「陽」へ転じて結末へ
“陽”に含まれる禰豆子と、”陰”に含まれる炭治郎は象徴的でした。
ともあれ、「陽」が極まれば「陰」に転じたように、「陰」が極まれば「陽」の兆しが生まれ、「陽」に転じます。
人と鬼の狭間にいる炭治郎が多くの人の手に支えられながら、藤の花に包まれて青空へつながっていく流れは見事でした(第23巻 203話)
鬼がいなくなった後の世界を描く残りの2話は、過去から現在へ。「陽」に転化した後の世界が時を重ねていく様子を感じさせます。
過去と現在をつなぐように描かれているのは、神仏や死者などに備える「手向け花」とも呼ばれる桜です。
桜といえば、田の神様を迎えるため、「春山入り」と称して野山へ出かける風習が東北から九州の各地にあって、このときに桜の咲き具合で稲の出来を占っていたと考えられている花で、山の神様と縁のある花です。
鬼滅の刃に出てくる痣と月の関係を調べたときに出てきた、月信仰と山の神の関係をここでも感じさせますね。
万葉集にも、春の盛りに咲く花として四十六首の歌が収められているのですが、夜のうちに春雨とともに散ってしまうかもしれない儚さもあり、「世の中はどうなるかわからない」という無常を表して「徒名草」(あだなぐさ)と呼ばれていたりします。
短い花の季節を幾度も重ねて長い年月を繋いでいくところは、鬼滅の刃の世界を締めくくるのに相応しい花といえそうです。
ちなみに、桜には「夢見草」(ゆめみぐさ)、「曙草」(あけぼのぐさ)という異名もあって、この点は炭治郎の子孫の炭彦にもぴったりです(笑)(第23巻 204話)
それにしても「柱」の文字、よくぞ九画でしたね。ちょっとびっくり…。
いやいや、「柱」の画数だけじゃなくて、やっぱり「9」の数字には何か意味がありそうですよ。
第17巻 147話では、鱗滝さんが「炭治郎、思えばお前が鬼になった妹を連れて来た時から、何か大きな歯車が回り始めたような気がする」とつぶやいてますし、無残様が描かれている第22巻のカバー表紙を外すと、現れる本体表紙には人間の禰豆子と鬼の禰豆子が向かい合った絵が描かれているんですよね。
しかも「22」と巻数が書かれている下にあるのは副題というんでしょうか、そこには収録されている192話の題名「廻る縁」(めぐるえにし)という文字が配置されています。
それでいうと、第2巻のカバー表紙と本体表紙も意味深な配置になっているし… やっぱりこれ、何かかなり緻密な計算がありますよね(汗)
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