「鬼滅の刃」はジョジョのパクリ?そのヒミツは謎解きにあるかも

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There are lines and scenes in “Demon Slayer” that remind you of “Jojo” and “ONE PIECE”.
「鬼滅の刃」の中に「ジョジョ」や「ONE PIECE」を思わせるセリフや場面があります。

This may imply that there is a hint to solve the mystery.
これは、謎解きのヒントがあることを暗示している可能性があります。

As you follow the hints, you will find that the Entertainment District Arc of “Demon Slayer” incorporates the legend of the vengeful spirits of the Heian period.
ヒントを辿っていくと、「鬼滅の刃」の遊郭編は平安時代の怨霊伝説が織り込まれていることが見えてきます。

(この記事は、「鬼滅の刃」1巻、6巻、8巻、9巻、11巻、15巻、18巻、ファンブック第一弾、第二弾、「ジョジョの奇妙な冒険」1巻、「ONE PIECE」1巻、2巻、「HUNTER×HUNTER」1巻、2巻、5巻のネタバレを含みます)
 

宇髄さんの目の化粧には、一条天皇(第66代)と藤原道長につながるイメージがあります。

この二人が生きた時代には、神鏡、もしくは伊勢神宮に関わる事件があり、重要なキーワードになってきそうです。

宇治につながる「伊勢神宮」

よく探してみると、平等院がある京都・宇治にも「神明神社」(しんめいじんじゃ)という伊勢神宮に関連する神社があるんですよね。

そのそばにある、野鳥の森を挟んだ東側には、藤原氏ゆかりの白川金色院跡(しらかわこんじきいんあと)があります。

ここは藤原頼通の娘・寛子(かんし/ひろこ)ゆかりの寺院で、「白川別所金色院勧進状」(1463年)によると、平等院の奥の院として、康和4年(1102年)に建立されたといいます。

かつては平泉の中尊寺金色堂(岩手県)のお手本になったといわれるほど壮麗な大寺院だったのですが、明治まで残っていた僧坊は廃仏毀釈で廃絶してしまい、現在は朝日山地蔵院に数体の仏像が伝わる他は、惣門、九重石塔が残る程度で、往時の姿はありません。

寛子が後冷泉天皇(第70代)に入内したのは、永承5年(1051年)12月22日のこと。

藤原北家が仕切る摂関政治は道長・頼通の代で絶頂期を迎えるのですが、寛子に子供が生まれなかったことから、藤原氏を外戚としない後三条天皇(第71代)が誕生します。

これをきっかけに、藤原氏が執政をとる摂関政治から上皇が執政をとる院政政治へと変わっていくのです。

つまり白川金色院は、時代の変わり目に生まれた建築物といえそうです。

ジョジョ、ワンピース、ハンターハンターと鬼滅の刃の共通点

ただ、漫画から読み取れるヒントを重ねてみると、少し様子が変わってきます。

ネットでは早くから、「鬼滅の刃」は「ジョジョの奇妙な冒険」や「ONE PIECE」によく似ていると言われていました。

設定やセリフなどで似ているところがあるため、「パクリをしている」とまで言われてしまうようですね。実際にいくつか共通するセリフや場面が出てきます。

「ジョジョ」と似ているところ

例えば「ジョジョ」の場合、人間であることを捨ててしまったディオが、警官たちを襲う場面で「UREEYYY(ウリリイイイイイイ)」といった奇声をあげたり、割れた窓から侵入してきたりします。(PERT1 ディオとの青春 その1)

「鬼滅の刃」でも15巻 129話で、伊之助が窓から飛び込んできて「ウリィィィィィ!!」と叫んでましたよね。

「ONE PIECE」と似ているところ

「ONE PIECE」では、1巻 第1話に出てくるルフィの技と、18巻 第159話に出てくる伊之助の未完成の新技がよく似ています。

また、2巻に登場するバギー船長が口癖のように「ハデ」という言葉を使うところは(第9話)、派手を信条とする宇髄さんとよく似ています。(6巻 第45話)

「HUNTER×HUNTER」と似ているところ

「HUNTER×HUNTER」では、藤襲山の最終選別のようなハンター試験が行われていて(1巻 No.001~5巻 No.038)、主人公のゴンは炭治郎のような常人離れの嗅覚を発揮してテスト生の集団に戻ったりしています(2巻 No.010)。

これはリスペクトやオマージュという見方もありますが、もしかすると、もう少し意味を持たせているのかもしれません。

例えばその漫画を見れば、「鬼滅の刃」のヒントがみつかるという「仕掛け」です。

「ONE PIECE」が教えてくれる「鬼滅の刃」のヒント

「ONE PIECE」(1巻 第5話)には、産屋敷家の五つ子の一人、「くいな」と同じ名前の女の子が登場します。剣道場「一心道場」の師範・コウシロウの一人娘で、ゾロはこの道場で世界一の剣豪になるべく修行をしていました。

当時は二刀流ですが、主人公のルフィと出会ったとき、ゾロは三刀流の使い手として登場します。(1巻 第5話)

三刀流といえば、歌舞伎にも三本の刀を差しているキャラクターがいますよね。

 
大館左馬五郎
 

お芝居によって名前が変わることがありますが、「押戻」(おしもどし)という場面に登場する大館左馬五郎(おおだてさまごろう)です。

登場するのは「鳴神」(なるかみ)、「双面」(ふたおもて)、「道成寺」といった、怨霊が現れる演目です。舞台から花道へ向かおうとする怨霊や悪鬼の前に立ちはだかり、舞台の奥へ押し戻して退散させるのが役目です。

ゾロの剣技にも「鬼斬り」という技が出てくるので、ゾロというキャラクターそのものが大館左馬五郎を意識しているのかもしれませんね。(2巻 第17話)

煉獄さんの趣味の一つが歌舞伎鑑賞(ファンブック第一弾 50頁)だったことを考えると、ヒントの一つは「怨霊や悪鬼に関係するものである」ということが言えそうです。

そう考えると、藤原氏の中にも該当する人物がいるのです。

白川金色院を建立したのは頼通の娘の「寛子」ですが、道長の三女にも同じ名前の「寛子」という娘がいて、怨霊に取り殺されたという伝説があるのです。

怨霊となったのは、藤原兼通(ふじわらのかねみち)の長男・顕光(あきみつ)と、その娘・延子(えんし/のぶこ)です。

至愚と呼ばれた男

伝説では、顕光はとても無能な人物だったと伝えられています。

名門の生まれで左大臣でもあったので、朝廷の諸行事を主導する「上卿」(しょうけい)という役目を務めるのですが、手順や作法を誤ることが多く、他の貴族たちはこれを馬鹿にして「至愚」(しぐ)(愚か者の極み)と嘲笑し、道長も「至愚之又至愚也」(底抜けの愚か者)と罵倒したといいます。

「この世にある罵詈雑言はすべて俺のために作られたようだった」(11巻 第96話)と言う伎夫太郎と、どこか重なるところがありそうですね。

 
顕光と朝光の系図
 

顕光は、藤原兼通の長男です。

父親の兼通は、藤原師輔(ふじわらのもろすけ)、藤原伊尹(ふじわらのこれただ/これまさ)に続いて摂関政治を支えた実力者でした。

ですが後継者として期待されていたのは異母弟の朝光(あさみつ)で、顕光が権中納言になった貞元2年(977年)には、朝光は父親の引き立てで従二位・権大納言兼左近衛大将に昇進しています。

でも、政治の主導権を顕光・朝光兄弟が握ることはありませんでした。

貞元2年(977年)に兼通が病で薨去すると、同母弟・兼家が実権を握り、兼家の長男・道隆へと引き継がれていったからです。

 
兼通から兼家へ
 

もちろん、朝光も手をこまねいていたわけではなく、娘・姚子(ちょうし)を花山天皇の後宮に入れて対策を図っていました(984年)。ただ、二人は相性が悪かったようで、はじめは寵愛されるのですが、すぐに寵を失ってしまい、最終的に別居状態になってしまいます。

結局、後宮対策も官位も遅れを取った朝光は、病を理由に左近衛大将を辞任(989年)。師尹(もろただ)の次男・藤原済時(ふじわらのなりとき)とともに、道隆を補佐するようになります。

この三人はプライベートでも、酒を通じて親しく交流する仲だったといいます。

ある意味、平和で安定した時代が到来したのですが、長徳元年(995年)3月~5月に疱瘡(ほうそう)(天然痘)が流行して事態が急変します。

政治に混乱をきたすほど、大勢の貴族が亡くなってしまったのです。

 

長徳元年(995年)の公卿一覧 6月19日の除目
官 職 官 位 氏 名 官 職 官 位 氏 名
関 白 正二位 藤原道隆 関白 欠員 欠員
左大臣 正二位 源 重信 左大臣 欠員 欠員
右大臣 正二位 藤原道兼 右大臣 内覧 藤原道長
内大臣 正三位 藤原伊周 内大臣 正三位 藤原伊周
大納言 正二位 藤原朝光 大納言 従二位 藤原顕光
大納言 正二位 藤原済時 大納言 正三位 藤原公季
権大納言 従二位 藤原道長 権大納言 欠員 欠員
権大納言 正三位 藤原道頼 権大納言 欠員 欠員
中納言 従二位 藤原顕光 中納言 正三位 源時中
中納言 従二位 源 保光 中納言 正三位 藤原懐忠
中納言 正三位 藤原公季 中納言 従三位 藤原隆家
権中納言 正三位 源 伊陟 権中納言 欠員 欠員
権中納言 正三位 源 時中 権中納言 欠員 欠員
権中納言 正三位 藤原懐忠 権中納言 欠員 欠員

参考 『栄花物語』における藤原道綱像 ─ その叙述の特色 ─ 川田康幸 | 信州豊南短期大学リポジトリ
 

上記の表で、赤字で書いた名前は薨去した人達です。

中関白家(なかのかんぱくけ)の勢力では、伊周を残して、道隆、朝光、済時は3人とも薨去。伊周も弟・隆家とともに翌年(996年)1月に発生した花山法皇奉射事件で配流となり、同年7月の除目では道長が左大臣、顕光が右大臣となります。

顕光に重なる妓夫太郎

流行り病で自分より上位の人間がいなくなり、ところてん式に出世したとはいえ、道長の体制下では、顕光はずっと右大臣を務めていました。後一条天皇が即位(1016年)して、道長が摂政になると、顕光は左大臣に昇進します。

顕光は本当に至愚だったのでしょうか?

「至愚」の根拠となっている一つは、藤原実資(ふじわらのさねすけ)の日記「小右記」(平安中期)です。至愚のことが書かれている有名な部分は、1016年1月~1017年11月ごろに該当します。

その前後の出来事を見てみると、三条天皇から後一条天皇への譲位があり、敦明親王が皇太子に立っています。

敦明親王は寛弘3年(1006年)に顕光の娘・延子を北の方に迎えていて、二男一女をもうけていました。

「栄花物語」にも「きよげにようおはし、御心様などもあらまほしう、何事も目安くおはしましければ」(美しい容姿に気だてもよく、万事、感じよくおいでになる)と描かれる延子は顕光にとって希望の光だったようです。

「お前は俺の自慢だったなあ」という、人間だった頃の妓夫太郎と堕姫の関係にちょっと似てますよね。(11巻 第96話、ファンブック第二弾 159頁)

顕光はこのとき70歳を超える高齢でしたが、延子所生の親王たちが皇位を継げば、顕光も天皇の外祖父になることができます。

ただ、これは道長と敵対することを意味します。

この事態を動かしたのは、敦明親王でした。寛仁元年(1017年)8月に、皇太子を辞退してしまうのです。三条上皇が崩御してわずか3カ月後のことでした。

「大鏡」(平安後期)には、醍醐天皇(第60代)の時代から代々東宮に譲られてきた「壺切御剣」(つぼきりのみつるぎ/つぼきりのぎょけん)が道長の圧力で引き継がれなかったり、東宮御所に参上する人もほとんどいなくなって孤立する敦明親王の様子が描かれています。

皇太子を辞退した敦明親王は、道長の計らいで「小一条院」の院号が贈られて、道長の娘・寛子を妃として結婚することになります。

捨てられる形になってしまった延子は哀しみに沈んで伏しがちに過ごし、寛仁3年(1019年)4月10日に急死してしまうのでした。

「栄花物語」によると、心労で体調を崩し、御風ではないかと湯茹でしたところ、口や鼻から血を流して、そのまま息絶えてしまったといいます。

顕光は、「七十余になりぬる身を召せ。若う盛なる人の行く末遠きをば、返したべ」(70を超えてしまった命をお召しください。年の若い盛りでいる人の長い余命をお返しください)と、声を張り上げて泣き叫んだといいます。

11巻 第96話で、堕姫を抱えて泣き叫んでいた伎夫太郎と重なるところがあります

その後、延子所生の子供たちに心を残しながら、治安元年(1021年)に顕光も薨去します。

亡くなったのは旧暦の5月25日。新暦だと7月7日に当たるようです。

9巻のカバー折り返しに描かれている笹を七夕と見ると、季節が重なってきそうです

そして病がちになった寛子が亡くなったのは、顕光が亡くなった4年後の万寿2年(1025年)7月9日のこと。

「栄花物語」には、臨終の場に顕光・延子親子の怨霊が現れ、「しえたりしえたり(やりおおせた、やりおおせた)」、「今ぞ胸あく(今こそ心が晴れた)」と騒ぎ合う様子が描かれています。

この他に、東宮妃・嬉子(きし/よしこ)の出産後の急死や、三条天皇の中宮・妍子(けんし/きよこ)の病死にも顕光・延子の怨霊の噂があり、当時の人々は顕光のことを「悪霊左府」(あくりょうさふ)と呼んで恐れたといいます。

 
参考 「栄花物語」 二十五巻 「みねの月」
参考 「小右記」 長和5年正月25日条、長和5年正月27日条、寛仁元年11月18日条

湯茹で(ゆゆで)
治療目的でお風呂に入って身体を温めること。

平安時代は病気平癒も陰陽師が担当していたイメージがありますが、御風(神経系統の疾患と考えられている病気)など普通の病気は、医師(くすし)と呼ばれる医者が治療を行っていました。湯茹(ゆゆで)もその一つ。

修験者の加持や陰陽師の占いで、病気の原因が神の祟りだとわかると、呪術を行う陰陽師の出番になります。

 

顕光の前に現れたもの

延子が亡くなって、顕光は葬儀の費用を調達するため受領(ずりょう)に徴収を命じるのですが、思うように集まらない様子が「栄花物語」に出てきます。

なぜかというと、延子の亡くなる直前の3月に、病気がちだった道長が出家して、屋敷の隣に九体阿弥陀堂の建立を発願していたから。

受領たちにとって、ここで顔を売っておけば出世のチャンス。道長への協力が最優先だったのです。

このお堂は翌年には完成するのですが、さらに諸国の受領たちの奉仕は続き、最終的に東西2町、南北3町に及ぶ大伽藍を形成します。

後の平等院のモデルにもなったといわれる法成寺(ほうしょうじ)です。

当時造営された九体阿弥陀堂の中でも最大規模を誇るその威容は、まさに道長と顕光の権力の差でした。顕光の目には、どんなふうに映っていたでしょう。

一条天皇の妃・定子が初めて懐妊、出産したとき(997年)、顕光は内大臣の藤原公季(ふじわらのきんすけ)の娘とともに延子の姉・元子を入内させていました。(996年)

これは道長のすすめで実現したことで、定子一人が優位に立たないよう協力していたわけです。このときまでは、道長との関係は曲がりなりにも良好だったことになります。

敦明親王の一件で、決定的に敵対することになった道長と顕光ですが、当時の二人の関係を窺わせる興味深い事件が「宇治拾遺物語」(鎌倉時代前期)に描かれています。「第一八四話 御堂関白の御犬 、晴明等奇特の事」です。

このころ道長は白い犬を可愛がっていて、法成寺の建設現場にも毎日のようにお供に連れて出掛けていました。

そんなある日、いつものように門を通ろうとすると、犬がしきりに吠えまわって中に入れようとしないのです。かまわず車から降りて入ろうとすると、今度は衣の裾をくわえて引き止めます。

きっと何かわけがあるのだろうと、安倍晴明を呼んで占わせると、土器(かわらけ)を二つ合わせたものを黄色の紙縒り(かみより)で十字に絡げたものが、五尺ばかり(1.5mほど)の土中に埋められているのが見つかりました。中には何もなく、土器の底に朱砂(しゅしゃ、真っ赤な染料)で一文字だけ書かれているのでした。

清明が言うには、この呪物の上を道長が通っていたら、呪いがかけられていたというのです。

この呪術をかけた者が、能や歌舞伎では蘆屋道満(あしやどうまん)という名前で登場する人物、道摩法師(どうまほうし)です。「宇治拾遺物語」ではこの表記で登場します。

晴明に見破られて捕縛された道摩法師は、今回の件は顕光の依頼を受けて企てたことだと白状したので、道摩の罪ではないとして、本来は配流となるところを故郷の播磨に追放されたといいます。

「童磨」と「道摩」、表記は違いますが同じ読み。妓夫太郎たちの前に現れた童磨の姿と重なります。(11巻 96話)

道摩法師の伝説は、この後、佐用町の道満・晴明の最終決戦の伝説へとつながっていきます。無限列車のイメージがある、姫路の射楯兵主神社にもつながっていく伝説です。

参考 『宇治拾遺物語』と政治 浅見和彦 | J/STAGE
参考 『小右記』にみる藤原実資の文字情報利用 ─身分の変化にもとづく時系列的把握の試み─ | お茶の水女子大学 教育・研究成果コレクション TeaPot

「ジョジョ」が教えてくれる「鬼滅の刃」のヒント

「鬼滅の刃」では遊郭編だけでも、「小右記」、「大鏡」、「栄花物語」、「宇治拾遺物語」などに伝えられる場面が巧みに織り込まれているようです。

興味深いのは、「鬼滅の刃」が似ているという「ジョジョの奇妙な冒険」1巻には、「レ・ミゼラブル」が織り込まれているところです。

 

レ・ミゼラブル ジョジョの奇妙な冒険
テナルディエは戦場で戦死者から金品を盗むこそ泥。亡くなったと思った人物(ポンメルシー大佐)から金目の物を盗む。 ブランドーは馬車の事故で亡くなったと思った人物(ジョースター氏)から金目の物を盗む。
テナルディエを命の恩人と勘違いしたポンメルシー大佐から大金をもらい、ワーテルロー亭を開く。 ブランドーを命の恩人と勘違いしたジョースター氏から大金をもらい、酒場を始める。
偶然ワーテルロー亭に辿り着いたファンティーヌから言葉巧みにコゼットを預かり、養育費と称して際限なくお金をせびり取ってファンティーヌを破滅へ追いやる。 ブランドーの企みで息子のディオがジョースター家に養子として引き取られ、命の恩人の息子として惜しみのない援助を受けつつ、財産の乗っ取りを図る。
コゼットはテナルディエ夫婦から虐待を受け、テナルディエの子どもたちからはひどいいじめを受けて育つ。 ディオが引き取られてから、ジョジョの生活は辛いものに変わる。
◆ジョジョからすべてのものを取り上げ、支配するためディオは巧妙ないじめを繰り返す。
◆完璧主義のディオを引き取ったことをきっかけに、ジョースター氏はジョジョを甘やかして育ててしまったと恥じ、ジョースター家の跡取りとしてジョジョにきつく当たるようになる。
銀の食器を盗んだ罪で捕まったジャン・ヴァルジャンに、ミュリエル司教は「食器は自分があげたものだ」と証言する。 指輪を盗んだ罪で捕まったブランドーに、ジョースター氏は「指輪は自分があげたものだ」と証言する。

 

ちょっと手法が似てますよね。

そして「ジョジョ」は、ジョースター家の数奇な運命と因縁を中心に描く漫画です。第1部から第8部まで主人公が代替わりしていくのも特徴です。

「伊勢物語」にまつわる人々

こうしたことを参考に見ていくと、妓夫太郎に重なる藤原顕光には、母方の家系に興味深い人物がいることに気が付きます。藤原高子(ふじわらのたかいこ)です。

「伊勢物語」で昔男に盗み出され、夜露が光るのを見て「しらたまか 何ぞ」(あれは真珠か何か?)と聞いたという、あの高子です。

高子は清和天皇に入内して女御となり、陽成天皇を生んでいます。顕光の母は陽成天皇の第三皇子・元平親王の娘です。

 
在原業平と高子

これは、二条の后のいとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐたまへりけるを、かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひて出でたりけるを、御兄人(おほんせうと)堀河の大臣(ほりかはのおとど)、太郎国経(たらうくにつね)の大納言、まだ下らう(げらふ)にて内(うち)へまいりたまふに、いみじう泣く人あるを聞きつけて、とゞめてとりかへしたまうてけり。

これは、二条の后が、従姉妹である女御の御所に出仕するという形でおられた時に、容姿がとても美しくいらっしゃったので、(男が)盗んで背負って出てきたのを、御兄の堀川の大臣と長男の国経の大納言(の御二人)が、まだ官位が低い頃でしたが宮中に参内されておられて、甚だしく泣く人がいるのを聞きつけて、引き止めて取り返しなさったのでした。

 

この中に出てくる「堀川の大臣」が、高子のお兄さんの藤原基経(ふじわらのもとつね)です。顕光から見ると4代前の人物になります。

「伊勢物語」のこの場面のために、陽成天皇も実は在原業平の子どもだったのではないかという噂があったようです。敦康親王(あつやすしんのう)と同じように、顕光もまた在原業平の伝説に関わる人物といえそうですね。

そう考えると、8巻 第70話で、宇髄さんがアオイちゃんたちを抱えて攫おうとしていたのは、やはり重要なヒントになっていたといえそうです。

数奇な運命と因縁に翻弄される人々

 
数奇な運命と因縁
 

この他にも因縁の人々がいます。

基経の子・忠平は、早世した兄・時平の行った国政改革を引き継いで、「延喜の治」(えんぎのち)と呼ばれる政治改革を行った人物ですが、一時、平将門が家人として仕えたことがあり、将門と同時期に乱を起こした藤原純友は遠戚にあたります。

将門と純友の乱を鎮定するために始まったという、姫路の射楯兵主神社のお祭りにつながっていきそうですね。射楯兵主神社の臨時祭「三ツ山大祭」には、無限列車のイメージに重なる「小袖山」と呼ばれる造り山が設けられていました。

そして忠平の兄・時平は宇多天皇の時代の左大臣で、菅原道真を大宰権帥(だざいごんのそち)に左遷したことで有名な人物。日本三大怨霊の一人、菅原道真の伝説に関わっています。

菅原道真公を祀る亀戸天神社の神紋は、宇随さんの目の化粧によく似た形をしていました。時平は宇髄さんにつながっていきそうです。

「鬼滅の刃」も「ジョジョ」と同じように、数奇な運命と因縁に翻弄される人々の物語が重ねられているようですね。

「HUNTER×HUNTER」が教えてくれる「鬼滅の刃」のヒント

そして忠平の次男・師輔も、怨霊伝説に関わる人物です。

村上天皇(第62代)の後宮に娘・安子(あんし/やすこ)を入内させ、憲平親王(のりひらしんのう、後の第63代 冷泉天皇)、守平親王(もりひらしんのう、後の第64代 円融天皇)、そして為平親王(ためひらしんのう)と三人の親王が生まれていました。

第一皇子には藤原元方(ふじわらのもとかた)の娘・祐姫(すけひめ)が生んだ広平親王(ひろひらしんのう)がいたのですが、祐姫は更衣で安子は女御。母親の身分が高かったことと、権勢は師輔にあったことから、生後わずか3カ月で第二皇子の憲平親王が皇太子に立てられました。

第一皇子でありながら、広平親王の皇位継承の道が絶たれてしまったことに絶望した元方は、失意のうちに病を得て薨去してしまいます(963年)。

「大鏡」には、広平親王が「儲けの君(皇太子予定者)にておはす頃」として、こんな話が紹介されています。

 
参考 「疑ひなき儲けの君」考 吉海直人 | 國學院大學図書館 K-aiser/OPAC

 

庚申待ちの行事で、村上天皇の御前に大勢の人々がお仕えしていたときのこと、九条殿(師輔)が攤(だ)を打つために用意されていたサイコロを持って、「さて、今宵行う攤を、今打ってさしあげよう」と言いました。

そのまま、「(安子の)このご懐妊中の御子が、もし男子でいらっしゃるなら、調六(でうろく、六のぞろ目)出てこい」と言ってサイコロを振ったところ、たった一度で六の目が揃って出たため、人びとは目を見合わせて感心し、褒め立てました。

九条殿自身も「すごいことだ」と思いましたが、民部卿(元方)は険悪な表情となり、顔色も真っ青になったのでした。

 

「栄花物語」や「大鏡」によると、元方はその死後、怨霊となって、師輔の身内や冷泉天皇、さらにはその子孫にも祟ったといいます。

射楯兵主神社のお祭りにつながる「庚申待ち」の行事

師輔と元方の伝説には、「鬼滅の刃」でも繰り返し描かれる「六」が関わっているんですね。

サイコロの「六」の目もそうですが、「庚申待ち」は60日に一度巡ってくる行事です。

庚申(こうしん)というのは、十干十二支の一つ「庚申」(かのえさる)のこと。道教では人の体の中には三尸(さんし)という三匹の虫がいて、庚申の日に体を抜け出して天帝にその人の行状を伝えに行くと考えられていました。

悪事や悪心の報告があると、そのたびに寿命が減らされるため、この日は三尸が体を抜け出さないよう一晩中眠らずに過ごす「庚申待ち」という行事がありました。

このとき時間つぶしのために、攤、管絃、和歌、貝合せ、そして囲碁や双六を使った碁手(ごて、賭け事の景品)などを楽しんでいたようです。

善逸の趣味が双六ということにつながりそうですね。(ファンブック第一弾 38頁)

これがやがて庶民に広がり、3年18回の勤行を続けたことを記念して、集落の街道筋や通りの分岐点などに庚申塔(こうしんとう)を建立するようになります。

申は猿にたとえられるため、庚申塔には見ざる言わざる聞かざるの「三猿」を彫ったり、庚申の祭神として「猿田彦神」や「青面金剛神」を彫っているものもあります。

ファンブック第二弾の「柱相関言行録」で無一郎から見た宇髄さんの印象は「猿みたい」でしたが、こちらも三猿や猿田彦神につながっていきそうです。(ファンブック第二弾 113頁)

山へ向かう鬼退治

この元方の孫に、ちょっと興味深い人物がいます。藤原保昌(ふじわらのやすまさ)です。

貴族でありながら武勇に優れた人で、源頼信(みなもとのよりのぶ)、平維衡(たいらのこれひら)、平致頼(たいらのむねより)と共に四天王に数えられ、大江山の鬼退治では源頼光とともに鬼退治に向かっています。

そう考えると、「HUNTER×HUNTER」にも興味深い場面が出てきます。

暗殺一家・ゾルディック家の守衛室に、煉獄さんの羽織や炭治郎たちの痣によく似た模様の灰皿が置いてあるのです。(5巻 No.039)

この回では、ハンター試験を放棄して姿を消したキルアを追って、主人公のゴンたちはキルアの一族が住むククルーマウンテンにやって来ます。

その様子が、まるで大江山の鬼退治なのです。

ゴンたちは山の入口までバスに乗って行くのですが、バスガイドさんの案内があります。

大江山の鬼退治でも、頼光一行は酒天童子にとらわれて洗濯をさせられている姫君(もしくは老女)と出会い、彼女の案内で鬼の住む巖屋にたどり着きます。

バスガイドさんと姫君の違いはありますが、よく似た展開ですよね。

「試しの門」の隙間から覗く番犬・ミケの手は鬼の手のように見えるし、クッションを沢山敷いた大きな椅子に座るシルバは、鬼の頭領・酒呑童子の雰囲気があります。

「HUNTER×HUNTER」から読み取れるヒントは、桃太郎のように海を目指す鬼退治ではなく、大江山のように山を目指す鬼退治に鍵があるといえそうです。

まとめ

ファンブック 第二弾の「鬼殺隊マル秘文書 柱相関言行録」に出てくる無一郎の煉獄さん評は「梟みたい」でした(113頁)

フクロウを神使とする射楯兵主神社のお祭りを辿っていくと大江山の鬼退治につながっていくのですが、漫画のヒントから辿っていっても大江山の鬼退治につながるようです。

「鬼滅の刃」12巻 99話には、「時代が変わろうとも、そこに至るまでの道のりが違おうとも、必ず同じ場所に行きつく」というセリフが出てきますが、これは「鬼滅の刃」の構造そのものにも言えることなのかもしれませんね。

漫画には他にもヒントがあるようなので、詳しい人は探してみると楽しい発見があるかもしれませんよ。

当ブログでは、在原業平を手掛かりに考察している記事が他にもあるので、よかったらこちらも覗いてみてくださいね。

 

 

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