煉獄さんが無限列車に乗車することは決まっていた? ミミズクが教えてくれる姫路の奇祭

三ツ山大祭

Himeji’s ItateHyouzu Shrine has a festival that takes place once every 20 years.
姫路の射楯兵主神社は、20年に一度行われるお祭りがあります。

The three “Tsukuriyama” that resemble a mountain are for inviting the gods. Each has a story.
山に似せた3つの「造り山」は神々を招待するためのものです。それぞれに物語があります。

There seems to be a hint of Demon Slayer hidden in this story.
この物語には、「鬼滅の刃」のヒントが隠れていそうです。

(この記事は、第1巻、第2巻、第5巻、第16巻、第19巻、第22巻、第23巻、アニメ版26話のネタバレを含みます)

一つ前の記事では、疱瘡を介した煉獄さんとミミズクの関係を見てきましたが、この記事では神使としてのミミズクに注目して見ていこうと思います。

調べてみると、「鬼滅の刃」の重要なヒントが隠れていそうですよ。

ミミズクの神社に伝わる奇祭

ミミズクを神使とする神社に、姫路にある射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)があります。

この神社に祀られているのは、射楯大神(いたてのおおかみ)と兵主大神(ひょうずのおおかみ)の二柱の神様。さらに播磨国大小明神百七十四座が祀られていることから「播磨国総社」(はりまのくにそうしゃ)と称しています。

射楯大神は「日本書紀」に出てくる五十猛命(イソタケルノミコト)のこと、そして「古事記」では大屋毘古神(オホヤビコ)のことと言われています。

五十猛命は素戔嗚命(スサノオノミコト)の御子神で、日本中に木を植えてまわった神様なので「木の神様」と言われています。大屋毘古神は伊邪那岐、伊邪那美の神生みによって生まれた神様で、八十神の迫害から逃れるため、大国主命(オオクニヌシノミコト)に根の国へ逃げるようアドバイスしてくれた神様です。

兵主大神は記紀(日本書紀、古事記)には出てきませんが、記紀に出てくる八千矛神(ヤチホコノカミ)のことと解釈されていて、大国主命と同一神と言われています。「日本書紀」では大己貴神(オオナムチノミコト)、古事記では大穴牟遅神(オオナムチノミコト)として知られている神様です。

大国主命や大穴牟遅神は、善逸や宇髄さんとイメージが重なる神様でしたよね。

元々は姫路城のそばに鎮座していた神社ですが、秀吉の姫路城大築城の際に、現在の場所に移転遷座しています。

参考 射楯兵主神社 | 播磨国総社 射楯兵主神社

この神社には20年に一度行われる臨時祭「三ツ山大祭」と、60年に一度行われる「一ツ山大祭」があります。どちらも天神地祇(てんしんちぎさい)として行われるお祭りです。

天神地祇
天地のすべての神々を指す。天つ神(高天原から降臨した神々)と、国つ神(この国に生まれた神、天孫降臨以前にこの国に存在していた神や豪族など)のこと。

お祭りの起源は、欽明天皇25年(564年)6月11日に、祭神の兵主大神を迎えたと伝えられているためで、この日は「丁卯の日」(ていぼうのひ)だったため、およそ60年に一度巡ってくる6月11日の丁卯の日に「一ツ山大祭」が行われていました。

三ツ山大祭は、平将門の乱(935年)と藤原純友の乱(939年)を鎮定するために、天慶2年(939年)に斎行された臨時祭が始まりです。どちらも武士の起こした反乱で、当時の朝廷の権力を揺るがした大事件ですね。

三ツ山大祭が始まったころは不定期の斎行だったようですが、播磨国守護職だった赤松晴政により、天文2年(1533年)から20年に一度の式年祭と定められます。

「三ツ山」の名前のとおり、神門の外に3基の造り山が築かれ、頂上には神様を迎えるための山上殿(さんじょうでん)が設けられます。「二色山」には播磨国の大小明神、「五色山」には九所御霊大神(くしょごりょうおおかみ)、「小袖山」には天神地祇を迎えるとされています。

興味深いのは、この造り山を飾る造り人形のモデルとなっている物語です。こんな感じ。

・小袖山(こそでやま) … 俵藤太の百足退治(三上山)
・二色山(にしきやま) … 仁田四郎忠常の富士猪退治(富士山)
・五色山(ごしきやま) … 源頼光の大江山鬼退治(大江山)

小袖山が教えてくれる無限列車のイメージ

小袖山

たくさんの小袖が覆う造り山に、ぐるりと巻きつく大百足。この光景、大勢の人を乗せて走る無限列車の姿に重なって見えてきませんか?

この小袖は厄災と穢れの象徴で、京都の祇園会(祇園祭)と共通していると考えられるそうです。

参考 第46回:節目としての三つ山大祭 | 兵庫歴史ステーション 学芸員コラム れきはく講座

小袖山を飾るのは、三上山の大百足とそれを退治する俵藤太(たわらのとうた)こと藤原秀郷(ふじわらのひでさと)です。

常世国を築いて自らも新皇を自称する平将門の討伐を果たした武功により、武門の最高名誉職とされた鎮守府将軍となって軍事的な支配権を確立した武士の祖とされています。

「俵藤太の百足退治」の詳細は、御伽草子の「俵藤太物語」に詳しく描かれていますよ。ざっくりまとめるとこんな感じ。

朱雀院((延長8年(930年)~天慶8年(945年)))の時代のこと、近江国にある勢多の橋に長さが二十丈(約60m)にもなる大蛇が現れて人々を恐れさせるということがありました。

誰も橋を渡れないでいるところを、京の都から帰ってきた若者が通りかかり、恐れる様子もなく大蛇の背を踏みつけて橋を渡っていってしまいます。この人が藤原秀郷です。

その夜、秀郷が東海道のとある宿に泊まっていると、美しい娘に姿を変えた大蛇が現れ、自分は琵琶湖にすむ龍神の一族の者で、秀郷の勇気を見込んで一族を苦しめる三上山の百足を退治してほしいと頼むのでした。

秀郷は先祖伝来の太刀を腰に差し、五人張り(ごにんばり)重藤の大弓(しげとうのおおゆみ)に関弦(せきげん)を掛け、十五束三伏(じゅうごそくみつぶせ)もある三年竹に鏃の根本が篦(の)の半分を超える大矢を三筋、脇に挟んで勢多へ向かいました。

琵琶湖の水際で待ち構えていると、三上山に稲光が何度も走り、風雨が激しくなる中を比良の高嶺よりも高く焚き上げた2,000~3,000あまりの松明のようなものを伴って、三上山が動くがごとく揺れ動きながら迫ってくるものがありました。

「百千万の雷もかくやあらむ」というほどの轟音が谷を轟かせる様子にも秀郷は驚くことなく、化け物が近づくのを待って眉間の真ん中を狙って矢を放ちます。

一の矢、二の矢は跳ね返されてしまうのですが、最後の三の矢を放つとき、鏃につばを吐きかけて「南無八幡大菩薩」と祈りながら矢を放ったところ、松明のような明かりが一度にパッと消え、百千万の雷のごとき轟音もやんで、ようやく倒すことができたのでした。

これは最後の三の矢を射るときに鏃につばを塗ったためで、物語では「唾は総じて百足の毒なればなり」と説明されています。

召使いの者に松明をつけさせ、化け物の様子を確認したところ、まごうべくもなき大百足で、2,000~3,000あまりの松明と見えたのは百足の足だったことがわかります。件の矢は眉間の只中を通って喉の下まで突き抜けていました。

大百足がいなくなって喜んだ龍女は秀郷を竜宮へ連れていき、お礼として尽きることのない米俵や巻絹、子孫も守ってくれるという太刀や鎧、日本の国の宝として釣鐘を贈りました。

このことから、秀郷は「俵藤太」(藤太は藤原の長男のこと)と呼ばれるようになったということです。

五人張り(ごにんばり)
五人がかりで張る弓のこと。

重藤の弓(しげとおのゆみ)
木材と竹を組み合わせたものに藤蔓を巻きつけて補強した大弓のこと。重藤の弓は、波除稲荷神社では源為朝公に由来する大弓が疫病除けに使われたり、大相撲の結びの一番の後に行われる弓取り式でも使われています。

関弦(せきげん)
弦苧(つるお)に黒く漆を塗った上に絹糸を巻き、さらに上から漆で塗り固めたもの。

十五束三伏(じゅうごそくみつぶせ)
握りこぶし一五個分にの幅に指三本を伏せた幅を加えた長さ。通常の矢は十二束。

こうしてみると、谷に響き渡る轟音をあげながら山の動くが如く進む百足の様子は、機関車の姿にも重なってきますよね。

アニメ版26話の最後には、山へ向かって走っていく無限列車が出てきますが、上空から見下ろした光景が「頸の骨のように見える」とSNSで話題になっていました。

このとき客車の窓から漏れる光が「何千もの松明を灯したかのように見える大百足の足」を表していると見れば、無限列車は俵藤太の大百足をモデルにしているということも言えそうです。

そして、大百足がすんでいたとされる山は、御伽草子では三上山と伝えられているのですが、太平記のように比良山と伝えるものもあるようです。

【滋賀県野洲市三神の「三上山」と伝えているもの】
・「御伽草子」(室町時代から江戸時代初期頃)
・「俵藤太物語」(1624~1644年)

【滋賀県琵琶湖西岸に連なる「比良山」と伝えているもの】
・「太平記」(1350年ごろ)
・「近江輿地志略」(1723年)

比良山といえば、堪え性のなかった次郎坊天狗が比叡山から引っ越してきた山でした。

もし比良山バージョンの百足退治がモデルだとしたら、天狗つながりで太郎坊天狗が支配していた愛宕神社とも関連が出てきそうですね。

愛宕神社は炭治郎、善逸、伊之助のイメージがいくつも見つかった神社です。

参考 俵藤太の百足(むかで)退治伝説の概要を知りたい。また、俵藤太とは実在の人物だろうか。 | レファレンス協同データベース

赫灼の子につながる? 二色山が表す富士山

二色山

二色山は名前のとおり、白と青の二色の色布を巻いた造り山です。この二色は富士山を模しています。

参考 三ツ山大祭Liveダイジェスト版 | NPO法人姫路コンベンションサポート(Youtube)

富士山といえば古来より噴火を繰り返してきたことから、火を司る心霊の宿る神体山(しんたいさん)として遥拝する対象で、禁足地になっていました。

現在の「山宮浅間神社」や「北口本宮冨士浅間神社」は、遥拝所があった場所にできた神社です。

今はそのイメージもかなり薄まっていますが、信仰の対象となる山だったんですね。

祭神は「文徳実録」(仁寿三年、853年)には「浅間名神」と記録されていましたが、「吾妻鏡」(建仁三年、1203年)になると「浅間大菩薩」の名前で記録されています。

遥拝(ようはい)
遠く隔たったところから神仏などをはるかに拝むこと。拝むために設けられた場所を「遥拝所」といいます。

二色山を飾る仁田四郎忠常(にった しろう ただつね)は、源頼朝の挙兵(治承4年、1180年)から付き従っていた忠臣で、武勇の誉れ高い鎌倉武士です。

平氏追討では頼朝の弟 範頼に従って各地を転戦。義経を追討した奥州征伐(文治5年、1189年)にも加わっています。

頼朝が亡くなった後も二代目将軍 頼家に仕え、頼家の嫡子 一幡(いちまん)の乳母夫(めのとぶ)に就任するほど信任を得ていました。

富士山に関わりの深い人物で、「吾妻鏡」にも登場するんですよ。

武士と山の神の関係を綴る「吾妻鏡」

造り山に表される「富士猪退治」は、建久4年(1193年)5月に行われた富士の裾野の巻狩りにおいて、大猪が現れたという逸話が元になっています。

このとき頼朝は征夷大将軍に就任したばかりで、巻狩りは鎌倉幕府の権威・権力を誇示するための大切な行事の一つでした。

「統治者としての資格を神に問う」という神事的な意味合いがあったと見る研究者もいるみたいですよ。

参考 曽我敵討事件に関する一考察 坂井孝一 | 創価大学・創価女子短期大学学術機関リポジトリ

その根拠となる行事として、「富士野御宿館」に入った翌日に、嫡男 頼家が初めて鹿を射止めたため、頼朝は大いに喜んで「矢口祭」を行っています。

当時の武士社会は、意外と山の神の文化に近いところで生活していたみたいですね。

「矢口祭」(やぐちのまつり)
狩りのはじめ(矢開き)などで、黒、白、赤の三食の餅を供えて山の神を祭り、射手を饗応すること。

この後、5月27日には勢子などを催したてて御狩が行われるのですが、夕刻になって現れた手負いの大猪が頼朝に向かって突進してくるのを誰も止めることができず、頼朝のそばに控えていた忠常が猪に飛び乗り、腰刀で突いて仕留めています。

この武功が忠常の名を広め、頼朝からも重く用いられることになるのですが、同じ日にもう一件の怪異が発生していました。こちらは山の神が関わる「工藤景光(くどう かげみつ)の怪異」です。

頼朝の御駕前に突然他に比べるもののないほど大きな鹿が走り出てきたので、御馬左方にいた弓の名手、工藤景光が許しを得て馬から矢を射掛けるのですが、一度ならず二の矢、三の矢も鹿に届かず外してしまいます。

景光は弓を捨て馬を止めてこう言いました。「自分は十一歳のころから狩猟の技を自慢にして七十余年になるが、いまだかつて弓手の獲物を仕留められなかったことはない。それなのに今は前後不覚となり射損ねてしまった。これはあの大鹿が神の乗る馬(山神駕)であったからに違いない。自分の運命も縮まった。後日何かあったときには皆で思い出してほしい」。その言葉どおり、景光は夜になると病を発して倒れてしまいます。

長老の急病に巻狩りをやめて鎌倉へ帰るか諮問されるのですが、宿老などの進言で帰る必要なしと判断され、翌28日から7日間の巻狩りが実施されます。

この最初の日の夜に「曽我兄弟の仇討ち」が発生。工藤祐経(くどう すけつね)を親の仇とする曽我兄弟の襲撃で、大勢の死傷者が出る中、忠常は兄の十郎祐成(じゅうろう すけなり)を討ち取ります。

仇討ちの件では「山の神に仇をなしたために襲いかかる災難」とは明言されていませんが、事件の混乱で「頼朝が討たれた」と伝えられた鎌倉では、不用意な発言があったとして範頼に謀反の疑いがかけられて失脚するという悲劇が起こっています。

これが二代目将軍 頼家の時代になると、はっきりと「山の神の祟り」と表現される怪異が発生します。忠常も関わる「富士の人穴」(ふじのひとあな)の逸話です。

建仁3年(1203年)に行われた駿河国の巻狩りにおいて、山麓の大谷で大きな穴が見つかり、頼家の命により忠常が探索に出るのですが、洞内で災難に遭ってしまいます。

その報告によると、洞内は流れの激しい河があって先に進むことができず、その向こうには燃える火の光とは明らかに違う光が見え、その光の中に鬼とも神ともつかぬ白衣白髪の不思議な人の姿があったといいます。

その光を見た途端、家来4人が死んでしまうのですが、忠常はその御霊を礼拝したところ、かすかな声で導きがあり、今回の探索で頼家からたまわった剣を河へ投げ入れることで難を逃れ、残る家来1人をつれて帰ってくることができたのでした。

忠常の帰還後、人穴探索の話を聞いた地元の古老は、「この穴は浅間大菩薩の御在所(ございしょ、すんでいるところ)で、昔から誰もあえて覗くことはなかった」「今回の出来事も当然、懸念すべきではないでしょうか」と話したといいます。

この後、仁田忠常は約2カ月後の9月5日に将軍交代の混乱の中で暗殺され、頼家は翌年の8月14日に将軍職を剥奪されて暗殺されてしまいます。

忠常暗殺までの間には、鶴岡八幡宮で鳩の変死が度々起こって人々を驚かせる話が続き、一連のエピソードは山神の怒りに触れた凶兆として描かれています。

でも、忠常が探索した人穴は、富士の浅間大菩薩の信仰につながって、赫夜姫伝説を生み出す富士信仰を盛んにしていくきっかけになっているようです。富士信仰の開祖 角行は、富士の人穴で修行していたそうですよ。

「鬼滅の刃」ではなんとなく存在を感じさせるだけの山の神ですが、二色山を飾る仁田忠常の逸話を見ると、やはり関連付けることができそうです。

参考 富士人穴探検 | 中世歴史めぐり
参考 収蔵品紹介 源頼朝公富士裾野巻狩之図 | 富士山かぐや姫ミュージアム
参考 静岡 人穴 | 日本伝承大鑑

五色山の五色は陰陽道にも通じる色

五色山

五色山は、緑、黃、赤、白、紫の五色の色布を巻いた造り山です。

この色、お寺でよく見かけますよね。仏教では青、黃、赤、白、黒は「五色」といって、如来の精神や智慧を表すものとされています。

青(緑) … 如来の毛髪の色
赤 … 如来の血液の色
黃 … 如来の体の色
白 … 如来の歯の色
黒(樺、紫) … 如来の袈裟の色

陰陽五行も同じ感じで、古代中国の哲理を起源とする五色が、世界を構成する5つの要素に割り当てられています。使われる色も似てますよ。

「陽」に属する色は青と赤、「陰」に属する色は白と黒、黃は他の四要素を含む中間の存在となります。

青(緑) … 木【陽】
赤 … 火【陽】
黃 … 土【中間】
白 … 金【陰】
黒(紫) … 水【陰】

青の代用として緑が、黒の代用として樺色や紫を使うことがあるので、五色山の場合は「青⇒緑」、「黒⇒紫」と置き換えた配色になっているみたいですね。

能では役者が登場したり、退場したりする橋懸(はしがかり)の向こうに五色の垂れ幕(揚幕)が掛けられますが、これは「現世の万物を表している」とされていて、幕の向こうはこの世ならぬ世界で、橋懸はこの世とあの世の懸け橋と考えられているのだそう。

五色山に使われている五色の色布も、もしかするとこうした世界を表す五色の解釈が込められているのかもしれませんね。

室町時代の鬼滅の刃「大江山奇譚」

五色山を飾るのは、清和源氏3代目となる源頼光(みなもとのよりみつ)です。

摂津源氏の祖であり、渡辺綱(わたなべのつな)・坂田金時(さかたのきんとき)・碓井貞光(うすい さだみつ)・卜部季武(うらべのすえたけ)といった頼光四天王を従えていたことでも有名ですよね。

造り山に表現されている場面は、源頼光と四天王が成し遂げた「大江山鬼退治」です。

源頼光の鬼退治は古い話だけあってさまざまなパターンがあり、大きく分けて鬼のすみかを丹波の大江山とする「大江山系」と、近江の伊吹山とする「伊吹山系」の2種類があります。

どちらの物語も山の神の加護を受けて生まれた子どもが人々を惑わし、やがて鬼になり、各地を放浪した末に大江山(もしくは伊吹山)にすみつくという共通の展開があるのですが、そうした鬼伝説の中で興味深い題名のものがあります。「御伽草子『大江山奇譚』」です。

「奇譚」といえば、「鬼滅の刃」第1巻 3話末の「大正コソコソ噂話」の中で、「こんなタイトルを考えていた」という候補の中に、「鬼滅奇譚」、「滅々奇譚」、「空想鬼滅奇譚」と3つも入っていました。これは匂います(笑)

「御伽草子」は室町時代から江戸時代初期頃までに制作された物語のジャンルの一つで、「大江山奇譚」が収録されているのは享保の頃に発行された「御伽文庫」に収録されています。

一条院の御代(寛和2年(986年)~寛弘7年(1010年))、都から若い女人が次々と消える事件が起こりました。自身の娘もいなくなってしまった池田の中納言國賢が安倍晴明を召して占わせたところ、千丈ヶ獄の鬼、酒呑童子の仕業だと判明。

一条天皇の勅命を受けた源頼光は四天王と共に評議したところ、凡夫の力では事を成し遂げるのは難しいということで、神仏の加護を得るため各々神社に参詣することにします。

頼光は八幡宮に参り、金時は住吉へ参り、貞光・季武は熊野三所を勧請した結果、頼光は「損ずる意味があり大成は叶わないだろう。お前達だけでなく保昌(やすまさ)にも相談しよう」と、武勇に優れた藤原保昌も加えました。

それぞれ背中に笈(おひ)を一挺ずつ背負い、山伏の姿になって千丈ヶ獄へ向かって進む途中、石清水八幡、住吉社、熊野三所の仏神化身である三人の男たちに出会い、鬼退治に必要なものとして、鬼が飲めば毒酒に変わって神通力を失うという「神便鬼毒酒」(じんべんきどくしゅ)を授かります。

そして男たちの案内で、一行は鬼ヶ城へ至る川まで辿り尽くことができたのでした。

男たちが姿を消した後、川の上流を目指していくと、若く美しい女性が一人で洗濯をしているところに出会います。

女性は都から鬼にさらわれた者の一人で、鬼ヶ城の中の様子を教えてくれるのでした。

鬼の住処に辿り着いた頼光一行は、異形の恐ろしき鬼どもが出てきても平気な顔をして城の中へ入っていきました。

鬼たちは山伏姿の頼光たちを鬼の流儀でもてなし、頼光も鬼たちを毒酒でもてなし、お互いに舞をまったりするうちに酒呑童子は毒酒に酔って寝所へ退散してしまいます。

眷属の鬼たちも毒酒が体に回って苦しむ中、頼光たちに討ち取られていったのでした。

連載当初から「鬼滅の刃と大江山の鬼伝説は世界が似ている」という声がありましたが、確かに重なる所があるようです。

・鬼が飲めば毒酒に変わって神通力を失わせる「神便鬼毒酒」
・しのぶさんの藤の花からつくった鬼を殺せる毒(第5巻 41話、42話)
・珠世さんがつくった無惨を弱らせる薬(第16巻 138話、第22巻 193話、196話)
・鬼ヶ城の様子を教えてくれる洗濯女(「大江山奇譚」では普通の人間のようですが、逸翁美術館所蔵の「絵巻 大江山酒呑童子」では、さらわれてきたものの、食べてもおいしくなさそうということで200年以上も洗濯女をさせられている老婆が登場します)
・鬼でありながら無惨を抹殺したいと望み、炭治郎に手を差し伸べる珠世さん(第2巻 14話、15話)
・「神便鬼毒酒」は酒呑童子も酔いつぶれてしまう
・稀地の中でもさらに希少な血である不死川の血は、匂いで鬼が酩酊する(第19巻 167話、168話)
・仏神化身の男たちから授かった「打ち損じないように鬼をくくりつける鎖」で四方につられて首を斬り落とされる
・悲鳴嶼さんの日輪刀の鎖で、無惨は一時、動きを封じられる(第23巻 199話)
・首を斬り落とされた酒呑童子は、最後の力を振り絞って頼光の兜の鉢(頭を覆うヘルメット状の部分)に食いついてくる
・無惨は炭治郎を取り込もうとしがみついていた(第23巻 203話)

酒呑童子に比べると最後は少々情けない感じがしますが(汗)

ともあれ「鬼滅の刃」は「大江山奇譚」と重なる表現がけっこうあるみたいです。さすが「日本一滋しい(にほんいち やさしい)鬼退治」ですね。

そして、「大江山奇譚」が収録されている「御伽草子」には、「愛宕地蔵之物語」という話もあり、こちらは愛宕神社の勝軍地蔵にもつながりそうです。

こうしてみると、20年に一度の三ツ山大祭は鬼滅の刃と重なるキーワードやイメージがいろいろ隠れているお祭りと言えそう。

射楯兵主神社に祀られている射楯大神は、神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓征伐で乗船守護神だった伊太の神のことと言われていて、「播磨風土記」(霊亀1、715年以前)に記されたこの故事にちなんで「勝利や幸運へ導く道開きの神」とも言われているところは煉獄さんにぴったりですよね。

次回、三ツ山大祭は令和15年(2033年)に開催予定、そして一ツ山大祭は令和29年(2047年)に開催予定なので、少し先になりますが機会のある人は実物を見ることができますよ。

一ツ山大祭は五色山を一つだけ設置するようです。

参考 酒典童子絵巻(しゅてんどうじえまき) | 京都府立博物館
参考 室町物語 | 天竺老人 浮世絵
参考 大江山奇譚 佛教大学図書館デジタルコレクション
参考 三ツ山大祭

当ブログには、煉獄さんに関する考察記事もあるので、よかったらこちらも覗いてみてくださいね。

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