キメツ学園で妓夫太郎たちの名前は、なぜ謝花? 宇治の怨霊が示すもの

地図 手習の古蹟

At Byodo-in Temple, there is a topic related to crape myrtle that overlaps with Senjuro Rengoku.
平等院には煉獄千寿郎に重なるサルスベリの花に関連する話題があります。

The area around Byodo-in Temple is set of the Uji Jucho ‘The Tale of Genji’, and there are many famous places related to it. Ukifune, the heroine of Uji Jucho, is a character deeply connected to Onryo.
平等院周辺は「源氏物語」の宇治十帖の舞台で、関連する名所が多数あります。この巻のヒロイン浮舟は、怨霊と深く関係する人物です。

In considering the Entertainment District Arc, vengeful spirits are likely to be an important key.
遊郭編を考察するうえで、怨霊は重要な鍵になりそうです。

(この記事は、「鬼滅の刃」1巻、8巻、10巻、12巻、ファンブック第一弾、「キメツ学園!」1巻のネタバレを含みます)
 

「鬼滅の刃」12巻 99話には、「時代が変わろうとも、そこに至るまでの道のりが違おうとも、必ず同じ場所に行きつく」というセリフが出てきます。

これは意外と「鬼滅の刃」の構造そのものにも言えることかもしれません。

というのも、「鬼滅の刃」とつながりのある漫画をヒントに平安時代の怨霊に辿り着いたように、千寿郎くんのイメージのあった平等院周辺にも怨霊につながる手掛かりがあるのです。
  
「源氏物語」の「手習」(てならい)の古跡といわれている、「手習の杜」がそれです。

遊郭編に重なる手習観音

「源氏物語」宇治十帖・手習の帖では、浮舟が宇治川に入水をはかって死にきれずにいたところを横川僧都の一行に発見されます。その場所が「故朱雀院の御領地の宇治院の近く」と書かれているんですね。

上の地図の「浮舟宮跡」と記した場所には、かつて浮舟を祀る古社があり、その周辺は大木が茂って森のようになっていたといいます。「手習の古蹟」には「手習の杜」と彫られた石碑があり、浮舟が見つかったのはこの場所の設定ではないかと古くから考えられていました。

このそばには観音堂があり、本尊として祀られていた聖観音菩薩立像は、こうした縁から「手習観音」と呼ばれていました。

小野篁(おののたかむら)の作と伝えられるこの像は、右足の親指が少し持ち上がっているのが特徴で、人々の願いをきいて、今、まさに動き出そうとしている姿を表しているといいます。

この仏像は江戸時代初期には興聖寺に移されて、現在も興聖寺の宝物殿「知祠堂」(ちしどう)に祀られています。

興聖寺は炭治郎のイメージが重なるお寺でしたよね。

今まさに歩みだそうとしている手習観音は、上弦の陸との戦いで何度も劣勢を強いられながら、炭治郎の痣発現までチャンスを繋ぐ遊郭編のみんなに歩み寄ろうとしているかのようです。(11巻 第93話)

「手習」で描かれる怨霊と浮舟が示すもの

「源氏物語」には、怨霊の描かれる場面がいくつか出てくるのですが、手習の帖もその一つです。

薫と匂宮の二人の貴公子の間で板挟みになった浮舟は、どちらも選べないまま過ごすうち、二人の使者が鉢合わせして秘密が発覚。思い詰めるあまり、家の者が寝静まってから一人で部屋を抜け出してしまいます。

 

いといみじと、ものを思ひ嘆きて、皆人の寝たりしに、妻戸(つまど)を放ちて出(い)でたりしに、風は烈(はげ)しう、川波も荒う聞こえしを、独りもの恐ろしかりしかば、 来し方行く先(きしかたゆっくさき)もおぼえで、簀子(すのこ)の端に 足をさし下ろしながら、行くべき方も惑はれて、 帰り入らむも中空(なかぞら)にて、心強くこの世に亡せなむと思ひ立ちしを、「をこがましうて人に見つけられむよりは、 鬼も何も食ひ失へ」と言ひつつ、 つくづくと居たりしを、いときよげなる男の寄り来て、「いざ、たまへ。おのがもとへ」と言ひて、 抱く心地のせしを、宮と聞こえし人のしたまふ、とおぼえしほどより、心地惑ひにけるなめり。

とても恐ろしいことだと、事態を憂い悲嘆して、家の者が皆寝てしまってから、妻戸を開けて外へ出てみると、風が強く、川に立つ波も荒々しく聞こえるので、一人でいるのが薄気味悪くなったものだから、後先のことも思い起こせないで、簀子縁の端から足を下ろしながら、いくべき方もわからず途方に暮れて、引き返すのもどちらつかずの気持ちなので、強い気持ちでこの世から消え失せようと決心したのに、「みっともなくも人に見つけられたりするよりは、鬼でも何でもよいから食い殺してしまっておくれ」と何度も言い続け、ひたすらじっとしていたところに、たいそう美しい男性が近づいてきて、「さあ、私のそばにいらっしゃい」と言って、かかえてらっしゃる感じがしたので、宮(匂宮)と申し上げられている人がそうなさるのだ、と思われた辺りから、正気を失っていたようだ。

※いくべき方 「生きる方法」と「行く方向」の掛詞

知らぬ所に据ゑ置きて、この男は消え失せぬ、と見しを、つひにかく 本意のこともせずなりぬる、と思ひつつ、 いみじう泣く、と思ひしほどに、その後のことは絶えて、いかにもいかにもおぼえず。

知らない場所に置き去りにして、この男は消えてなくなってしまった、と見えたが、とうとうこのように本来の目的も達成しないままとなってしまう、と思いながら、ひどく泣いていた、と思っているうちに、それより後のことはまったく、どうにも思い出せない。

 

このように、「手習」に出てくる怨霊は、浮舟の入水に深く関わっていることが描かれています。

「ONE PIECE」のゾロが、白川金色院を建立した藤原頼通の娘・藤原寛子から、怨霊に取り殺された伝説のある藤原道長の娘・藤原寛子へつながる鍵となっていたように、浮舟も怨霊に辿り着くための鍵になっているようです。

特に浮舟の回想の中で頻繁に出てくる、「覚えで」「覚えし」「覚えず」という言葉には、意味の中に「思い出す」とか「記憶」といったニュアンスを含んでいるところも興味深いですよね。

このヒントは、「キメツ学園!」に登場する妓夫太郎・梅兄妹の名字も絡んできそうですよ。

キメツ学園の妓夫太郎・梅兄妹の名前が示すもの

「鬼滅の刃」本編では妓夫太郎たちに名字はありませんでしたが、スピンオフ作品「キメツ学園!」では「謝花」という名字で登場します。(キメツ学園!1巻 第5話)

謝花姓は沖縄由来の名前で、地名としては琉球王朝時代から記録に残る古いもの。

「源氏物語」で沖縄といえば、2000年に開催された九州・沖縄サミットに合わせて発行が始まった二千円札があります。

表の図柄には沖縄の守礼門が描かれていて、裏の図柄には「源氏物語」第37帖・鈴虫の巻に描かれる、源氏の君と冷泉院の親子対面の場面と作者の紫式部が描かれています。

沖縄は、二千円札の「源氏物語」でつながっていそうですね。

では、沖縄に関連するもののなかでも特に「謝花」が選ばれているのはなぜでしょう? これは、「橘餅」(きっぱん)が関わっていそうです。

「橘餅」(きっぱん)というのは300年前に中国から沖縄に伝えられたお菓子で、琉球王朝の献上菓子として長い歴史があります。

そして、現在も橘餅を取り扱っているのは、沖縄県・那覇市の「謝花きっぱん松尾本店」の一店舗のみなのです。

 
参考 謝花きっぱん店
 

橘餅は名前のとおり、九年母(くねんぼ)など柑橘類を主原料にした餡を、砂糖に包んでつくられています。みかん(橘)が使われているんですね。

「鬼滅の刃」1巻の背表紙には、黒で描かれた鉄線の花とオレンジ色で描かれた忘れな草がありました。カバー折り返しに描かれる水流紋も、オレンジと白で描かれています。

濃いめのオレンジは橘の色。「橘」は柑子蜜柑(こうじみかん)の古名で、「日本書紀」(720年)の巻第六の垂仁天皇九十年(すいにんてんのう きゅうじゅうねん)二月庚子朔条(にがつ かのえね ついたちのじょう)には、天皇の命により常世の国に「非時香菓」(ときじくのかくのみ)を探しに出かける田道間守(たじまもり)の話が出てくるほど古い歴史があります。

 

非時香菓(ときじくのかくのみ)
常世の国に生えるという不老長寿の実のこと。日本書紀の注意書きには、「香菓(かくのみ)、これは箇惧能未(かくのみ)という」とあり、さらに「いま橘というのは、これである」と説明されています。

常世の国は、不老長寿や若返りが叶うとされていた理想郷で、海の向こうにあると考えられていました。

 

和歌では昔の人を思い出す代名詞になっていて、「新古今和歌集」(鎌倉時代初期)や「伊勢物語」(成立年代不詳)には、こんな歌が出てきます。

 

五月(さつき)待つ 花橘(はなたちばな)の香(か)をかげば 昔の人の袖の香ぞする
梅雨の時期を待ち望んでいた橘の花の香りをかぐと、ずっと以前に親しくしていた人が袖に焚きしめていた香の香りがします

 

橘の花は「源氏物語」の「花散里」にも登場する花で、色は白。

「源氏物語」では謀反の罪を着せられた源氏の君が、自ら須磨へ退く前に、故桐壺院の女御・麗景殿女御(れいけいでんのにょうご)が住む橘の花の香るお邸「花散里」で、桐壺院の御世を昔語りに懐かしむのです。

 

たちばなの 香(か)をなつかしみ 郭公(ほととぎす) 花散る里を たづねてぞとふ
昔の人を思い出させる橘の香りを懐かしんで、ほととぎす(源氏の君)はこの花の散るお邸を探してやってきました

 

「昔の人を思い出す」

遊郭編でも、堕姫の中の無惨様の細胞は、炭治郎に日の呼吸の剣士を重ねて思い出していました。(10巻 第81話)

浮舟発見の地・宇治がつなぐもの

さらに調べてみると、「手習の杜」にあった手習観音は、京都・轆轤町へつながっていくようです。

手習観音の作者と伝わる小野篁は嵯峨天皇に仕えた平安初期の参議で、閻魔王の化身という伝説のある人物です。六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)の本堂裏にある古井戸は、篁が冥府へ赴く際に使ったといい、そばにある高野槇の穂を伝って井戸へ入っていったといいます。

8月7日~10日に六道珍皇寺で行われる「六道まいり」では、迎え鐘の音で迎えられた精霊(先祖の霊)は、依代となる高野槇の葉に宿って自宅へ帰ってくると言われていて、参詣者は今でも参道で高野槇の枝を買い求めるのです。

高野槇は別名「本槇」(ほんまき)ともいい、「日本書紀」では素戔嗚尊(スサノオノミコト)が「この世に生きるすべての人々の奥津棄戸(おきつすたえ、墓所)に横たえさせる道具の用意とするのがよい」と言っているように、古墳時代以前は棺としてよく使われていた樹木でした。

「槇」の字は煉獄さんのお父さん、槇寿郎さんの名前にもありますよね。(10巻 第81話)

炭治郎と槇寿郎さんをつなぐ六道の辻

地図 轆轤町
 

六道珍皇寺は、かつての葬送地・鳥辺野へ向かう入り口にあります。

上の地図でいうと、赤い斜線を引いた辺りが鳥辺野になります。別称に鳥辺山(とりべやま)とも呼ばれていました。

 

鳥辺山 燃えし煙もまがふやと 海人(あま)の塩焼く 浦みにぞ行く
鳥辺山で燃えていた煙に似てはいないかと、海人(あま)が塩を焼く須磨の浦へ見に行くのです

 

「源氏物語」須磨の帖でも源氏の君が歌っていたように、鳥辺野は阿弥陀ヶ峰から続く丘陵地で、西福寺門前の辺りから上り坂になっていきます。

「六道の辻」はちょうどその境目に当たる辻で、あの世とこの世を隔てる入り口があると考えられていました。現在の松原通から轆轤町に入った所にあるT字路がそうです。

上の図では、オレンジの斜線を引いた辺りが轆轤町になるのですが、下弦の弐は「轆轤」という名前でしたよね。(ファンブック第一弾 90頁)

 
参考 六道の辻 久野 昭 | CiNii Research
 

実はこの付近の六道の辻は、篁が冥府に向かう井戸があるため「死の六道」と呼ばれていました。反対に「生(しょう)の六道」と呼ばれる場所があります。

右京区の嵯峨大覚寺門前六道町の辺りには、かつて福生寺というお寺があり、篁が冥府から現世に戻ってくるための井戸があると伝えられていました。この付近にある辻が「生の六道」です。現在の右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町にある嵯峨薬師寺(清凉寺境内・本堂西隣)境内には、その石碑があります。

このそばにある化野(あだしの)もかつての葬送の地で、あの世とこの世を隔てる入り口があると考えられていました。

このそばを通る旧愛宕街道(下図・茶色の線)を北へ進むと、愛宕神社の一の鳥居へ辿り着きます。

 
地図 愛宕街道
 

愛宕神社は日羅上人が関わる場所。日羅上人は一説に体から火焔を発していたと伝えられる人物で、まるで日の呼吸を思わせます。

また、神仏分離令以前の愛宕山には白雲寺という神仏習合の社があったのですが、この本宮には本地仏を将軍地蔵とする愛宕大権現が祀られていました。

白雲寺の建立に深く関わったのは、伊之助にイメージが重なる和気清麻呂(わけのきよまろ)です。

 

本地仏(ほんじぶつ)
本地垂迹(ほんじすいじゃく)という、仏や菩薩が衆生を仏道で救うため、借りに日本の神々の姿となって現れるという考え方に出てくる言葉です。
本地仏は、姿を借りる前の本来の仏や菩薩のことをいいます。

 

勝軍地蔵はお地蔵様が鎧兜を身に着けた姿で表される地蔵尊で、ちょっと炭治郎を思わせるイメージがありますよね。

 
勝軍地蔵のイメージ
 

本槇の関わる「死の六道」を槇寿郎さん、愛宕神社のそばにある「生の六道」を炭治郎と見ると、無限列車後に出会う炭治郎と槇寿郎さんの縁の深さを感じさせます。(8巻 第68話)

炭治郎へつながる、愛宕念仏寺元地

轆轤町と愛宕山の間には、六道の辻の他にもう一つ、炭治郎に繋がる縁があります。

死の六道のある松原通を少し西へ行くと、「愛宕念仏寺元地」(おたぎねんぶつじもとち)という小さな石碑が立っています。

これは天平神護2年(766年)に、称徳天皇により創建された愛宕寺(おたぎでら)が元々ここにあったことを示しています。

称徳天皇も、伊之助にイメージが重なる人物でした。

また、このお寺があった愛宕(おたぎ)の地は「源氏物語」にも出てくる場所で、源氏の君の母・桐壺更衣の葬儀がこの地で行われたとされています。

現在の愛宕念仏寺は、旧愛宕街道(きゅう あたごかいどう)沿いの右京区嵯峨鳥居本深谷町に引っ越していて、境内にはこの付近で人を化かして困らせていたという狸が心見大明神として祀られています。

無限列車で伊之助の夢の中に出てきた、狸の姿をした炭治郎を思わせる神様です。(8巻 第55話)

轆轤町にある西福寺は、在原業平につながる鍵

承和の変
 

愛宕念仏寺元地のそばにある西福寺も、興味深いお寺です。橘嘉智子皇后(たちばなのかちここうごう)が正良親王(まさらしんのう)(後の仁明天皇)の病気平癒を祈願したお寺なのです。

嘉智子は嵯峨天皇(第52代)の皇后で、淳和天皇の次男・恒貞親王(つねさだしんのう)が巻き込まれた「承和の変」では、在原業平の父・阿保親王(あぼしんのう)とともに重要人物だった一人です。

そして在原業平・阿保親王親子には、宇髄さんに重なるイメージがありました。

愛宕念仏寺元地のそばにある西福寺を宇髄さん、愛宕念仏寺のそばにある愛宕神社を炭治郎と見ると、遊郭編に登場する柱が在原業平のイメージのある宇髄さんだったのは必然なのかもしれません。

そう考えると、槇寿郎さんと会ってから(8巻 第69話)、宇髄さんに会うまでに(8巻 第70話)、鋼鐵塚さんが包丁を持って現れるのは象徴的です。

現在は閉山していますが、愛宕山は古くから天然砥を産出する鉱山で、京都砥石山脈の中央に位置する山なのです。ここではカンナ、ノミ、包丁に適した砥石がつくられていました。

特に水に弱い性質があり、使う前に漆などで防水の養生をしてから使用しないと、割れたりするようです。ちょっと気難しいところは、鋼鐵塚さんに重なりますよね。

こうしてみると、槇寿郎さん、鋼鐵塚さん、宇髄さんと出会っていく物語の流れそのものが、六道の辻周辺の伝説と重なっていきそうです。

「鬼滅の刃」を考察するうえで、地図は重要な鍵になっているのかもしれませんね。

そして、「二千円札」に描かれるものは、もう一つ重要な鍵につながっているかもしれません。

別記事にまとめているので、よかったらこちらも覗いてみてくださいね。

 

 

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