ヒノカミがつなぐ、鬼滅の刃と愛宕神社

火のついた炭のイメージ

There is an interesting relationship between the demon slayer and Atago Shrine.
鬼滅の刃と愛宕神社には興味深い関係があります。

(この記事は、1巻、3巻、5巻、12巻、15巻、20巻、21巻、ファンブック第1弾のネタバレを含みます)
 

炭治郎の名前に入っている「炭」の字は、「角川 漢和中辞典」によると、「燃えさしで、また火にかえるもの、つまりもとは消炭(けしずみ)をいった」そうです。

「火にかえる」というところは、竈門家に伝わる「ヒノカミ神楽」から始まって、緑壱が使っていた「日の呼吸」へと辿り着いた、炭治郎にぴったりのイメージですよね。

ちなみに、名字の「竈」の解字は、火の神である「祝融」(しょくゆう)の「祝」から音がきていて、祝融神のおる穴の意(=かまど)になります。

祝融というのは中国の古代神話の帝王で、炎帝の子孫とされる火を司る神様。

そして、「門」は門の扉の形を表した象形文字で、閉じた状態を表す文字。「物事の入り口」という意味の他に、「家がら」を表したり(門閥)、「みうち」を表したり(一門)、「よつぎ、正嫡(しょうてき)、あとつぎ」の意味もあります。

名前を構成する文字を見ると、普通の人とされている炭治郎も、只者ではないイメージです。

そういえば、1巻 第2話の末尾にある大正コソコソ噂話には、タイトルが「鬼滅の刃」に決まる前の他候補が紹介されていて、その中に「炭のカグツチ」とか「鬼狩りカグツチ」というヒントがありました。

名前にこれだけの意味が重ねられている「カグツチ」や「ヒノカミ」には、どんな関連があるんでしょう?

改めて「ヒノカミ」というキーワードで記紀(古事記、日本書紀)を読み返すと、二柱の神様が該当していることがわかります。日の神「天照大御神」(アマテラスオオミカミ)と、火の神「火之迦具土神」(ホノカグツチノカミ)です。

日の神「天照大御神」の特別感と緑壱

天照大御神は、八百万の神々の最高神にして、皇室の祖神、日本国民の総氏神で、万物全てに光を与えてくれる太陽のごとく、あらゆる願いを聞き届けてくれる諸願成就の神様です。

日本が国名を「ひのもと」と称するのも、太陽神である天照大御神を主とするからですよね。

記紀で描かれる天照大御神は、穢れを祓うところから始まるのが印象的です。

火之迦具土が生まれるときに火傷を負い、黄泉の国へ去ってしまった伊邪那美命(イザナミノミコト)を追いかけて、自身も黄泉国へ向かった伊耶那岐命(イザナギノミコト)ですが、伊邪那美命と交わした見るなの禁を破ってしまったため、伊耶那美命を連れ戻すことは叶いませんでした。

そして、なんとか無事に葦原の中つ国(あしはらのなかつくに)戻ってきて、こう言います。

 

吾は、いなしこめしこめき穢き国にいたりてありけり
私はいやな、見るに醜悪な汚い国に行き着いてしまったようだ

 

そして竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐原(あわきはら)で着ていた服を脱ぎ、禊をして身を清めるのです。

 

黄泉国の穢れを落とした際に生まれる神様は、「八十禍津日神」(ヤソマガヒノカミ)と、「大禍津日神」(オオマガツヒノカミ)。

続けて、その穢れを直そうと、「神直毘神」(カミナオビノカミ)、「大直毘神」(オオナオビノカミ)、「伊豆能売神」(イツノメノカミ)の三柱の神様が生まれます。

さらに瀬の中に深く潜って清めることで、六柱の神様が生まれます。

最後に左目を洗ったところから天照大御神が、右目を洗ったところから月読命(ツクヨミノミコト)が、最後に鼻を洗ったところから須佐之男命(スサノオノミコト)が生まれて、この三柱の神は別格の神として三貴神と呼ばれるのでした。

 

伊耶那岐命は伊耶那美命とともに、「国生み」や「神生み」で多くの島々と神々を生み出してきた神様ですが、一人で禊をして神様を生み出すのは、この場面が初めてのこと。ちょっと特別感がありますよね。

このとき生まれた天照大御神が祀られている神社の代表格は、伊勢神宮の内宮です。

本地垂迹(ほんじすいじゃく)の考え方では、天照大御神は大日如来(あるいは十一面観音)で、本地仏は盧舎那仏(びしゃるなぶつ)となります。

 

本地仏(ほんじぶつ)
仏や菩薩が衆生を仏道で救うため、借りに日本の神々の姿となって現れるとする本地垂迹(ほんじすいじゃく)の考え方で、本来の仏や菩薩のことをいいます。借りの姿は垂迹といいます。

 

司るものも、「宇宙」とか、天上界の「高天原」とか、なんかデカいですよ、スケールが。こんな感じ。

 

毘盧遮那仏(本地仏) … 宇宙の真理を全ての人に照らして悟りに導く仏様。毘盧遮那は太陽の意味。

十一面観音(本地仏が姿を変えたもの) … 苦しんでいる人をすぐに見つけるために11の顔がある観世音菩薩。

大日如来(本地仏が姿を変えたもの) … 宇宙の真理をあらわし、宇宙そのものを指す仏様。「大日」は「日輪」を表す。

天照大御神(垂迹) … 高天原を統べる主宰神。太陽神。

 

こうしたことから考えると、どちらかというと天照大御神は司るものもスケールが大きく、不浄を嫌い、もちろん衆生を見てくれているんだろうけど、皇室とか神主さんとか、おつきあいする人は選ぶ印象があります。

鬼滅の刃でも、緑壱の指導で呼吸と剣技を融合させることができた「始まりの呼吸の剣士たち」も、「誰一人として緑壱と同じようにはできなかった」という話があるので、日の呼吸には一般の人では越えられそうで越えられない、何か壁のようなものを感じさせます。(15巻 第128話、20巻 第175話、20巻 第178話、21巻 第186話)

この点、火之迦具土神が司るのは「火」ですから、扱いさえ気をつければ一般の人でもつきあっていくことができそうですよね。

鬼滅の立ち上げ担当さん言うところの「明るくて普通」の炭治郎だからこそ、日の神ではなく火の神が選ばれているのかもしれません。(ファンブック第1弾、201頁)

ちなみに「日」と「火」は別のものに見えますが、「『山の神』易・五行と日本の原始蛇信仰」(吉野裕子著)によると、易の世界ではまったく無縁のものではないようです。

「五経通議」の中ではカラスと火卦と太陽の関係を説明する文に、「日、即ち太陽は火精、つまり火の集積である」と書かれているといいます。

 
「烏=火=太陽」のイメージ
 

「『山の神』易・五行と日本の原始蛇信仰」によると、上図左のように「烏」の字が「鳥」の字と比べて一本線がないところが、上図中央のように、真ん中が欠けて空洞に見える易の「火卦」のイメージに重なって、火の集積である太陽(上図右)に三本足のカラスが棲むと考えられたのではないかというんですね。

古代中国では「太陽の中には三本足のカラスがすんでいる」という伝説がありますが、太陽とカラスが火を間に置いてイメージがつながっていると考えられていたようです。

火の神様「カグツチ」と炭治郎

火之迦具土神は、火の神様。その御利益には、火伏せ(防火)、土地の守護、火力による殖産振興などがあるとされています。

「カグツチ」を文字の意味から見ていくと、「迦具」(かぐ)は「輝く」の意味で、「においをかぐ」とか、「かぐわしい」という言葉に通じると言われていたり、「ものの焦げる匂いを嗅ぐ」ことを示すと言われたりします。

どちらも、鼻がきく炭治郎にぴったりですね。

そして、古事記で描かれる火之迦具土の話は、短いながらもとてもドラマチックです。

火之迦具土が生まれる時、その体に炎をまとっていたため、伊邪那美命は大やけどを負って神避(かむさ)ってしまいます。

伊耶那岐命はこれに怒って、腰に帯びていた十束剣(とつかのつるぎ)で火之迦具土の首を切り落としたので、流れた血から八柱の神々が生まれ、体からも八柱の神々が生まれたといいます。

 

神避る
神様が黄泉の国へ去ってしまうこと。天皇など高貴な人が死去すること。

 

「日本書紀」では、三段に斬ったとも五段に斬ったとも、少しずつ違う内容で伝えている書がありますが、どれもそこから多くの神々が生まれたといいます。

親を殺してしまう子供、そして子供を殺してしまう親という流れだけを見ると、ただただ悲劇ですが、岩石、火、雷、雨、水、山など、火之迦具土から生まれた神々の司る内容から、「火山の噴火」や「鍛冶作業」から連想された物語ではないかと見る人もいるようです。

そして、火之迦具土を祭神として祀っている神社の代表格には愛宕神社があるのですが、調べてみると、鬼滅の刃に重なるキーワードがいくつも隠れているみたいです。

愛宕神社には天狗の長男が関わっている

一条戻橋、衣笠山、愛宕神社(地図)
 

愛宕神社は全国にその数が900社とも1000社ともいわれる大きな勢力を持った神社ですが、中でも京都、東京、福岡は、「日本三大愛宕」と呼ばれる存在です。

京都の愛宕神社がある愛宕山は、元は朝日峰(あさひみね)と呼ばれる山々の一部で、都の北西(乾)に位置し、古くから死霊を迎える霊山として祖霊神の鎮まる地とされていました。

「乾」(いぬい)は、道教の最高神「天帝」が住む宮殿の門「天門」の方角とされていますが、鬼門(艮 うしとら)に対して「陽の極み」となる方角でもあり、陰陽道では神がおわすとともに怨霊や魑魅魍魎も入ってくると考えていたので凶方位になります。

「山城名勝志」(1705年)内の「白雲寺縁起」や、「三国仏法伝通縁起」(1311年)に伝わる伝説では、こうした重要な土地を守るため、役行者と雲遍上人(泰澄)が朝廷の許しを得て、現在の愛宕山の山頂に神廟(しんびょう)を建立したのが愛宕神社の始まりと伝えています。

そして、その伝説には天狗が関わっていました。

 

雲遍上人と役小角が朝日峰に登ろうと清滝まで辿り着くと、滝上に雲が起こり、激しい雷雨となって、前へ進めなくなってしまいます。

二人が秘呪密言で祈祷をしたところ、雨があがって晴れわたり、地蔵(じぞう)・龍樹(りゅうじゅ)・富樓那(ふるな)・毘沙門(びしゃもん)・愛染(あいぜん)の五仏が光を放って辺りが明るくなりました。

続いて側にあった大杉の上に、天竺の日良(にちら)、唐土の善界(ぜかい)を横に控えて、一名を栄術太郎(えいじゅつたろう)とする太郎坊という大天狗が、それぞれの眷属を率いて9億4万余りの大集団で出現します。

太郎坊は、「我々は2000年前に、神霊の集まる霊山であるこの地を仏から託されて護っている。大魔王として山を領有し、人々を救済して悟りに導いているのだ」と言うと、天狗たちは姿を消してしまいました。

 

この変事を朝廷に奏上したことをきっかけに、神廟建立の勅許が下されたというんですね。これは大宝年間(701~704年)の出来事と伝わる話です。

この後、愛宕山は早くから神仏習合が進んでいくのですが、天応元年(781年)には藤の花にご縁のある和気清麻呂(わけのきよまろ)によって、天台宗と真言宗両義の白雲寺が建立されます。

さらに桓武帝(かんむてい)の時代には、鎮護国家の意味を込めた「愛宕護山大権現」と号して、平安京千年の基礎の一つとなります。

本殿に祀られているのは垂迹となる伊弉冉尊(イザナミノミコト)ですが、勝軍地蔵を本地仏として、軻遇突智(火産霊尊とも)もともにお祀りされていました。

太郎坊・次郎坊と炭治郎

縁起に登場した太郎坊は、白雲寺の奥の宮に「愛宕権現太郎坊天狗」として祀られていました。鳥面の天狗が錫杖を持って、猪に乗った姿が伝わっています。

陰陽五行で猪(亥)は水に属すると考えられているので、火伏せ(防火)のまじないがある生き物として火防の神様の眷属(使い)と考えられています。

太郎坊は大天狗で、平安時代は焼亡(しょうぼう・大火の意味)や騒乱を起こすと恐れられていたのに、時代が下った愛宕神社では火伏せの性格を持ったイメージになっているところがおもしろいですよね。

興味深いのは、愛宕山太郎坊は日本八天狗の中でも総領(長男)格の天狗と伝えられているところです。

長男格の太郎がいれば、もちろん次男格の次郎もいて、それが比叡山にすむ比叡山次郎坊という大天狗です。

次郎坊は太郎坊と並び称される八天狗の一人ですが、大天狗だというのに小天狗程度の悪戯が大好きだったと伝えられていて、比叡山に延暦寺が開かれて高徳の僧が集まってくるとそれを嫌って、大した抵抗もなくすぐ北にある比良山へ移ってしまい、名前も比叡山次郎坊から比良山次郎坊に変わってしまいます。

長男格の太郎坊天狗は9億以上の眷属を引き連れて人の前に現れ、自分たちを祀る社殿を建てさせたのに、ずいぶん違いますよね。

3巻 第24話に出てくる、「俺は長男だから我慢できたけど、次男だったら我慢できなかった」という炭治郎のセリフは、太郎坊・次郎坊天狗の伝説が重ねられている可能性がありそうです

愛宕神社を指し示すヒントになっているのかもしれませんね。

愛宕権現の本地仏「勝軍地蔵」と炭治郎

勝軍地蔵のイメージ
 

そして、白雲寺の本宮に祀られていた「愛宕大権現」は、炭治郎や縁壱と重なるイメージがあります。(21巻 第186話末 戦国コソコソ話)

本地仏は「勝軍地蔵」(しょうぐんじぞう)といって、お地蔵様が鎧兜を身につけているのです。(上の絵は高屋肖哲という方の将軍地蔵菩薩像をお手本にして描いてみました)

「蓮華三昧経」によると、こんな感じ。

 

頭に畢竟空寂の兜を頂き、身に随求陀羅尼の鎧を纏ひ、腰に金剛智の大刀を佩き、発心修業の幡(旙)を飜し、悪行煩悩の軍を斬る剣を執り、左右には掌善掌悪の二童子が侍している。

畢竟空寂(ひっきょうじゃくめつ) … 悟りを極めて境地にたどり着くこと
随求陀羅尼(ずいぐだらに) … 大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)の真言で、衆生の求願に随い(したが)施し(ほどこし)を与えてくれるとされる
金剛智(こんごうち) … インドの僧で中国密教の祖
発心修業(ほっしんしゅぎょう) … 仏教の修業を通して悟りに至る仏道の段階。「発心、修業、菩提、涅槃」の四段階がある

 

将軍地蔵は他の国には見られない、日本独特の地蔵菩薩になるようですが、鬼にも同情の念を持って慈悲の心で接する炭治郎にぴったりですよね。

「京童」などでは、愛宕大権現は「百済国 日羅の霊なり」と記されていて、日羅上人のことと説明があります。

太郎坊が出てくる「白雲寺縁起」には、日良は天竺(インド)の天狗と書かれているのですが、そこは昔の話の曖昧なところとして(汗)日羅上人で見ていきましょう。

日羅上人といえば、「日本書紀」の「敏達(びだつ)天皇12年の条」に肥後の人と記されている人物で、大伴金村(おおとものかなむら)の命で百済に渡航する父・阿利斯登(ありしと)とともに百済へ渡り、百済王に仕えていました。

智、仁、勇の三徳をそなえた賢人と名高いことから、厩戸皇子(聖徳太子)の教育のために招聘されて帰国したと伝えられています。

しかし、問われるまま日本の国力増強など百済対策について進言したため、随行していた百済の使者に暗殺されてしまいます。

愛宕山の縁起に伝わる話では少し違っていて、難波で百済王の追討軍に勝利した後、淀川を遡上して愛宕山へ入り、隠棲したことになっています。ちなみにこのとき愛宕山にすむ天狗の妨害にあっているのですが、最終的に天狗は日羅上人に屈服して、上人を守護するようになります。

そして、臨終の際には見舞いに訪れた聖徳太子に仏教の興隆を勧め、自らは愛宕山の大権現となり衆生を守ると告げたといいます。

 
参考 愛宕山信仰と勝軍地蔵 ─中世のある軍神信仰についての覚書─ 野★ 準 | CORE
※★は崎の異体字の「さき」
参考 日羅上人 | 三帝勅願所 摂津国第六重五番札所 月峯山大覚寺
 

日羅上人の生涯はこのように様々に伝わっていて詳細不明なことが多いようですが、同時にいろいろな怪異も伝えられていて、「日本書紀」(奈良時代)によると全身から火焔を発する力を持っていたと言われています。

「聖徳太子伝暦」(1331年)によると、体から火焔を発していたのは、日天を拝んでいた聖人であったからなんだそうですよ。

百済の使者に暗殺されるときも、体から発する火焔が恐ろしくてなかなか手出しができず、12月晦日(みそか)に火が消えるのを見て実行されたと言われています。

緑壱もびっくりの日の神パワーですね。

白雲寺はこうした伝説を持つ「勝軍地蔵(将軍地蔵)」を本尊としていたこともあり、室町時代以降から戦国時代にかけて、戦勝のご利益で多くの武将の信仰を集めていました。本能寺攻めを前に、明智光秀が愛宕山の奥の院、太郎坊の前で、何度もくじを引き直したのは有名な話です。

江戸時代になると軍神としての姿は薄れてしまいますが、防火や盗賊などの家難除けの神として、庶民の信仰を集めていきます。

家々の竈には愛宕神社から受領された火伏せの護符が貼られ、樒(しきみ)を挿して防火を願っていました。

樒は愛宕神社で用いるご神花(しんか)で、愛宕山に自生している植物です。

5巻 第39話では、走馬灯の中で、小さな炭治郎が鈴をつけた榊(さかき)のようなものを持って、舞を舞う真似事をしていましたが、もしかするとあれは火の神にまつわる樒だったのかもしれません。

この他にも、福岡の愛宕神社の神紋(しんもん)は「向かい巴紋」で、鱗滝さんが義勇に贈った狐面の模様にそっくりだったり(15巻 第131話)、東京の愛宕神社は、西郷隆盛と勝海舟が江戸城無血開城を交渉した場所でもあります。甘露寺さんが歌う「宮さん宮さん」が生まれた時代のできごとです(12巻 第101話)

 
参考 愛宕神社 福岡
 

愛宕神社は、「鬼滅の刃」のヒントがいくつも見つかる神社になるようです。

では、勝軍地蔵が炭治郎なら、両側に持する仏様はもしかして善逸と伊之助? ということで考察した記事もあります。よかったらこちらも覗いてみてくださいね。

 

 

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