富士山の赫夜姫伝説は、鬼滅の刃の「かくしゃくのこ(赫灼の子)」と関係がありそうです。
(この記事は、1巻、2巻、15巻、20巻、21巻、23巻のネタバレを含みます)
炭治郎のことを「赫勺の子」と呼んだのは、炭治郎に日輪刀を届けてくれた鋼鐵塚さんでした。
火仕事をする家では、「頭の毛と目ん玉が赤みがかって」いる子が生まれると、縁起がいいと喜ぶのだそう。
でも、「赫灼の子」って何のことでしょう?
縁壱の「赫」
赫灼の子の特徴は「赤みがかった髪」に「赤みがかった目」ですが、鬼滅の刃には同じ特徴を持った人がいますよね。
第20巻の表紙を見るとわかりますが、無惨を追い詰めた「最初の呼吸の剣士」と呼ばれる縁壱も同じ特徴を持っています。
では彼のように、無惨を倒せそうだから縁起がいいのでしょうか?
でもそれなら、「赫勺の子が救ってくれる」といった言い方になりそうですよね。
「縁起がいい」というのは、経験的に感じてきた「いい兆しや前兆があらわれる」ことなので、これまでに何度も起こってきたことや、何か信じていることに沿った話になるはずです。
鋼鐵塚さんは鍛冶職人なので、製鉄の文化で何か言い伝えがあるのかもしれません。
「赫」の字を名前に持つ女神
ということで調べてみたところ、名前に「赫」の字を持つ方を見つけました。それは、「かぐや姫」。
一般的には竹取物語の「なよ竹のかくや姫」が有名なので「かぐや姫」と平仮名で書くことが多いですが、富士山に伝わる伝説では「赫夜姫」と漢字で表記されて、伝わる話も少し違っています。
夜でも昼間のように明るく、神々しい光を放っていたから「赫夜姫」と呼ばれるのですが、赫夜姫は月へは帰りません。夜に輝くといえばお月様の印象があるのに。
伝えられているのは、富士山のご神体の化身が赫夜姫で、世の中の人々を救うために浅間大菩薩(せんげんだいぼさつ)という神様となってこの世に現れたとされているのです。上の絵のような感じの神様になるようです。
さらに富士山の山頂には江戸時代まで、浅間大菩薩の本地仏(ほんじぶつ)として大日如来を安置する大日堂があったのだそう。
本地仏というのは、鱗滝さんのキツネ面を調べていたときに、稲荷神にも出てきた神仏習合で使われる言葉です。
仏や菩薩が衆生を仏道で救うため、借りに日本の神々の姿となって現れるというのが神仏習合の考え方ですが、姿を借りる前の本来の仏や菩薩のことを本地仏といいます。ちなみに、借りの姿は垂迹(すいじゃく)といいます。
密教では、他の神仏はもちろん、世の中のすべてのものが大日如来から生まれたと考えられていて、大日如来の「大日」は、「大いなる日輪」を意味します。
つまり、太陽の象徴である大日如来の垂迹が浅間大菩薩で、その化身の女性に月を暗示させる赫夜姫という名前が付けられていたと。
もしも、この赫夜姫の申し子のようだということで、「赫勺の子」と呼ばれているのだとしたら、ヒノカミ神楽を継承して、重要な場面になるたびに月に痣のような模様が描かれる炭治郎にぴったりのイメージですよね。
上記記事では炭治郎の場面を中心に見ていますが、実は縁壱も、兄厳勝と再会した夜や、奥さんの ”うた”が鬼に襲われる夜など、重要な場面では月に痣のような模様が描かれているんですよ(第20巻 174話、176話、第21巻 186話)
赫夜姫伝説を伝える人たち
富士山の祭神・守護神が女神として成立していったのは、富士修験(村山修験)を中心とした富士山信仰が深く関係しています。
ただ、室町時代から戦国時代にかけて隆盛を誇った富士修験は、これ以降、歴史の波に飲み込まれてしまいます。
上記ブログ「富士おさんぽ見聞録」に詳しいのですが、ざっくりまとめると、戦国時代は今川氏などの権力者から庇護を受けていたのですが、江戸時代に入るとその勢いにも陰りが見られ、江戸中期には噴火・台風・地震といった自然災害が重なって、宗教施設に大打撃を被って衰退。諸国へ人を派遣して布教活動に力を入れていた時期があります。
江戸末期には社殿を再建するなど、回復を見せていたのですが、明治の神仏分離と修験道の禁止により大きく荒廃。
さらに明治39年には、村山を経由しない新しい登山道が開設されたことで廃道に追い込まれ、人の流れが変わってしまった村山修験の地は歴史から忘れ去られてしまいます。
その後、富士山の世界文化遺産登録をきっかけに再び光があたり、赫夜姫伝説とともに見直しが進むのですが、それはまた別のお話。
鬼滅の刃の時代にはこうした修験道の記憶を伝えている人はまだいただろうし、修験道と製鉄集団は山中の鉱脈情報を介して深いつながりを持っていたのではないかと考える人もいるので、赫夜姫の話を鋼鐵塚さんたちが知っていても不思議ではないですよね。
ちなみに、静岡県・周智郡森町の太田川右岸にある北垣遺跡は、近世以降は鍛冶を行う集落があったと考えられているそうですよ。
参考 静岡県埋蔵文化財センター刊行の発掘調査報告書一覧 | 静岡県埋蔵文化財センター
ワニ先生の地元福岡にも、古墳時代~奈良時代に、福岡市西部から糸島にかけて大規模な製鉄・鍛冶施設があったみたいなので、何か物語に影響するような伝説が伝わっているのかもしれません。
「赫」が持つ色
それから、赫灼の「赫」をよく見てみると、「赤」の字を2つ並べることで、火が真っ赤にかがやく意味を表しています。
角川 漢和中辞典の「字義」には、こんな意味が説明されてますよ。
あかい(-し)。まっか。赤色が濃いこと。
かがやく。ひかる。きらきらする。
明らかなこと。また、勢いが盛んなこと。
怒りを発するありさま。
おどす。しかる。
「赫」は光のかがやきだけでなく、赤い色も表しているんですね。
さらに「赤」の文字を調べてみると、古い字形は「大」と「火」から成る文字で、火がかがやく(赫)と大いに燃えることから、火の色や、あかの意を表すようです。
「参考」の部分を見ると、いろいろな赤を包み込んだ色が「あか」になるみたいです。
「あかい」の同訓は赤・紅・朱・丹・緋・赭。
赤 … あかい色の総称で、あかの正色といわれる
紅 … べにばなの色で、桃色がかったあか
朱 … 朱砂の色で、あかの濃い色
丹 … 丹砂の色で、朱の白色をおびた色
緋 … 紅色の濃い色
赭 … べんがら色。赤土のいろ。
「赤」といえば、日輪刀でも「猩々緋」が使われていますが、そうした破邪除災としての色の他に、日常を表す「褻」(ケ)に対して非日常を表す「晴」(ハレ)の色でもあるわけです。
お正月のお祝いに赤い色を使うのは、邪気を払い、めでたい兆しを表す吉祥としての色ですもんね。
こういうことからいうと、炭治郎のように赤みがかった目や髪のことも、「縁起がいい」と言うのは自然なことなのかも。
もしも鋼鐵塚さんが、赤みがかった髪、赤みがかった瞳を持つ縁壱と出会っていたら、「こりゃあ縁起がいいなあ」と、やっぱり、ほっぺたをぐりぐりしてそうですね(笑)
赫灼の子が実在するのかどうかまではわかりませんでしたが(汗)伝説の中には、キーワードがけっこう揃っているみたいです。
そして、瞳の色が淡紅色、髪の毛先がべんがら色をしている禰豆子も、この「あか」の特徴を持っていることがわかります。
人間のときの禰豆子は黒髪だったので、鬼化することで赫灼の子の特徴を持つことになったみたいですよ(第1巻 1話)
原作ではわかりにくいですが、アニメ版では鬼化した直後に変わっているのがわかります。
ともあれ、炭治郎も禰豆子も、鬼化しても最終的に太陽を克服してしまうのは、二人とも赫夜姫伝説からつながる太陽の要素を持った赫灼の子だったからと言えるのかも。(第15巻 126話、第23巻 201話)
だとすると、無惨様も厳勝ではなく、赫灼の子の要素を持った縁壱のほうを鬼にしていれば、太陽を克服するのもあっという間だったわけで…(第20巻 187話)
惜しいことをしましたね。
あ、その前に日の呼吸で退治されちゃうか。
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