9人の柱と12鬼月の謎を解く鍵は、平等院にあり

阿弥陀堂の鳳凰

Byodoin Temple has been influenced by esoteric culture. It is a culture that is shared with the Homan-Kamado Shrine.
平等院は密教文化の影響があります。それは、宝満竈門神社と共通する文化です。

Homan-Kamado Shrine is related to the shrine that is said to be the sacred place of Demon Slayer.
宝満竈門神社は、鬼滅の刃の聖地と言われる神社と関連があります。

Esoteric Buddhism seems to hide the secrets of The Hashira and The Twelve Kizuki.
密教には、柱や12鬼月の秘密が隠れていそうです。

(この記事は、第2巻、第5巻、第12巻、第21巻のネタバレを含みます)

平等院の阿字池(あじがいけ)から、940年ごろのサルスベリの花粉が検出されたというニュースがありました。これは大体、将門の乱と同じ時代になるようです。

別記事でもまとめたように、サルスベリには「千日花」という別名があり、煉獄さんの弟の千寿郎くんの名前にも重なるようです。

ということは、もしかすると平等院には「鬼滅の刃」と何か重なるイメージがあるのかもしれませんね。 ちょっと調べてみました。

平等院が生まれた末法の時代

平等院のはじまりは、「源氏物語」に出てくる光源氏のモデルともいわれる源融(みなもとのとおる)が造営した別業(べつぎょう=別邸)です。

その後、陽成天皇(ようぜいてんのう)や宇多天皇(うだてんのう)など所有者が変わり、藤原道長を経て、その息子・頼通の時代になると、邸宅部分を本堂にして寺院に改められます。

「扶桑略記」(平安末期)によると、それは末法元年とされる永承7年(1052年)のこと。

時代的にも、疾病の流行や火災、僧兵の強訴といった混乱が続き、都の治安も乱れて人々の不安が高まっていました。

天皇の外戚として権勢を振るっていた藤原氏も、道長が亡くなった後は藤原氏と姻戚関係を持たない後三条天皇が即位したことで権力を失っていきます。摂関政治から院政政治へ移っていく時代でした。

末法元年(まっぽうがんねん)
釈迦の入滅から500年(1000年とも)を正法(しょうぼう)、次の500年(1000年とも)を像法(ぞうぼう)、その後10000年を末法(まっぽう)とする思想です。

年数の数え方はいろいろあるようですが、真の仏法が衰えてしまうとされていて、釈迦の入滅を949年とする場合、1052年がその始まりと考えられていました。

平等院が再現する極楽浄土の世界

平等院の山号は朝日山です。本堂は現在の鳳凰堂の北、宇治川の岸辺近くに設けられ、大日如来を本尊としていました。

山号やご本尊が太陽にまつわるところは、鬼滅の刃にぴったりですよね。

現在も残る阿弥陀堂(鳳凰堂)ができたのは、翌年の天喜元年(1053年)で、本尊は阿弥陀如来坐像です。

極楽往生(ごくらくおうじょう)を説く「観無量寿経」(かんむりょうじゅきょう)に描かれる浄土の景色そのままに、池の中洲に御堂が建てられていて、朝日を正面に受ける東向きになるよう造られているのが特徴です。

平等院の名にある「平等」は、「仏の救済が平等」であるということを意味し、その教えを光であらわしているのだそう。光明が世界のすみずみを照らすように、念仏をとなえるすべての人を救ってくれるとされ、それは一人の例外もないといいます。

ちょっと興味深いのは、「観無量寿経」には「無量寿経」や「阿弥陀経」とは少し違う部分があるところ。

他のお経では七宝や黄金からできているとされる極楽浄土を「瑠璃からできている」としていて、「禅観」(ぜんかん)を極楽往生の方法としています。

「瑠璃」といえば、煉獄さんのお母さんの「瑠火」さんの名前にも入っている文字です。

また、「禅観」は仏教の修法の一つで「坐禅観法」のこと。こちらは、禅宗の祖とされる達磨大師のイメージが重なる義勇さんを思わせます。

どことなく鬼滅の刃の世界につながっていくところがあるようです。

参考 観無量寿経の背景にあるもの 入澤 崇 【佛教大学総合研究所紀要 1999(別冊)号(19990325) 111入澤崇「観無量寿経の背後にあるもの (浄土教の総合的研究)】 | ECHO-LAB

特に興味深いのは、他のお経では「五逆十悪の悪人」は阿弥陀仏の救済から除かれるとされているのに対して、「観無量寿経」は全ての衆生が成仏できるとし、五逆十悪の悪人であっても念仏をとなえることで「下品下生」(げほんげしょう)の救済があるとしているところです。

「人を喰った鬼に情けをかけるな」という義勇さんに対し、「鬼であることに苦しみ、自らの行いを悔いている者を踏みつけにはしない」と応える炭治郎の姿が重なります(第5巻 43話)

「観無量寿経」を現世に表した平等院は、鬼滅の刃の物語にぴったりと言えそうです。

下品下生(げほんげしょう)
「観無量寿経」では、人が死ぬと極楽浄土へ生まれ変わるという九品(くほん)という考え方があるのですが、どんなふうに生きてきたかで、そのお迎えにもランクがあるとされています。

上品上生(じょうぼんじょうしょう)の善人は、阿弥陀仏が迎えに来て即座に極楽へ往生することができます。

一方で、極悪非道の行為を繰り返す下品下生(げぼんげしょう)の者は、念仏をとなえることで往生できますが、仏様のお迎えはないようです。

平等院に潜む密教の文化

このように、平等院は極楽往生のために、阿弥陀如来に心を集中させる場として造られたと一般的に考えられています。

でも、そうした「末法思想」だけでは平等院の一面しか見ることができないとする研究者もいます。

なぜかというと、平等院には密教の特徴がいくつか認められるから。

今に残る阿弥陀堂はもちろん、長く続いた戦乱の中で消失してしまった施設にも、記録からその特徴が見られるようです。

参考 平等院 鳳凰堂建立の思想的・信仰的背景 | ウィキペディア

密教の特徴とされる一つが阿弥陀像の「印相」(いんそう)で、手の指でつくる形が「定印」(じょういん)と呼ばれるものになっています。これは密教の「両界曼荼羅」(りょうかいまんだら)の阿弥陀如来が結んでいる形に対応しているそうです。

さらに像の内側はベンガラで赤く塗られていて、これは「両界曼荼羅」の金剛界五仏の西方阿弥陀に対応するのだそう。

そして、その像内には、阿弥陀の大呪・小呪(たいじゅ・しょうじゅ)を書いた月輪(丸い月のこと)が納入されていて、密教の修法である阿弥陀法の本尊でもあることを意味していると考えることができるようです。

阿弥陀像の中に月があるってどういう状態? というところが謎ですが、「はなこの仏像大好きブログ」さんに写真入りで詳しく書かれていて参考になります。

参考 平等院阿弥陀如来の胎内月輪 | はなこの仏像大好きブログ

蓮の花の上に月に見立てた丸い太鼓のようなものが作られていて、そこに梵字で阿弥陀大呪、小呪が書かれているそうで、「甘露、甘露」と書かれているそうです。これはやっぱり甘露寺さんが重なるイメージになるのかな?

でも、「無量光如来(阿弥陀如来)は、甘露(不死)の源、甘露(不死)の母体…」といった感じの内容が書かれているそうです。甘露寺さんは不死ではないので、ちょっと謎。

でも、ベンガラで赤く塗られているところは、「髪の毛と目ん玉が赤みがかっている」(第2巻 9話)という赫灼の子と重なるものがありそうですよね。

そして、阿弥陀堂が建つ「阿字池」の「阿」の字は、生じることも滅することもない、常住不変(じょうじゅうふへん)である不生不滅(ふしょうふめつ)を表しているとされています。

常住というのは、変化しないで常に存在していることで、悟りの境地でもあるのですが、永遠不変を願っていた無残様の願いとも重なりそうです。(第12巻 98話)

平等院と竈門神社に共通する曼荼羅の世界

そして、この「両界曼荼羅」は、炭治郎に関係があると注目されている神社にも深い関わりがあります。

炭治郎の名前は「竈門」で、煉獄さんから「溝口少年」と言い間違えられることから、福岡の「溝口竈門神社」との関連が早くから指摘されていました。

この神社の勧請元となるのが、宝満宮竈門神社(ほうまんぐうかまどじんじゃ)です。

勧請(かんじょう)
神仏の分身、分霊を、他の地に移して祀ることをいいます。

分けるといっても神仏が2分の1になったりすることはなく、ちょうどロウソクの火をつぐように無限に分けることができると考えられています。

分けた先も同じ神様なので、その働きは勧請元の神社と同じと考えられています。

溝口竈門神社の場合、宝満宮竈門神社の主祭神 玉依姫命(たまよりひめのみこと)を勧請してお迎えしているということになります。

宝満宮竈門神社がある宝満山(ほうまんざん)には、市松模様の装束を着た宝満山伏がいます。

宝満山の修験者は、日本三大修験道場とされる豊前の英彦山(ひこさん)の修験者と、鎌倉時代のころから「入峰」(にゅうぶ)という形で交流していて、この2つの山は大日如来を表す2つの世界、金剛界(宝満金剛界)と胎蔵界(英彦山胎蔵界)として発展してきた歴史があるんですよね。

参考 国指定史跡英彦山保存活用計画の策定について 第2章添田町及び英彦山の概要vol.2 | 福岡県 添田町

柱と12鬼月に重なる両界曼荼羅

「金剛界」と「胎蔵界」には、それぞれこんな特徴があります。

金剛界曼荼羅

金剛界(こんごうかい) … 宝満山
「陽」であり、「父」を表す。インドでは東が正面となるように祀る。

金剛界曼荼羅は「会」と呼ばれる9つの区画に区切られて表現される仏の世界で、会を構成する円は月輪(丸い月)を表しています。

大日如来の智的構成を示し、金剛不壊(こんごうふえ)という、何ものにも傷つけられない堅固な悟りや智恵を表します。

・成身会(じょうじんね)
・三昧耶会(さんまやえ)
・微細会(みさいえ)
・供養会(くようえ)
・四印会(しいんね)
・一印会(いちいんね)
・理趣会(りしゅえ)
・降三世会(ごうざんぜえ)
・降三世三昧耶会(ごうざんぜさんまやえ)

胎蔵界曼荼羅

胎蔵界(たいぞうかい) … 英彦山
「陰」であり、「母」を表す。インドでは西が正面となるように祀る。

胎蔵界曼荼羅は「院」と呼ばれる12の区画に区切られて表現される仏の世界で、曼荼羅には描かれない東西南北の門を護る四大護院を合わせて13の院で構成されています。

八葉の蓮華の中央に座す大日如来を中心に、仏の世界が波紋のように広がる様子を示し、現象界の理法(理性)を表します。

・中台八葉院(ちゅうだいはちよういん)
・遍知院(へんちいん)
・金剛手院(こんごうしゅいん)
・持明院(じみょういん)
・蓮華部院(れんげぶいん)
・釈迦院(しゃかいん)
・文殊院(もんじゅいん)
・除蓋障院(じょがいしょういん)
・虚空蔵院(こくうぞういん)
・蘇悉地院(そしつじいん)
・地蔵院(じぞういん)
・最外院(さいげいん)

9人で構成される鬼殺隊の柱と、12体の鬼で構成される12鬼月にぴったり一致する数字が出てきました。

しかも胎蔵界曼荼羅には、縁壱の剣技にもつながる考え方があるようです。(第21巻 180話、第21巻 187話)

柱と重なる金剛界曼荼羅は月を表す月輪で構成されているというところも、月に痣のような模様が象徴的に描かれる鬼滅の刃の物語に重なりそうですよね。

そして、12鬼月と重なる胎蔵界曼荼羅は、中央に赤く表現される蓮の花が、人間の心臓を表しているといいます。

「四国おへんろ.net」さんでは、こんな解説がありました。

人は誰でも仏になりうる性をもつので、迷いの心をかき消せば、心の内の菩提心が花開き、仏の世界が開かれるということを、仏像をかりて具現したものです。

参考 曼荼羅(マンダラ)でわかる!密教の世界 | 四国おへんろ.net

当ブログでは、鬼退治のために首を斬るのは脳と心臓を切り離すことを目標にしているのではないかと考察していたのですが、心臓はやはり鬼にとって重要な臓器ということになりそうです。

宝満山と英彦山にあった刀鍛冶文化

さらに宝満山と英彦山の文化を詳しく見ていくと、九州地方は古くから大陸との窓口でもあったため、国防の面でも重要な場所として、かなり古くから刀鍛冶文化があったようです。

竈門山(宝満山)には「金剛兵衛盛高」(こんごうびょうえ もりたか)という刀鍛冶が、そして英彦山には「左文字」の祖といわれる「良西」(りょうさい)という刀鍛冶が住んでいたそうですよ。

それぞれ修験者として僧籍も持っている刀鍛冶だったようです。

後醍醐天皇と足利氏の間で発生した建武の乱(建武2年~建武3年、1335~1336年)では、左文字派の人々は南朝方に属する菊池武敏(きくちたけとし)に従って戦っているのですが、時の利がなく菊池軍は大敗。左文字派で生き残った者は散り散りになって、各地に移住していったそうです。

参考 英彦山と修験者を訪ねて(前編) | 武士道美術館
参考 英彦山と修験者を訪ねて(後編) | 武士道美術館
参考 五箇伝以外の代表的な名工 左文字 | 刀剣ワールド

伝説の名刀「蛍丸」

この辺はもしかすると、刀鍛冶の里の皆さんに重なるのかもしれません。というのも、この多々良浜の戦いでは「蛍丸」という刀剣の伝説があるのです。

「蛍丸」は、阿蘇大宮司 阿蘇惟澄(あそだいぐうじ・あそこれずみ)が用いた4尺5寸(約1m36cm)もある大太刀で、戦場から退く際に敵を打ち払い続けたことで刃毀れしてしまい、刀の刃がのこぎりのようになってしまったのだそう。

でも、その夜、刃こぼれした欠片が無数の蛍になって、もとの刀に宿り、刃こぼれのない刀に戻る夢を見て惟澄が目を覚ますと、実際に刃こぼれが直っていたため、「蛍丸」と名付けられたそうです。

蛍といえば、鋼鐵塚さんの名前が蛍でした。(第12巻 101話)刃毀れした刃といえば伊之助の刀を思い出しますよね。

参考 05多々良浜の戦い | 菊池一族
参考 武将 惟澄と蛍丸に捧げる 純米吟醸 蛍丸 | 通潤
参考 菊池一族、九州を翔ける③・・・・菊池武敏、多々良浜に舞う| エンクレスト歴史探訪

こうしてみると、平等院と宝満山に共通する密教文化には、鬼滅の刃を構成するかなりコアな部分と重なってきそうです。

平等院の周辺を見ていくと、鬼滅の刃とつながりそうなイメージがさらにあるみたいですよ。

長くなりそうなので、後ほど別記事にまとめてみます。

サルスベリから鳳凰堂につながる考察や、無限列車につながりそうなお祭りに関する考察もあるので、よかったらこちらも覗いてみてくださいね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました