9人の柱と12鬼月の謎を解く鍵は、平等院にあり

阿弥陀堂の鳳凰

Byodoin Temple has been influenced by esoteric culture. It is a culture that is shared with the Homan-Kamado Shrine.
平等院は密教文化の影響があります。それは、宝満竈門神社と共通する文化です。

Homan-Kamado Shrine is related to the shrine that is said to be the sacred place of Demon Slayer.
宝満竈門神社は、鬼滅の刃の聖地と言われる神社と関連があります。

Esoteric Buddhism seems to hide the secrets of The Hashira and The Twelve Kizuki.
密教には、柱や12鬼月の秘密が隠れていそうです。

(この記事は、第5巻、第6巻、第7巻、第8巻、第9巻、第10巻、第12巻、第13巻、第16巻、第17巻、第19巻、第21巻のネタバレを含みます)

 
逸翁美術館蔵の「大江山酒天童子絵巻」(14世紀)によると、源頼光(みなもとのよりみつ)らに討ち取られた酒呑童子の首級(しゅきゅう)は京へ持ち帰られ、帝らの検分を終えた後、宇治の平等院の宝蔵に収められたとしています。

「平等院の宝蔵」というのは、阿弥陀堂(鳳凰堂)の南西にあったとされる伽藍の一つで、代々の藤氏長者(とうしのちょうじゃ)が鍵を受け継ぐといわれる伝説の経蔵(きょうぞう)のことです。

 

首級
討ち取った首。しるし。

中国の戦国時代の秦の法律では、兵の士気を高めるため、軍功に対しては十分な賞を与えなければならないという考えの下、敵の首を一つ取ると1階級上がる仕組みが採用されていました。このため、その首のことを「首級」といいます。

ただし、刑を重くすれば兵は死にものぐるいで戦うので、結果として他国からも畏れられることになるとして、敵に降伏したり逃亡したりした場合は重い罰則が課せられることがセットになっていました。

この方法で秦は中国を統一することは叶いましたが、始皇帝の死後3年で滅亡しています。

経蔵
仏教の経典を収める蔵のこと。

 

なんでも、平等院を作った藤原頼通は、亡くなった後に竜神となって宇治川にすんでいるそうで、丑の刻になると川から姿を現して経蔵の中を見回るそうですよ…。

こんな伝説が生まれるほどに、平等院は昔から特別な場所だったようです。

そして「鬼滅の刃」も、平等院にイメージが重なるところがありそうなんですよね。

平等院の阿字池(あじがいけ)から、940年ごろのサルスベリの花粉が検出されたというニュースがあったのですが、これは大体、将門の乱と同じ時代になるようです。

平将門公は煉獄さんとイメージの重なるところがいくつかあり、サルスベリの「千日花」という別名には、煉獄さんの弟の千寿郎くんの名前が重ねることができそうです。

煉獄兄弟のイメージが重なる平等院は、もしかすると「鬼滅の刃」と何か関係のあるヒントがあるのかもしれません。

平等院が生まれた末法の時代

平等院のはじまりは、「源氏物語」に出てくる、光源氏のモデルともいわれる源融(みなもとのとおる)が造営した別業(べつぎょう=別邸)です。

その後、陽成天皇(ようぜいてんのう)や宇多天皇(うだてんのう)など所有者が変わり、藤原道長を経て、その息子・頼通の時代には邸宅部分を本堂にして寺院に改められます。

「扶桑略記」(平安末期)によると、それは末法元年とされる永承7年(1052年)のことになります。

時代的にも、疾病の流行や火災、僧兵の強訴といった混乱が続き、都の治安も乱れて人々の不安が高まっていました。

天皇の外戚として権勢を振るっていた藤原氏も、道長が亡くなった後は藤原氏と姻戚関係を持たない後三条天皇が即位したことで権力を失っていきます。摂関政治から院政政治へ移っていく時代でした。

 

末法元年(まっぽうがんねん)

釈迦の入滅の後、正法(しょうほう)・像法(ぞうほう)という時代があり、最後に末法(まつぽう)が訪れるという考え方で、平安時代に大流行しました。

正法と像法は、それぞれ500年続くとも1000年続くとも言われていて、数え方もその組み合わせも様々な捉え方があって一定していませんが、「末法になると真の仏法が衰えてしまう」ところは共通していて、日本では永承7年(1052年)がその始まりと考えられていました。

 

平等院が再現する極楽浄土の世界

平等院の山号は朝日山です。本堂は現在の鳳凰堂の北、宇治川の岸辺近くに設けられ、大日如来を本尊としていました。

山号やご本尊が太陽にまつわるところは、鬼滅の刃にぴったりですよね。

現在も残る阿弥陀堂(鳳凰堂)ができたのは、翌年の天喜元年(1053年)で、本尊は阿弥陀如来坐像です。

極楽往生(ごくらくおうじょう)を説く「観無量寿経」(かんむりょうじゅきょう)に描かれる浄土の景色そのままに、池の中洲に御堂が建てられていて、朝日を正面に受ける東向きになるよう造られているのが特徴です。

平等院の名にある「平等」は、「仏の救済が平等」であるということを意味し、その教えを光であらわしているのだそう。光明が世界のすみずみを照らすように、念仏をとなえるすべての人を救ってくれるとされ、それは一人の例外もないといいます。

ちょっと興味深いのは、「観無量寿経」には「無量寿経」や「阿弥陀経」とは少し違う部分があるところ。

他のお経では七宝や黄金からできているとされる極楽浄土を「瑠璃からできている」としていて、「禅観」(ぜんかん)を極楽往生の方法としています。

「瑠璃」といえば、煉獄さんのお母さんの「瑠火」さんの名前にも入っている文字です。

また、「禅観」は仏教の修法の一つで「坐禅観法」のこと。こちらは、禅宗の祖とされる達磨大師のイメージが重なる義勇さんを思わせます。

どことなく鬼滅の刃の世界につながっていく経典になるようです。

 
参考 観無量寿経の背景にあるもの 入澤 崇 【佛教大学総合研究所紀要 1999(別冊)号(19990325) 111入澤崇「観無量寿経の背後にあるもの (浄土教の総合的研究)】 | ECHO-LAB

 
特に興味深いのは、他のお経では「五逆十悪の悪人」は阿弥陀仏の救済から除かれるとされているのに対して、「観無量寿経」は全ての衆生が成仏できるとし、五逆十悪の悪人であっても念仏をとなえることで「下品下生」(げほんげしょう)の救済があるとしているところです。

人間は誰でも悟ることができる素質を持っているとする考え方を「一乗主義」といいます。

「人を喰った鬼に情けをかけるな」という義勇さんに対し、「鬼であることに苦しみ、自らの行いを悔いている者を踏みつけにはしない」と応える炭治郎の姿が重なります(第5巻 43話)

「観無量寿経」を現世に表した平等院は、鬼滅の刃の物語にぴったりと言えそうです。

 

下品下生(げほんげしょう)
「観無量寿経」では、人が死ぬと極楽浄土へ生まれ変わるという九品(くほん)という考え方があるのですが、どんなふうに生きてきたかで、そのお迎えにもランクがあるとされています。

上品上生(じょうぼんじょうしょう)の善人は、阿弥陀仏が迎えに来て即座に極楽へ往生することができます。

一方で、極悪非道の行為を繰り返す下品下生(げぼんげしょう)の者は、念仏をとなえることで往生できますが、仏様のお迎えはないようです。

 

 

平等院に潜む密教の文化

このように、平等院は極楽往生のために、阿弥陀如来に心を集中させる場として造られたと一般的に考えられています。でも、そうした「末法思想」だけでは平等院の一面しか見ることができないとする研究者もいます。

なぜかというと、平等院には密教の特徴がいくつか認められるから。

今に残る阿弥陀堂はもちろん、長く続いた戦乱の中で消失してしまった施設にも、記録からその特徴が見られるようです。

 
参考 平等院 鳳凰堂建立の思想的・信仰的背景 | ウィキペディア
 

密教の特徴とされる一つが阿弥陀像の「印相」(いんそう)で、手の指でつくる形が「定印」(じょういん)と呼ばれるものになっています。これは密教の「両界曼荼羅」(りょうかいまんだら)の阿弥陀如来が結んでいる形に対応しているといいます。

さらに像の内側はベンガラで赤く塗られていて、これは「両界曼荼羅」の金剛界五仏の西方阿弥陀に対応するのだそう。

そして、その像内には、阿弥陀の大呪・小呪(たいじゅ・しょうじゅ)を書いた月輪(丸い月のこと)が納入されていて、密教の修法である阿弥陀法の本尊でもあることを意味していると考えることができるようです。

阿弥陀像の中に月があるってどういう状態? というところが謎ですが、「はなこの仏像大好きブログ」さんに写真入りで詳しく書かれていて参考になります。

 
参考 平等院阿弥陀如来の胎内月輪 | はなこの仏像大好きブログ
 

蓮の花の上に月に見立てた丸い太鼓のようなものが作られていて、そこに阿弥陀大呪、小呪で、「甘露(不死)、甘露(不死)」と書かれているそうです。

そして、阿弥陀堂が建つ「阿字池」の「阿」の字は、生じることも滅することもない、常住不変(じょうじゅうふへん)である不生不滅(ふしょうふめつ)を表しているとされています

常住というのは変化しないで常に存在していることで、悟りの境地でもあります。

平等院と竈門神社に共通する曼荼羅の世界

そして、この「両界曼荼羅」は、炭治郎に関係があると注目されている神社にも深い関わりがあるのです。

炭治郎の名前は「竈門」で、煉獄さんから「溝口少年」と言い間違えられることから、福岡の「溝口竈門神社」との関連が早くから指摘されていました。

この神社の勧請元となるのが、宝満宮竈門神社(ほうまんぐうかまどじんじゃ)です。

 

勧請(かんじょう)
神仏の分身、分霊を、他の地に移して祀ることをいいます。

分けるといっても神仏が2分の1になったりすることはなく、ちょうどロウソクの火をつぐように無限に分けることができると考えられています。

分けた先も同じ神様なので、その働きは勧請元の神社と同じと考えられています。

溝口竈門神社の場合、宝満宮竈門神社の主祭神 玉依姫命(たまよりひめのみこと)を勧請してお迎えしているということになります。

 

宝満宮竈門神社がある宝満山(ほうまんざん)には、市松模様の装束を着た宝満山伏がいます。

宝満山の修験者は、日本三大修験道場とされる豊前の英彦山(ひこさん)の修験者と、鎌倉時代のころから「入峰」(にゅうぶ)という形で交流していて、この2つの山は大日如来を表す2つの世界、金剛界(宝満金剛界)と胎蔵界(英彦山胎蔵界)として発展してきた歴史があるんですよね。

 
参考 国指定史跡英彦山保存活用計画の策定について 第2章添田町及び英彦山の概要vol.2 | 福岡県 添田町
 

柱と12鬼月に重なる両界曼荼羅

というわけで、「鬼滅の刃」と「両界曼荼羅」はかなり関係がありそうですよ。

まずはこちら、金剛界曼荼羅です。

 
金剛界曼荼羅

【金剛界(こんごうかい) … 宝満山が対応】

「陽」であり、「父」を表す。インドでは東が正面となるように祀る。

金剛界曼荼羅は「会」と呼ばれる9つの区画に区切られて表現される仏の世界で、会を構成する円は月輪(丸い月)を表す。

大日如来の智恵や道徳の世界を表現する曼荼羅で、大日如来の知恵が金剛(ダイヤモンド)のように堅く、何者にも屈しないという「金剛不壊」(こんごうふえ)という考え方を表す。

【読み】
・成身会(じょうじんね)
・三昧耶会(さんまやえ)
・微細会(みさいえ)
・供養会(くようえ)
・四印会(しいんね)
・一印会(いちいんね)
・理趣会(りしゅえ)
・降三世会(ごうざんぜえ)
・降三世三昧耶会(ごうざんぜさんまやえ)

 

そして、胎蔵界曼荼羅です。

 
胎蔵界曼荼羅

【胎蔵界(たいぞうかい) … 英彦山が対応】
「陰」であり、「母」を表す。インドでは西が正面となるように祀る。

胎蔵界曼荼羅は「院」と呼ばれる12の区画に区切られて表現される仏の世界で、曼荼羅には描かれない東西南北の門を護る四大護院を合わせて13の院で構成される。

悟りの世界そのものを表す曼荼羅で、母親が胎内で子どもを守り育てるように、悟りの本質も生まれ育つことを表す。

中央の赤い蓮の花は人間の心臓を表現していて、どんな人も仏になる素質があり、大日如来の慈悲でその道が開かれるという考え方を表している。

【読み】
・中台八葉院(ちゅうだいはちよういん)
・遍知院(へんちいん)
・金剛手院(こんごうしゅいん)
・持明院(じみょういん)
・蓮華部院(れんげぶいん)
・釈迦院(しゃかいん)
・文殊院(もんじゅいん)
・除蓋障院(じょがいしょういん)
・虚空蔵院(こくうぞういん)
・蘇悉地院(そしつじいん)
・地蔵院(じぞういん)
・最外院(さいげいん)

 

9人で構成される鬼殺隊の柱と、12体の鬼で構成される12鬼月にぴったり一致する数字が出てきました。しかも胎蔵界曼荼羅には、縁壱の剣技にもつながりそうな表現があるようです。(第21巻 180話、第21巻 187話)

柱と重なる金剛界曼荼羅は、月を表す月輪で構成されているというところも、月に痣のような模様が象徴的に描かれる鬼滅の刃の物語に重なりそうですね。

そして、12鬼月と重なる胎蔵界曼荼羅は、中央に赤く表現される蓮の花が人間の心臓を表しているといいます。

大日如来の「大日」は太陽を意味します。この太陽の力を宿した日輪刀で鬼の頸を斬ること。そして無惨様に支配された脳と心臓を切り離すことで、最期は炎に包まれて消えていく。この様子は、曼荼羅の表す心臓の意味と併せてみると、何か深い意味が込められていそうです。

ちなみに、仏教では罪人が臨終を迎えるとき、猛火に包まれた車(火車)が地獄へ送るために迎えに来るという話もあります。

 

火車(かしゃ)
地獄のお迎えのこと。仏画では炎を上げる大八車のようなものに亡者を乗せて、獄卒(ごくそつ)がひいていく様子が描かれます。

獄卒というのは、地獄で亡者を責めるといわれる鬼のことです。

 

 

下弦の鬼が処分されなければいけなかった理由

山伏 鈴懸
 

興味深いのは、修験道の法衣の一つ、「鈴懸」(すずかけ)という法衣にも、両界曼荼羅の考え方が反映しているところです。

鈴懸というのは、入峰修行(にゅうぶしゅぎょう)の際に白衣の上に着用する修験道の法衣の一つ。上の図でいうと、柿色の部分がそうです。

「世界大百科事典 第2版」によると、「九布の上衣と、八つの襞(ひだ)のある袴」からなると説明されていて、九布でできた上衣は「金剛界九会」、袴は「胎蔵界八葉」という曼荼羅に見立てて、宇宙を表しているとのこと。

「胎蔵界八葉」というのは、大日如来を中心に周囲を囲む8枚の蓮の花弁に四如来、四菩薩が描かれた部分です。上の胎蔵界曼荼羅でいうと、「中台八葉院」に当たる部分だと思うのですが、でも「8葉」という数字は興味深いですよね。

というのも、9人の柱と対峙した12鬼月が、ちょうど8体になるのです。

 

1. 上弦の壱 黒死牟(こくしぼう) (第19巻 165話)
2. 上弦の弐 童磨(どうま) … 柱と対峙した回は「第16巻 141話」
3. 上弦の参 猗窩座(あかざ) … 柱と対峙した回は「第8巻 63話」と「第17巻 146話」
4. 上弦の肆 半天狗(はんてんぐ) … 柱と対峙した回は「第12巻 106話」
5. 上弦の伍 玉壺(ぎょっこ) … 柱と対峙した回は「第13巻 110話」
6. 上弦の陸 妓夫太郎・堕姫(ぎゆうたろう・だき) … 柱と対峙した回は「第9巻 73話」と「第10巻 85話」
7. 下弦の壱 魘夢(えんむ) … 柱と対峙した回は「第7巻 54話」
8. 下弦の伍 累(るい) … 柱と対峙した回は「第5巻 42話」

 

後半になると鬼の数が追加されますが、無惨様が4体の鬼を処分した時点では12鬼月に入っていないので除外して考えると、「12鬼月-柱と対峙した8体の鬼=処分された4体の鬼」と妙にぴったり合う数字になるんですよね。(第6巻 52話)

鈴懸に当てはめられた曼荼羅で考えると、以下の4体の鬼は襞の数に入らないので、「金剛界九会」のイメージに重なる柱と対峙する縁は、元々なかったということが言えるのかもしれません。

 

1. 下弦の弐 轆轤(ろくろ)
2. 下弦の参 病葉(わくば)
3. 下弦の肆 零余子(むかご)
4. 下弦の陸 釜鵺(かまぬえ)

 

こうして見ると、「鬼滅の刃」は平安時代に広まった密教や浄土信仰の要素を、かなりがっつりと織り込んでいるみたいですね。これはやはり「三ツ山大祭」の「五色山」にある仏教のイメージが重ねられているのでしょうか。

長いですけど、よかったらこちらの記事も覗いてみてくださいね。

 

 

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