1000年の鬼の歴史で、禰豆子が初めて太陽を克服できたのはなぜ?

山の神のイメージ

It seems understandable that Nezuko overcame the sun, considering the nature of the moon god and mountain god.
禰豆子が太陽を克服したのは、月の神や山の神の性格を考えると理解できそうです。

(この記事は、第1巻、第2巻、第3巻、第5巻、第6巻、第10巻、第11巻、第13巻、第15巻、第16巻、第23巻のネタバレを含みます)
 

1つ前の記事で、禰豆子が鬼化するまで、かなり時間がかかっていることがわかりました。

襲撃現場となった場所も、山岳信仰の山がすぐそばにいくつもある、特別な地域になるようです。

では、禰豆子が人の血肉を必要とせずに変化していくのも、太陽を克服することができたのも、「山の神≒月の神」が関係していたりするのでしょうか?

この記事では禰豆子の変化に注目して、原作で描かれていることを見直してみました。

禰豆子に現れる山のサイン、月のサイン

禰豆子の変化に注目すると、こんな表現があります。

 

・髪の毛の色と、目の色の変化(第1巻 1話)
・竹を使った口枷(第1巻 1話)
・痣と角の発現(第10巻 83話)
・ウサギのイメージと重なる「眠り」(第1巻 4話、第10巻 85話)
・血の成分が何度も変化(第15話 126話)
・爆血の発現(第5巻 40話)、爆血刀の発現(第13巻 112話)

 

髪の色と目の色(太陽、山の神)

禰豆子の最初の変化は、髪の色と目の色の変化でした。鬼化してから髪の毛先がベンガラ~丹色に、瞳の色は薄紅色に変わっています。

和の色彩では、これらは赤に含まれる色なので、赤みを帯びた髪、赤みを帯びた瞳という「赫灼の子」の要素に当てはまりそうです。

 

色見本 表記 意味
赤のイメージ あかい色の総称で、あかの正色といわれる
紅のイメージ べにばなの色で、桃色がかったあか
丹のイメージ 丹砂の色で、朱の白色をおびた色
赭のイメージ べんがら色、赤土のいろ

 

 

民俗学では「赤は太陽を表す色」と言う人がいるところは興味深いですよね。

参考 色のフォークロア研究における諸前提 小林忠雄 | 国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ

そして、山の神は農耕神の顔も持っているので、太陽とも縁があるみたいですよ。

農村では春になると、山の神が田の神として里に降りてくるという祭日があるのですが、この日は春のお天道様(太陽)を迎えて祝うという地域があるのです。

こちらの記事を参考にしてみてくださいね。

 

 

竹を使った口枷(山の神)

禰豆子といえば竹の口枷がトレードマークですが、山の神の行事でも竹は大切な植物とされているようです。

特に重要なのは、「どんと焼き」とも、「とんど焼き」とも呼ばれる新春の行事で、正月十五日を中心に行われる火祭りです。十五日は、旧暦では新年最初の満月の日にあたります。

この火祭りは地域によって名前が変わりますが、全国的に見られる行事で、正月飾りやお守り、御札などを燃やします。元旦に家々の門松を目印に高い山からやってきたお正月様は、この煙にのって山にお帰りになると考えられています。

九州では「鬼火たき」、「ほんけんぎょう」、「ほんげんぎょう」ともいい、青竹でやぐらを組むのが特徴。青竹の爆ぜる音で鬼を追い払うといいます。

最初は管理人も歌舞伎に出てくる竹に注目していたのですが(汗)

山の神の行事が残る地域では、この他にも竹が使われることが多いようで、「山の神との関連を表す象徴」と考えてもよさそうです。

 

 

痣と角の発現(月、山の神)

原作では、あまね様が「竈門炭治郎様、彼が最初の痣の者」と言う場面がありますが(第15巻 128話)、「痣」もきっかけは、やっぱり禰豆子ですよね。

戦闘中に鬼化が進んだ禰豆子に痣が現れて、この直後の戦いで、炭治郎の額の傷は妓夫太郎も「痣」と認めるほど変化します。(第10巻 83話)

痣に関しては、第15巻 128話に「痣の者が一人現れると、共感するように周りの者たちにも痣が現れる」という話が出てくるのですが、炭治郎の痣がはっきりと出現する直前、建物の崩壊に巻き込まれて気を失っている間に、禰豆子のメッセージを受け止めている様子が描かれているのも印象的です。(第11巻 92話)

民俗学では、「痣は月が象徴する醜さにつながる」ととる地域もあるようです。

 

 

月といえば、月の満ち欠けを司り、夜を統べる神様として、古事記にも登場する「月読命」がいます。天照大神、素戔嗚命とともに三貴神として生まれた神様ですが、記述が少ないので詳細がよくわからない神様でもあります。

一般では「ツクヨミ」と読むことが多いのですが、伊勢神宮や月読神社では「ツキヨミ」と読むそうで、「ツキヨミ」は「月を読む」として、暦と結びつけて月の暦を数える神様と考える研究者もいるようです。

一方で、山の神は「山の神の日」とされる日に、山の木の数を数えると伝える地域が多数あるんですよね。

この日に山に入ると人間も木に数えられて戻ってこれなくなるといって、山に入ることは禁忌とされ、山仕事もお休みになります。

山の神がなぜ木を数えるのかはわかりませんが、木の年輪は1年に1本ずつ刻まれるもの。月の神が暦を数えるのと、何となく通じるものがありそうです。

ウサギのイメージと重なる「眠り」(山の神、月の神)

禰豆子が回復のために必要とするのは、人の血肉ではなく「眠り」です。

「鬼滅の刃」に出てくる鬼は、体力を回復するために人の血肉を必要としますが、禰豆子は「眠り」で回復します(第2巻 10話)

珠世さんによると、鬼は人の血肉や獣の肉を口にすることができなければ凶暴化してしまうとのことですが、二年間眠り続けた禰豆子にはその症状はありません(第2巻 15話)

それどころか、回復の眠りとともに無惨の把握(呪い)を外してしまうし(第6巻 52話)、鬼化が急激に進んで角と痣が出現しても、回復の眠りに入ることで、暴走をコントロールしてしまいます。(第10巻 83話)

無惨は「睡眠も不必要」(ファンブック第二弾137頁)ということなので、禰豆子の「眠り」は通常の鬼とは違う、ちょっと変わった要素になるようです。

民俗学では、ウサギは月の神、氏神、祖霊、農神、族霊と関連して捕らえる地域があることから、ウサギを山の神や産神と見る人もいるみたいですよ。

ウサギそのものがよく眠る動物と見られているようで、子守唄にウサギが歌われているのも、よく眠る動物というイメージが影響しているようです。

 

 

というわけで、「眠り」は山の神の働きを象徴していると見てもよさそうですね。

そういえば、仏教には月にウサギがいるという伝説もありました。

帝釈天が化身した老人のために何も役に立つ働きができなかったウサギは、焚き火を起こして火の中に飛び込み、自らの身を食料として供したので、その行動を後世まで伝えるために月にその姿が残されたという話です。

ウサギは山の神とも、月の神とも重なるイメージになるようです。

禰豆子の変化は血の成分からの変化(月)

そして、禰豆子の大きな特徴として、「血の成分が何度も変化している」(第15話 126話)ことが珠世さんの手紙で語られます。

「何度も変化する」ところは、満ち欠けする月の特徴にも重なりますが、これは抗体を作り出すB細胞の姿にも重なります。

1976年に利根川進博士の研究によって「抗体多様性」の仕組みが明らかになるまでは、「全ての遺伝子は、生涯を通じて変化することがなく、指紋のようにその人を特定することができる」と考えられていたのですが、免疫に関わるB細胞は自らの抗体遺伝子を組み替えることができて、無数の異物に対応して多くの抗体を作ることができるのです。

「遺伝子を組み替えることができる」=「根本から変化することができる」ために、限られた遺伝子であらゆる異物に対応することができるんですね。

ともあれ、禰豆子の変化には、月、もしくは山の神に関わるイメージがこのように度々描かれています。

1つ、2つなら偶然かもしれませんが、ここまでくると丹念すぎるくらいですよね。しかも民俗学から分子生物学まで。ワニ先生の知識って幅広いですね(汗)

爆血の発現は、無惨の細胞が弱まったから?

「鬼滅の刃」で描かれる鬼について読み直してみると、無惨のみが人を鬼に変える血を持っており(第2巻 11話、ファンブック第一弾 93頁)、鬼は無惨の細胞が体内に残留している状態(第3巻 19話)という特徴があるようです。

無惨が鬼の思考・位置を把握することが出来るのも、鬼の体内に残っている細胞から情報を得ているためというわけですね。

無惨の名を口にする鬼、つまり裏切る可能性のある鬼に、無惨の呪いが発動するのも、鬼の体内に残っている細胞を使って、鬼の細胞を破壊することができるから(ファンブック第一弾 93頁)というわけです。

これは解剖学から見てもけっこう考えられた仕組みがありそうで、考察している記事があるので、よかったらこちらも覗いてみてくださいね。

 

 

珠世さんが「禰豆子さんは近いうちに太陽を克服すると思います」(第15巻 127話)と判断したのも、もしかすると禰豆子の体内に残留する無惨の細胞に、何らかの変化があったからなのかもしれません。

そして最後に炭治郎が救われたのも、「禰豆子の体に、無惨の細胞に対して免疫のある抗体があった」ということが禰豆子と炭治郎の会話で語られるのですが(第23巻 204話)、これはそのまま血清療法に当てはまります。

 

抗体の発見
抗体が発見されたのは1889年、ドイツ留学中の北里柴三郎博士が取り組んでいた、破傷風の抗毒素の研究によります。

当時この仕組みはまだ解明できなかったものの、細菌がつくる毒素をごく微量から与え初めて、段階的に濃度を上げていくと、動物は少しずつ免疫を獲得し、致死量の毒素にも耐えられるようになることが確認されました。

そして免疫を獲得した動物から採取した血清を、別の動物に注射すると、注射した動物も毒素に耐えられるようになることがわかったのです。

この研究の翌年には血清が製剤化され、破傷風の治療や予防に対する血清療法が確立しました。

 

抗体の発見は、大正元年からさらに22~23年前の話になります。

医者である珠世さんが、鬼を人に戻す治療のために「鬼の血」に注目しているのも、抗毒素の研究について知っていたからと言えそうですね。

禰豆子と炭治郎の会話では、「禰豆子は一度鬼になって、人間に戻ってる体だから抗体を持っている」と考えられているのですが、第3巻 17話に出てくる朱紗丸との戦いでは、禰豆子が足に怪我をした際には、珠世さんは「すぐに血が止まらない」「回復が遅い」と考えている場面が描かれています。

第2巻 12話では、沼鬼が「この女は恐らく分けられた血の量が多いんだ!!」と言っていたのですから、禰豆子の体内にある無惨の細胞は、このときすでにその活動が弱められていたのかもしれませんね。

爆血の発現、爆血刀の発現(山の神、太陽)

ただ、このときの禰豆子はすぐに体を強化して、朱紗丸の毬を蹴り返しています。

禰豆子の鬼としての変化は、無惨の細胞を必要としない方法で始まっていた可能性がありそうです。

この後、禰豆子は大きな局面を迎えるたびに変化していきます。

 

・那田蜘蛛山 … 燃える血、爆ぜる異能「爆血」の発現(第5巻 40話)
・鍛冶の里 … 日輪刀と血鬼術を混ぜた「爆血刀」の発現(第13巻 112話)
・鍛冶の里 … 太陽の克服(第15巻 126話)

 

鬼に対する威力を見ると、禰豆子の爆血は「鬼滅の刃」のタイトル候補にもあった、火之迦具土(ヒノカグツチ)の「火」にイメージが重なる血鬼術といえそうです。

「山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰」(吉野裕子著)によると、易では「太陽は火精、つまり火の集積である」と考えられていたそうで、火と太陽のイメージが重なるところも興味深いです。

 

 

太陽克服に、「山の神≒月の神」の働きがあった可能性

那田蜘蛛山では蜘蛛の鬼の糸に絡め取られていたり、鍛冶の里では崩れた建物の下敷きになっていたり、隠れる場所のない開けた場所で夜が明けはじめたり、その度に禰豆子は窮地に陥っています。

でも、そうした危機の中でも、禰豆子は自分のことよりも先に人を助けるための、よき判断を重ねていきます。

「山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰」によると、山の神は「その祖霊としての尊厳性の上からも、礼を欠く人間に対しては即時即刻、剋殺をもってその無礼に報復し、仕返しをする」、つまり「人間の死命を制し、生殺与奪の力をもち、無礼を許さぬもの」であると紹介されていました。

無礼に対しては報復として命も奪ってしまう山の神の力が、正しい判断と礼節のある対応に対しては、よい方向へ力を発揮してくれるのだとすれば、禰豆子がなぜ太陽を克服することができたのか、その理由はこんなふうに考えることができそうです。

それは、悲鳴嶋さんも認めるほどの、よき判断をしたから。(第15巻 126話、第16巻 135話)

現在の感覚では理解しにくい部分ですが(汗)そんなふうに考えることはできないでしょうか。

無限列車のイメージが重なる射楯兵主神社の三ツ山大祭では、富士山を表す二色山に仁田忠常の猪退治が表現されていました。そして忠常が登場する「吾妻鏡」には、巻狩りという行事で武士と山の神の関係が描かれています。

藤襲山の最終選別も、山の神の性格を考えると、少し違った見方ができそうです。禰豆子の場合も、山の神が関わる何かが絡んでいそうです。

 

 

果たして太陽の克服は、禰豆子のためになるのか?

ただ、ここまで考えると、疑問が出てきます。この変化は禰豆子にとって本当によい変化だったんでしょうか?

太陽は克服しても、人間に戻った訳ではありません。鬼として太陽を克服しただけです。

無惨を滅殺できなければ、「禰豆子を喰って取り込むことで、太陽を克服する」という無惨の願いを叶えるだけになる可能性があります。

というか、もしかすると、それが狙いだったりするのかも(汗)

再生能力の高い生物が持っている特徴

ちょっとここで、鬼滅の刃に出てくる鬼の特徴を振り返ってみると、その尋常ではない再生能力があります。

鬼の再生能力は架空のお話ではありますが、それほどのスピードはなくても、自然界にはある程度の再生能力を持った生物が実際にいます。

古くから研究されている、プラナリア(ナミウズムシ)などが有名ですよね。

 
プラナリアのイメージ
 

0.5cm~2cmほどの大きさで、単純な構造ですが目と脳を持っている無脊椎動物です。

その再生能力はかなり高くて、体を縦に切ってもそれぞれが再生して、最終的に2匹のプラナリアになってしまいます。

これは「全能性幹細胞」という特殊な細胞がプラナリアの全身に散在しているためで、こうした細胞は、核が大きくて細胞質が小さいといった未分化な細胞の特徴を持っています。

ただ、こうした特別な細胞は、放射線に当たると消失してしまいます。増殖中の細胞は盛んにDNAを複製しているので、放射線が当たると変異を生じて、死滅する傾向があるそうです。

この他にも、X線を照射されると、再生能力を失ってしまうという特徴もあるようです。

 
参考 人はプラナリアになれるのか 驚異の再生力、プラナリア | 理化学研究所 多細胞システム形成研究センター
 

「鬼滅の刃」に出てくる鬼は、日光に当たると燃え上がるように炎をあげて、塵になって消えてしまいます。

鬼の再生能力が高いのも、日光に弱いのも、無惨の細胞がプラナリアの「全能性幹細胞」のような力を持っていて、その働きのためだったとしたらどうでしょう?

禰豆子が太陽を克服したということは、無惨の細胞の働きを弱め、ひょっとすると攻撃して数を減らすことまでできていたかもしれないわけで、もしこの力を持った状態で無惨に取り込まれていたら、無惨の体の中では細胞レベルで戦争のような状態になってしまいそうです。

つまり、無惨の細胞に対する禰豆子の力が、無惨を滅殺するための最終兵器になっていた可能性があるわけですよね。

第1巻 1話で義勇さんが言った、「鬼共がお前の意思や願いを尊重してくれると思うなよ」という言葉。これはもしかすると、山の神にも当てはまるのかも…。

薬の開発にも「山の神≒月の神」の働きがあった可能性はある

いやいや、ちょっと怖い想像をしてしまいましたが、お館様のカラスが珠世さんに接触した夜も、月に痣のような模様が描かれていたのを忘れていました。(第15巻 131話)

しのぶさんと珠世さんの共同開発が成功したからこそ、炭治郎と禰豆子の願いが叶ったわけで、二人の願いが叶うように導いたのも、山の神の影響があったのかもしれませんね。

別記事では、竈門家の中で禰豆子だけが生き残ることができたのはなぜなのか、「山の神≒月の神」を絡めて考察しています。

鬼と日の光の関係を考察した記事もあるので、よかったらこちらも覗いてみてくださいね。

 

 

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