炭治郎は頑固で石頭です。それは、桃太郎も同じだからです。
(この記事は、第1巻、第3巻、第5巻、第7巻、第20巻、ファンブック第一弾のネタバレを含みます)
鬼滅の刃の主人公、竈門炭治郎はかなりの石頭です。石頭といっても意味的には次のように、物理的なものと、心理的なものがありますが…
1. 石のように硬い頭。
2. 融通がきかず、考え方がかたくなであること。また、その人。
(大辞泉)
炭治郎の場合、第1巻 2話では、農家のご主人やお堂の鬼を相手に、この両方のかたさを発揮しているみたいですね(笑)
物理的な硬さでいうと、炭治郎のお母さんの葵枝さんも石頭で、猪を頭突きで撃退した逸話の持ち主であることがファンブックで明かされています。炭治郎の石頭はお母さん譲りということになるようです。(ファンブック第一弾 29頁)
でも、もう一人、石頭の人が昔話に存在していますよ。
炭治郎の石頭は桃太郎級
鬼滅の刃には、桃太郎伝説と共通するエピソードがあります。
昔話に出てくる石頭の人、それは桃太郎です。
桃太郎伝説は日本各地にいろんなパターンの話が伝わっているので、「桃太郎って、石頭だったっけ?」という人もいるかもしれませんが、「まんが日本昔ばなし」では、昭和50年(1975年)2月4日に放送された「桃太郎」が、力持ちで石頭の持ち主として描かれています。
「テレビカラーえほん」では第25巻に収録されていて、この中の解説によると、モデルは中国地方に伝わる桃太郎伝説になるようです。
鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県の辺りですね。
この「桃太郎」に出てくる特徴は、以下のとおり。
・桃太郎は生まれてすぐに歩き出し、「おらにも、まんまくれ」とは言うが、おじいさん、おばあさんが話しかけてもしゃべらない。ある日、突然「おら、やるぞっ!」と叫んだので、おじいさん、おばあさんは桃太郎を連れて鎮守様へお参りに行くほど喜ぶ
・食べた分だけ大きくなる
・鬼ヶ島へ向かう途中、土砂降りの雨になり雷が鳴るが、桃太郎が天を睨むと恐れをなしたのか、ピカッと光ったきりおとなしくなる
・鬼の頭(かしら)が桃太郎の頭へ金棒を振り下ろすと、石頭により金棒が折れてしまう
・鬼の頭と桃太郎は揉み合いになるも、桃太郎の頭突きを食らって投げ飛ばされてしまう
川上から流れてくる2つの桃は、双子で生まれた緑壱・巌勝兄弟を思わせるし、時期が来るまでしゃべらないところは緑壱の印象がありますよね。(第20巻 177話)
そして、ひと睨みで雷がおとなしくなるところは、鼓の屋敷の前での、炭治郎と善逸のやりとりを思い浮かべてしまいます。あ、善逸はあんまり、おとなしくはなってないか。(第3巻 21話)
食べた分だけ大きくなるところは、なんだか鬼滅に出てくる鬼を思わせますが(汗)(第1巻 7話)
こうして見ると、桃太郎の要素が巧みに織り込まれていることがわかります。
「これは、日本一 慈(やさ)しい 鬼退治。」という「鬼滅の刃」のキャッチコピーは、確かにそのとおりと言えそうですね。
桃太郎の頭が固いわけ
頭が固いところは、昔話の桃太郎と炭治郎は共通していました。でも、なぜ桃太郎の頭は固いんでしょう?
はっきりしたことは、わからないのですが(汗)
良弁(ろうべん)という東大寺の初代別当を務めた奈良時代の僧侶に、共通する言い伝えがあるようです。
良弁は赤ん坊のころに鷲に連れ去られてしまうのですが、仏の霊験で助かり、義淵僧正(ぎえんそうじょう)に拾われて、僧として育てられたという逸話があります。
「執金剛神縁起」(しっこんごうじんえんぎ)(室町時代)によると、鷲に連れ去られてもなお良弁が生きていることを信じるお母さんは、その根拠として良弁がお腹にいるときに特別な体験をしていたことを語ります。
母泣き悲ともかひなし 母なくなく語りて云く この子をはらみし時 一人の沙門来て向て居りと夢に見て侍しかは 頭もかたく寿も長かるべしとおもひき
良弁のお母さんは、良弁をさらっていった鷲が金色だったことから、まさか無理やり食べてしまうことはないだろうと思い定め、良弁を求める長い旅に出て、最終的に30年かけて我が子に再会することができます。
ただ、「不思議な夢を見たのだから、鷲にさらわれても、そこで寿命が尽きてしまうことはない」「寿命は長いはずだ」という理屈はわかるのですが、「頭が固い」ということも、我が子が生きている根拠になっているんですよね。
鷲に連れ去られるとき、頭でも掴まれていたんでしょうか。描かれる絵画では、鷲は子どもの胴体を掴んでいるようですが…。
参考 大鷲;オオワシ,鳥;トリ,良弁;リョウベン 秋里翁・西村中和 | 国際日本文化研究センター 怪異・妖怪画像データベース
現在の感覚では理解するのが難しいですが、人と違う何か特別な存在を表す認識や表現として、「頭が固い」ということがあるのかもしれませんね(汗)
たぬきのポン治郎と炭治郎
狸のポン治郎のモデルは、愛宕念仏寺の心見大明神かもしれません。
The Kiyotaki tunnel used for the Atagoyama cable, there was a raccoon dog that could bewitch people. the Shinken Daimyoujin is enshrined to soothe the raccon dog.
愛宕山ケーブルに使われた清滝トンネルには、人を化かすタヌキがいました。そのタヌキを鎮めるために心見大明神が祀られています。
ちなみに、禰豆子がウサギとして描かれていた第7巻 55話の伊之助の夢では、炭治郎は狸の「ポン治郎」になって登場します。
しかも頭には木の葉をのせているので、人を化かす狸ですよね。これは一体どういうことでしょう? 炭治郎は人を化かしたりしませんよ?
どういう昔話が重ねられているのかと思って探してみたところ、炭治郎のイメージが多数見つかった京都の愛宕山の参道脇に、「愛宕念仏寺」(おたぎねんぶつでら)というお寺があり、その境内に「心見大明神」という狸を祀った明神様がありました。
参考 京都府京都市 愛宕念仏寺 心見大明神 | 狸旅記録 ~たぬたび~
南無阿弥陀仏にご縁のある愛宕念仏寺
愛宕念仏寺は愛宕山の南東にあるお寺で、本尊は厄除けの「十一面千手観音」、地蔵堂には「火除(火伏)地蔵菩薩」が祀られています。
このお寺、もとは山城国愛宕郡(やましろのくに おたぎぐん)(現 京都市東山区松原通)にあったもので、天平神護2年(766年)に、称徳天皇により愛宕寺(おたぎでら)として創建されたのが始まりです。
称徳天皇といえば、宇佐八幡宮神託事件に出てきた方ですね。事件は伊之助に重なるイメージがいくつかありました。
その後、寺は廃寺となり、鴨川の洪水で宇堂もすべて流れてしまうのですが、醍醐天皇の勅願により、天台宗の僧・千観内供(せんかんないぐ)によって延喜11年(911年)に再興されます。
千観内供も興味深い人で、後に日本浄土教の先駆者である空也上人の影響を受けて、生涯念仏を絶やすことがなかったことから「念仏上人」と呼ばれたといい、そのため寺の名も愛宕念仏寺(おたぎねんぶつでら)と呼ばれるようになったといいます。
そういえば、「鬼滅の刃」のイメージが多数見つかった平等院は、源信の説く「浄土教の修行をすれば、西方の極楽浄土で往生することができる」という教えの影響を受けて建てられたお寺で、つながるところがあります。
「おたぎ」は源氏物語、平清盛とも関連のある地
お寺のあった愛宕郡も、「鬼滅の刃」に関わる人物に縁のある土地になるようです。なぜなら、そこから少し北へ行くと、葬送の地があったから。
京都の町から見ると、愛宕郡は鳥辺野(とりべの)に行く途中にあるのです。
鳥辺野は、化野(あだしの)や紫野(むらさきの)とともに古くから葬送の地とされていて、北部は庶民の風葬の地として、南部は貴族や皇族の葬送の地として火葬が行われていました。
藤原道長をはじめとする藤原北家の人びとは、京阪・小幡駅(こわたえき)の辺りから南東に広がる宇治陵に眠るのですが、荼毘に付されたのは愛宕郡で、その後に木幡(こはた)まで運ばれていました。
そうした影響からか、「源氏物語」に登場する光源氏の母・桐壺更衣(きりつぼのこうい)も、愛宕の地で葬儀が行われ、荼毘に付される様子が描かれています。
「源氏物語」は後醍醐天皇も研究していたという王朝文学。そして後醍醐天皇は、鎌倉幕府を倒した後、「建武」に改元する際に、「『武』の字は戦を呼ぶから縁起が悪い」と大反対する公家衆と揉めた人物で、年号が変わっていることで怒っていた手鬼とイメージが重なるエピソードがあります。
この他、太郎焼亡が絡んでいた平清盛も、愛宕寺で荼毘に付されたと「平家物語」は伝えています。
こうして見ると、ポン治郎の場合、昔話が重ねられているというより、「鬼滅の刃」のことを知るためのヒントになっているのかもしれませんね。
心見大明神が表す炭治郎の姿
愛宕念仏寺が現在の場所へ移転してきたのは、1922年(大正11年)のこと。「鬼滅の刃」の時代に近い年代のできごとになるようです。
現在、祀られている本尊は移転時と同時期に造られたものですが、地蔵堂の「火除(火伏)地蔵菩薩」は平安時代初期の作で、愛宕山の本地仏が地蔵菩薩であることに由来する菩薩像になります。
愛宕神社にも縁のあるお寺なんですね。
本地垂迹(ほんじすいじゃく)という、仏や菩薩が衆生を仏道で救うため、借りに日本の神々の姿となって現れるという考え方に出てくる言葉です。
本地仏は、姿を借りる前の本来の仏や菩薩のことをいいます。
「心見大明神」のことを紹介しているサイトは、今のところ「狸旅記録 ~たぬたび~」さん1カ所しか見つからないので、現地に行ってみないと詳細はわからないのですが、ブログ内の写真によると、そばに写っている羅漢像と比較してもかなり小さな祠に祀られているようで、普通の旅ブログでは取りこぼされている可能性が大きいようです。
この明神様の由来は、寺の近くにある清滝トンネルで人を化かす狸がいたので、当時の住職が祠を建てて祀ったのが始まりとのこと。
清滝トンネルは昭和4年に愛宕山鉄道が敷設されたときに造られたもので、鉄道は昭和19年に廃線。軍事工場として使われていましたが、戦後、道路用のトンネルに転用されて、清滝隧道(愛宕山鉄道廃線跡)となっています。
ポン治郎は「心見大明神」として祀られる前の、人を化かして悪さをしていた狸の姿を描いている可能性がありそうです。
心見大明神の「心見」について詳細はわからなかったのですが、禅宗に「直指人心、見性成仏」(じきしにんしん けんしょうじょうぶつ)という言葉があります。
「直指」は、言葉や文字に頼らず、直接的に指し示すこと。
「人心」は単に感情が生まれる心のことではなく、人が生まれながらに持つ本性とも言うべき不生不滅の仏心のこと。
「見性」は対象そのものになりきること。
「成仏」は悟りを開くこと。
つまり、求める答えは心の外にあるのではなく、心の内にこそあるものなので、自分の内にある仏の心に直接向き合ってなりきることができれば、悟りを開くことができるという意味になるようです。
鬼に家族を殺され、妹を鬼にされながらも、「鬼であることに苦しみ、自らの行いを悔いている者を踏みつけにはしない」(第5巻 43話)と言いきることができるのは、炭治郎が「直指人心、見性成仏」の人だからなのかもしれませんね。
ともあれ、日本神話との共通点に注目が集まっている「鬼滅の刃」ですが、意外と昔話もしっかりと盛り込まれている物語になるみたいですよ。
当ブログでは、炭治郎に関して他にも考察記事がいくつかあります。よかったら、こちらの記事も覗いてみてくださいね。