「BLEACH」の斑目一角が教えてくれる、刀鍛冶の里の秘密

妙見菩薩

It seems that the image of the Heike clan is woven into “Demon Slayer”. It may be a hint to get to the Hokushin beliefs, which are key to our consideration.
「鬼滅の刃」には平家一族のイメージが織り込まれているようです。これは考察の鍵となる北辰信仰に辿り着くためのヒントになっていそうです。

This article considers stars and magatama.
この記事では、星と勾玉について考察しています。

(この記事は、「鬼滅の刃」13巻、14巻、15巻、23巻、「コード・ブレイカー」19巻、「BLEACH」23巻のネタバレを含みます)
 

一つ前の記事、「堕姫とミツアナグマで解き明かす零余子の秘密」の続きです。

「鬼滅の刃」に織り込まれている「源氏物語」や「枕草子」のイメージは一条天皇を示す鍵になっていて、それはさらに八咫鏡(やたのかがみ)につながっていそうです。

そして、日本神話で八岐大蛇の尾から草薙剣が現れたように、「鬼滅の刃」でも刀鍛冶の里にあった戦闘用絡繰人形「緑壱零式」の中から古い刀が出てきました。

後は八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)が揃えば、三種の神器です。

後醍醐天皇(第96代)の側近・北畠親房(きたばたけ ちかふさ)の「神皇正統記」(南北朝時代)によると、「三種の神器は日月星に同じ」という表現が出てきます。

「日(八咫鏡)」、「月(草薙剣)」については一つ前の記事で考察しているので、この記事では、「鬼滅の刃」のヒントになりそうな漫画「CODE:BREAKER」(コード・ブレイカー)(上条明峰)を参考にしつつ、星と勾玉に関してまとめてみます。

熊野権現に重なる星のイメージ

「平家物語」(鎌倉時代)では、「平家の繁栄は熊野権現の御利益である」と噂されていたことが描かれています。

清盛がまだ安芸守だったとき、船で熊野へ参詣する途中、大きな鱸(すずき)が船に飛び込んでくるという吉兆があったためで、これ以後、平家には吉事のみが続いて、清盛は太政大臣まで極め、子や孫たちの仕官も龍が雲に昇るより速やかだったといいます。

 
参考 「平家物語」巻一 鱸の事
 

清盛だけでなく、清盛の嫡男・重盛は、平家の行く末を憂いて熊野に詣でていました。

また、源頼朝に平家追討を促した文覚上人(もんがくしょうにん)も、那智の滝行の前に熊野に詣でていて、屋島で陣を抜け出した重盛の嫡男・維盛(これもり)も、出家した後に熊野を詣でているんですね。

話の要所で描かれる熊野権現は、「平家物語」ではかなり重視されているようです。

「鬼滅の刃」でも平家のキーワードをいくつも読み取ることができるのですが、もしかすると熊野権現を指す鍵になっているのかもしれませんね。

 
参考 「平家物語」巻三 医師問答
参考 「平家物語」巻五 文覚荒行
参考 「平家物語」巻十 熊野参詣
 

星と関わりの深い熊野権現

熊野の歴史はかなり古く、「長寛勘文」(ちょうかんのかんもん)(長寛年間)などに記載されている「熊野権現御垂迹縁起」(くまのごんげんごすいじゃくえんぎ)によると、神代の頃、神倉山(かみくらやま)のゴトビキ岩に、熊野の神々が降臨されたことがその始まりと伝えられています。

 
参考 熊野権現垂迹縁起 最古の熊の縁起 | み熊野ねっと
参考 ようこそ 人生甦りの熊野速玉大社へ! 神倉山と新宮 | 根本熊野大権現 全国熊野神社総本宮 熊野速玉大社
 

「鎮宅霊符縁起集説」(ちんたくれいふえんぎしゅうせつ)(1708年)によると、「熊野権現と妙見菩薩は同体である」とする役の行者(えんのぎょうじゃ)の説があるといいます。

役行者というのは、修験道の開祖である役小角(えんのおずぬ)のこと。

妙見菩薩(みょうけんぼさつ)は、北極星と北斗七星を合わせた「北斗星」を神格化した星の仏様のことです。

そして鎮宅霊符神(チンタクレイフシン)というのは、もともと道教の玄天上帝(ゲンテイジョウテイ)という神様と考えられていて、北を表す玄武を人格神化した神様のことだといいます。

玄武というのは、中国神話に出てくる亀に蛇が巻きついた姿で描かれる聖獣のことですね。

斑目一角と、星の神・玄武の共通点

玄武
 

上図は、キトラ古墳の玄武を真似して描いてみました。

描いていて気が付いたのですが、玄武に巻きついているこの蛇は、まだらの模様が描かれているみたいなんですよね。

刀鍛冶の里編では、玄弥が哀絶に向かっていう「テメェを殺す、男の名前だァ」(13巻 第109話)というセリフが、「BLEACH」(23巻 破面篇)の斑目一角と同じだと話題になっていました。

「斑目一角」を文字として見ると、「斑、目一、角」と分けることができそうです。このうちの「斑」の文字は、斑の模様をした玄武の蛇にイメージが重なりそうです。

この玄武を人格神化したという玄天上帝は北極星信仰の対象だったため、日本に取り入れられた後、仏教では妙見菩薩に、神道では天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)に習合したと考えられています。

「星田妙見宮」のサイトによると、役小角は「鎮宅霊符神も熊野権現と同体」とみなしていたと考えられるとのこと。熊野権現は、星のイメージにつながる神様ということになるようです。

 

習合(しゅうごう)
いくつかの教義や主張を一つにまとめること。習合思想は本地垂迹思想(ほんじすいじゃくしそう)ともいいます。

「法華経」では、仏は無限の命を持ち、人々を導くために姿を変えて現れるといい、その一つがお釈迦様であると解説されているので、「じゃあ、日本の神様も入るじゃん」てことで、「本地仏が日本古来の神の姿を借りて現れる」という本地垂迹という考え方が生まれました。

 

星の神様のそばに湧き出す「志津の涙水」

興味深いのは、日本最古の霊場・犬鳴山は、役小角が鎮宅霊符神をお祭りして開いたと伝わる修験道の根本道場なのですが、そこに滞在していた修行僧に恋をした、志津という女性の悲しい伝説があるのです。

一度は修行の妨げと退けられたものの諦めきれず、諸国を探して追いかけてくるのですが、立ち込める白雲に道を見失って、最後は路傍に行き倒れてしまうのです。

彼女が倒れていた場所からは清水が湧き出すようになり、現在でも七宝瀧寺の参道の傍らに「志津の涙水」と呼ばれる場所があります。一心を込めた願い事があるとき、この水を持ち帰って毎日飲用すると、願い事が成就すると伝えられています。

志津は不死川さんのお母さんと同じ名前です。(23巻 第200話)

つまり、熊野権現と星の神様や仏様(北極星、北斗七星)はイコールでつながる関係で、熊野権現は星のイメージが重なる存在ということが言えそう。そしてそれは、「鬼滅の刃」とも関係があると考えることができそうです。

「鬼滅の刃」では、一心不乱に研磨の作業に没頭する鋼鐵塚さんに、「私とてこれ程、集中したことはない!! 芸術家として負けている気がする!!」と、一方的に対抗意識を燃やす玉壺は、志津の涙水の「一心を込めた願い事」のご利益が重ねられているのかもしれませんね。(14巻 第117話)

また、この伝説は、霞の呼吸 漆ノ型(しちのかた)朧(おぼろ)に対して、霞に巻かれたようになって目標を見失う玉壺の姿にも重なりそうです。(14巻 第121話)

 
熊野権現と星の神様
 

射楯兵主神社の「三ツ山大祭」で小袖山を飾る藤原秀郷は、関連する伝説を辿っていくと、熊野権現の星のイメージに辿り着くことができるのです。

さらによく見ると、小袖そのものからも、星のイメージに辿り着くことができるみたいですよ。

参考 当院の縁起について | 熊野山 和光院
参考 北極星信仰 | 黄檗宗 少林山達磨寺
参考 太上神仙鎮宅七十二霊符 | 星田妙見宮
 

星と勾玉につながる小袖山

小袖山
 

「兵庫歴史ステーション」の「学芸員コラム れきはく講座」によると、小袖山を覆う小袖は「厄災と穢れの象徴」で、京都の祇園会(祇園祭)と共通しているといいます。

昔は禊(みそぎ)や祓え(はらえ)の際に、人形や小袖などで身体をなでて穢れや災いを移し、川などに流す行事がありました。このときに使われるものを撫物(なでもの)とか形代(かたしろ)、人形(ひとがた)といいます。

「源氏物語」でも、源氏が須磨の海岸で、陰陽師を召して上巳の祓(じょうしのはらえ)(3月3日の上巳の節句)をさせ、人形をのせた舟を海に流す様子が描かれます。

祇園祭では、鉾に集まった穢れや災いを「厄除け粽」(食べ物ではない粽)に込めて投げることで福に変えると考えられていて、かつては巡行の途中で見物人に粽を投げる山鉾がありました。見物人は投げられた粽を競って拾い、厄除けのお守りとしたそうです。

小袖も鉾も、悪いものを集める道具として共通するものがあるわけですね。

 
参考 第46回:節目としての三つ山大祭 | 兵庫歴史ステーション 学芸員コラム れきはく講座
参考 囃子方と祇園囃子[詳細] チマキ投げ | 函谷鉾
参考 「源氏物語」 第十二帖 須磨
 

星とつながる境界の神

呪物として用いられていた小袖には興味深い歴史があって、「皮膚の病と境界の神」という論文によると、境界の神(道祖神)には、衣類や片袖、獣皮などを捧げる風習があったといいます。

境界の神というのは、集落の境目を守る塞ノ神(サイノカミ)や道祖神(ドウソジン/ドウソシン)、そして久那土神(クナドノカミ)や岐神(フナドノカミ/クナドノカミ/チマタノカミ)をいいます。

天孫降臨した瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を道案内した猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)も道祖神として伝えられていて、境界の神様にはいろいろな神様が習合しているようです。

注目なのは、山王信仰庚申信仰も習合していて、この2つはともに北辰(北極星と北斗七星)が信仰の対象だったことから結びついたという説があるそうで、「庚申信仰と北斗信仰」によると、金沢の庚申塔には北斗七星を彫り込んだものがあるといいます。

「三つ山大祭」に設けられる「小袖山」には、飾り付けられている藤原秀郷にも、造り山を形作る小袖にも、星につながるイメージがあるようです。

 
参考 皮膚の病と境界の神 日本「賤民」史研究への一階梯 鯨井千佐登 | 日本の論文をさがす CiNii Articles
参考 庚申信仰と北斗信仰 窪徳忠 | J・STAGE
参考 ふるさと再発見「猿田彦大神(さるたひこおおかみ)と石祠(せきし) | 島原市
参考 猿田彦神社の歴史 | 猿田彦神社
参考 妙見菩薩と妙見信仰 | 真言宗 智山派 梅松山 円泉寺
参考 庚申信仰と三猿 | 鎌倉の庚申塔
参考 研究報告・加藤幸一 図書館講座 平成26年「越谷市内とその周辺の庚申塔 | NPO法人 越谷市郷土研究会
 

出雲の勾玉につながる熊野権現

そして熊野は、勾玉とも直接つながりがあるようです。

熊野といえば、現在では熊野川流域の熊野三山(紀州熊野)を指すのが一般的ですが、出雲にもかつて熊野三社権現と呼ばれていた神社があるのです。熊野大社(出雲熊野)の上の宮です。

明治時代、神社制度が改正されたことで下の宮に合祀されて現在の形になるのですが、もとは熊野山(くまぬやま)(現・天狗山)に本宮があり、平安時代初期まで出雲国の一の宮に格付けされる社格を持った神社でした。

中世になると人里近くに遷宮して、上の宮と下の宮の二社祭祀となり、上の宮は熊野三社権現とも呼ばれていたといいます。

「熊野三者権現」の名前のとおり、紀伊国と熊野信仰でつながっているんですね。

出雲は弥生時代から古墳時代にかけて、伴造(とものみやつこ)に統率された玉作部(たまつくりべ)によって、玉類の生産が盛んだった場所。三種の神器の八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)も、出雲の玉造で作られたという話もあるようです。

だとすると、星のイメージだけでなく、三種の神器の勾玉にも熊野はつながっているわけで、「三ツ山大祭」で設けられる「二色山」、「五色山」、「小袖山」は、三種の神器にぴったり当てはまるようです。

参考 2014 vol.152 January 1月号 旅の縁起物 島根県松江市 出雲めのう | Blue Aignal 西日本の美しい風土

では、三種の神器が揃うのは、「鬼滅の刃」では何のためなのでしょう?

天の岩戸開きに重なる、刀鍛冶の里

探しものと堕姫の模様
 

堕姫の帯(上図左)とよく似た模様を「星のまじない」と呼ぶ「コード・ブレイカー」(上図右)では、エデン(高天原)へ通じる扉を開けるために、三種の神器が必要とされていました。(19巻 code:161、code:162)

「鬼滅の刃」でも三種の神器が揃うのは、エデン(高天原)へつながる鍵なのかもしれませんね。

そう考えると、刀鍛冶の里は、高天原で発生した一大事件「天石窟」(あめのいわと/あまのいわと)のイメージが重なってきそうです。

「日本書紀」(奈良時代)では、素戔鳴尊(スサノオノミコト)の行状に立腹し、天石窟にこもってしまった天照大神(アマテラスオオミカミ)に出てきてもらうために、神々はあらゆる手段を講じたことが描かれています。

 

  • 常世の長鳴鳥を集めていっせいに長鳴きをさせる
  • 天香具山の五百筒(いおつ)の真坂樹(まさかき)を根ごと掘ってきて、その上の枝に八尺瓊(やさかに)の五百筒(いおつみ)の御統(みすまる)をかけ、中の枝には八咫鏡をかけ、下の枝には青和幣(あおにきて)(ぬさ)と白和幣(しろにきて)をかける
  • 中臣連(なかとみのむらじ)の遠祖である天児屋根命(アメノコヤネノミコト)と、忌部の遠祖である太玉命(フトタマノミコト)が一緒に祈祷する
  • 天之鈿女命(アメノウズメノミコト)は天香山(あまのかぐやま)の真坂樹(まさかき)を葛(かずら)にし、蘿(ひかげ)(さがりごけ)を手繈(たすき)にして、手に茅(ち)を纏(ま)いた矛を持ちながら天石窟の戸の前で踊る

 

中臣連というのは、中臣氏のこと。中臣鎌足(のちの藤原鎌足)をはじめとする藤原氏のご先祖様です。

忌部というのは、忌部氏(のちの斎部氏)のご先祖様。阿波、讃岐、紀伊、安房に部民(べみん)(隷属する職能集団)を持ち、阿波忌部は宇髄さんにイメージが重なる天日鷲命(アマノヒワシノミコト)を祀っていました

「古語拾遺」(807年)によると、天岩戸開きの際に使用した刀、斧、鐡鐸(さなぎ)といった金属類の祭具を造ったのは、天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)だったといいます。

天目一箇神の「目一箇」は「一つ目」を表すといい、玄弥のセリフにつながる斑目一角のキーワード「目一」は、ここにつながっていそうですね。

そして、天石窟の前で矛を持って踊る天之鈿女命は、鉄珍様の打った刀を操る甘露寺さんの姿と重なりそうです。(14巻 第122話、123話)

さらに、五百筒(たくさん)の真坂樹(神事に用いる木)を根ごと掘ってくるところは、玄弥が木を根っこごと引っこ抜いてぶん投げる場面に重ねられていそうです。(15巻 第125話)

最後の禰豆子の太陽克服は、岩戸が開いて天照大神が現れた伝説そのものですよね。(15巻 第126話)

また、キリストが復活してからの第一声は「おはよう」(χαίρετε, カイレテ)だったといいます。このセリフも、禰豆子の太陽克服の場面と重なるところが興味深いです。(15巻 第126話)

煉獄さんにはフランシスコ・ザビエルのイメージが重なっていましたが、キリスト教のイメージは煉獄さんだけにとどまらず、禰豆子の太陽克服にもつながっているようです。

ちなみに今年のイースター(復活祭)は4月9日でした。刀鍛冶の里編の放送も、4月9日からスタートしていたのですが、もしかするとこれもヒントなのかも。だとしたら、かなり凝った仕掛けですよね。まあ、偶然かもしれませんけど。

 
参考 古語拾遺(現代語訳) | 角館總鎭守 神明社
参考 鍛冶の神「天目一箇神(あめのまひとつのかみ)」へ奉納 | 播鍛(BANKA)
参考 「三つの挨拶」 | 柏牧師:過去の礼拝説教
参考 古典ギリシャ語のあいさつのことば | ポーネーティカ
参考 すると、イエスが彼女たちに出会って… | 上馬キリスト教会のツイート
 

こうして見ると、玄弥のセリフとつながっていた斑目一角の名前の中に、物語のヒントになる「斑」や「目一」が鍵となって隠れているようです。

では、「角」にも何か鍵が隠れているのでしょうか? 角といえば、やっぱり「鬼」?

少し長くなるので、この先は別記事にまとめていきますね。

このブログには、伊之助のミツアナグマを鍵に三種の神器に関する考察をしている記事もあります。よかったらこちらの記事も覗いてみてくださいね。

 

 

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