鬼滅の刃は大正時代を描いています。その少し前に、日本の公的機関に大きな変化がありました。
(この記事は、第22巻、吾峠呼世晴 短編集のネタバレを含みます)
「鬼滅の刃」が描かれている時代は大正時代。
明治9年(1876年)には廃刀令が公布されるので、大礼服の着用時や、軍人、警察官使といった人たちが制服を着用するとき以外は刀を身につけることが禁じられている時代です。
日輪刀を武器とする鬼殺隊が活動するには、むちゃくちゃ不利。「鬼滅の刃」は、どうしてこんな時代を舞台に描かれているのでしょう?
陰陽道の歴史から見ると、やっぱりこの時代でなければいけなかったのかな? と思えてきますよ。
朝廷の正式な機関として、実は明治時代まであった陰陽寮
陰陽寮は、明治時代まで朝廷の正式な機関でした。暦、天文観測、お祓いを行っていました。
鬼殺隊のように刀を振り回すことはしませんが、平安時代は悪鬼や邪霊を都に入れないために、お寺で加持祈祷が行われたり、呪詛や怨霊などの災いを除くために、陰陽師がお祓いをしたりしていました。
特に陰陽道は、日本の律令制度に属する正式な機関に入っています。
7世紀後半~8世紀初頭、唐の律令制度をお手本に、日本にもその制度が取り入れられたわけですが、このとき天武天皇により陰陽寮が設置されているのです。
組織図でいうと、中央管制の「中務省」に属する機関になります。この中には中宮職、左右大舎人寮、図書寮、内藏寮、縫殿寮、画工司、内薬局、内礼司といった部署があり、陰陽寮はこうした部署の一つです。
この陰陽寮は、陰陽師として鬼神を操る安倍晴明が関わっていたことでも有名ですよね。
安倍晴明以降も安倍氏は代々陰陽寮の仕事を担っていて、室町時代の有宣(ありのぶ)の代になると、天皇から姓を賜って土御門家(つちみかどけ)と名前が変わります。
家学は天文道ですが、久脩(ひさなが)の代になると、徳川家康から陰陽道宗家の認可を受けて、全国の陰陽師を統括するまでになります。
さらに時代が下って、泰福(やすとみ)の時代になると大きく勢力を伸ばし、陰陽寮を統括する「陰陽頭」の役職を独占するようになります。
幕末になると、同じ安倍氏の流れをくむ賀茂氏庶流の暦家・幸徳井家の没落もあって、陰陽、天文、暦と、陰陽寮のほとんどの役職を掌握していました。
そして、明治維新。
時代が変わったのを機に、当時の陰陽頭である晴雄(はるお)は、幕府の天文方を廃止するよう主張。朝廷より許されて、天文方に権限のあった暦算や頒暦も土御門家が担うことになります。
と、思いきや。
最初は天文学や暦法の価値を正しく認識していなかった新政府も、科学の基礎となる大切な学問だということに気がついて…。
ということで、晴雄が病で亡くなったのを機に、翌年の明治3年(1870年)、太政官制度廃止に伴って陰陽寮は廃止。
1つに統括してしまわずに、分散したままだったらもう少し粘れたかも… いや、無理か。
古い世代と新しい世代がちょうど移り変わっていく時代でした
鱗滝左近次は、陰陽寮があった古い世代。炭治郎は陰陽寮がない新しい世代。大正時代は、これらの世代が直接継承できる最後のタイミングでした。
※平均年齢は、厚生労働省 大臣官房統計情報部の第19回 生命表の「表2・完全生命表における平均余命の年次推移」を参考にしてます
炭治郎たちが鬼殺隊士として活躍した大正時代は、鱗滝さんや藤の家のお婆さん「ひさ」さんたちが属する、「陰陽寮が公式な組織として存在していた古い世代」から、炭治郎たちが属する「陰陽寮を廃止して西洋化を急ぐ新しい世代」へ移り変わっていく時代だったのでした。
慶応年間に鬼狩りを務めていたという鱗滝さんの年齢のことを考えると、世代から世代へ直接伝えることができる、最後のタイミングだったと言えそうです。
そういった時代背景を知って、改めて見てみると、無限列車に乗る前に善逸が言う「政府公認の組織じゃない」というセリフも、非公式ゆるキャラなどで感じる「勝手気まま」といったイメージとは少し違った意味合いが出てきます。
政府公認の組織じゃないからな、俺たち鬼殺隊。
災いを祓う陰陽道が、あっという間に公式の場から消えていく激変の時代を生きてきた藤の家のお婆さんの言葉も、古い世代から新しい世代へ掛ける言葉として見ると、重みを増して伝わってきます。
どのようなときでも、誇り高く生きてくださいませ。ご武運を。
ちなみに土御門家は、家督を継いだ晴榮(はれなが)が大学校(東京帝国大学の前身)の下に移管された天文暦道御用掛を務めているので、春雄が亡くなった後ももう少しだけ歴史の舞台に残っています。
とはいえ、すぐに天文暦道局は星学局に改組されてしまうので、明治3年10月には解任されて陰陽道宗家としてのすべての実権を失ってしまうのですが…。歴史的には陰陽寮と新政府が交差する瞬間があったみたいです。
「鬼滅の刃」連載スタート前に、読み切りで発表された「過狩り狩り」では、ボタンが2列になった詰め襟を着た警察の人らしい人物が最終選別を仕切っている様子が描かれているのですが、「過狩り狩り」の最終選別が「鬼滅の刃」の少し前の時代を描いているとしたら、こうした時代の移り変わりの中、一時的にも新政府が関わっていて、鬼殺隊の最終選別に警官が立ち会っていたのかも… なんて想像すると、ちょっと楽しいですよね(笑)(吾峠呼世晴 短編集 過狩り狩り)
それにしても、平安時代から続く陰陽寮でさえ姿を消してしまう激変の時代だというのに、「無惨を倒す」という目的のためなら一切やり方を変えず、どこまでも追いかけ続ける鬼殺隊は、無惨さまが言うように「あいつら、頭おかしい」(意訳)というのは、ちょっと当たっているのかもしれません(笑)(第21巻 181話)
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