鱗滝さんの厄除のお面は、なぜキツネなの?

開運厄除のイメージ

Tanjiro wears a hand-carved fox mask when he goes to Fujikasane Mountain.
炭治郎は藤襲山へ行く時、手彫りの狐面をかぶっていました。
The fox is a messenger of the Inari Okami, and the Inari Okami was very popular in the Edo period.
狐は稲荷の使者で、江戸時代には稲荷大神が大流行しました。

Inari Okami’s blessings range from a good harvest to the improvement of martial arts.
稲荷大神のご利益は、五穀豊穣から武芸上達まで多岐に渡ります。

炭治郎が最終選別に臨む際に、鱗滝さんから「厄除の面」として狐のお面が渡されました。公式ファンブックによると、「鱗滝さんはキツネ好き」という理由みたいですが(笑)

実際のところ、キツネのお面には、どんないわれがあるんでしょう?

そもそも、厄除の面って何?

厄除の面

お寺や神社で授与されるもので、「厄除面」(やくじょめん)や「厄除け面」(やくよけめん)というものがあります。

例えば、埼玉県川口市の氷上神社では、主祭神の素盞嗚命(スサノオノミコト)にあやかった厄除面があります。京都府京都市にある広隆寺の牛祭では、希望者に授与される摩多羅神(またらじん)のお面というものがあるみたいですよ。

大阪府和泉市の葛葉稲荷神社では、厄難消除(やくなんしょうじょ)という狐面のついた絵馬があるようです。

こうしたお面は、玄関や部屋に掛けて飾るものなので、顔に被る鱗滝さんのお面とは少し違うみたいですが。

この他、張り子のキツネ面もあって、地方によってはこれを火難除けや厄除けの意味に使う所もあるようです。鳥取県の倉吉市では、盆や正月に帰省する際に、キツネやオオカミのお面を子どものお土産にしたりしていたそうですよ。

参考 「日本の郷土玩具」木下亀城・篠原邦彦共著

張り子面というのは、何枚も紙を張り合わせて作るお面のことで、鱗滝さんの木彫りのお面とは少し違いますが、だいぶ鱗滝さんのお面に近づいてきました(笑)

キツネの背景にあるもの

お稲荷さん

キツネはお稲荷さんのお使い(眷属)だというのは有名ですよね。

明治の廃仏毀釈で、お稲荷さんは神道系と仏教系に区別されるようになりましたが、もともとはそんなにはっきりした区別はありませんでした。

というか、長い歴史の中で、様々な神様と一つになっていった背景があります。神仏習合(しんぶつしゅうごう)とも神仏混合(しんぶつこんごう)とも呼ばれる考え方です。

お稲荷さんの場合、キツネを軸にして神仏習合が進んでいったみたいですよ。

複雑な背景を持つ神様ですが、江戸時代になってもずっと変わらずあったのは、稲の神様としての役割です。

神道の原形となる「山の神」と「田の神」の信仰で、春になると山の神は山から里へ降りてきて、田の神となって稲の生育を守護し、収穫を終えて秋になると、山へ帰って山の神となります。

キツネも同じ時期に山から里にやってきて、稲を荒らすネズミを退治して、秋になると山へ帰っていくという生活サイクルがあるので、山の神、田の神の眷属として扱われています。また、狐の黄色い毛並みは陰陽五行思想では「土」を表すため、穀物神と結びついたという考え方もあるみたいです。

陰陽五行 方位

これが、渡来系の秦氏の氏神様だったという一面を持ち、朝廷とも古くから縁を持っていた、五穀豊穣を司る宇迦之御魂大神(ウカノミタマノオオカミ)として考えられるようになり、平安時代になると密教との関係も深まって、インド伝来の荼枳尼天(ダキニテン)の垂迹(すいじゃく)と考えられるようになります。

※垂迹(すいじゃく) … 仏や菩薩が衆生を仏道で救うため、借りに日本の神々の姿となって現れるという考え方

インドのダーキニーはジャッカルに乗っているのですが、伝来した中国や日本にはジャッカルがいないので、キツネに乗った姿で描かれていたことも、習合していくときに影響していたと考えられています。

さらに修験道では、荼枳尼天との関係で、火防の神(ひぶせのかみ)・軍神(いくさがみ)としても信奉されていた飯縄権現(飯綱三郎天狗)との関わりが指摘されています。こちらは不動明王の化身とされる烏天狗のような姿をした飯縄権現(飯綱三郎天狗)が白狐に乗る姿で描かれています。

飯縄権現は、上杉謙信や武田信玄といった、戦国武将の信仰を集めていたことでも有名な神様ですね。

武術とお稲荷さんが自然に関わっていることは、東京都・台東区の矢先神社を見てもよくわかります。

ちなみに荼枳尼天は、人の心臓や肝を食らう夜叉として恐れられていましたが、大日如来の霊力によって護法善神(ゴホウゼンシン)となり、大黒天の眷属になったという背景を持つ神様です。

「仏様ってすごいよね!」という話かもしれませんが、でもこれって、呼吸の中に「干天の慈雨」(かんてんのじう)という慈悲の剣撃を持つ水の呼吸とも、ちょっと相性がよさそうな話ですよね。

江戸時代になると、「田沼意次が紀州の小姓から老中にまで出世したのは、屋敷にお稲荷さんを祀っていたからだ」ということで福寿幸運の神様として人気が高まり、武家や商家はもとより、長屋にまで祠が造られるようになりました。

時代劇でもお馴染みの大岡越前守の江戸屋敷邸内にも屋敷稲荷があったそうで、現在の東京の豊川稲荷のルーツになっています。

豊川稲荷は芸事向上ということで、ジャニーズやタレントの方がお参りに訪れることで有名ですが、祈念すれば金銀財宝の融通を叶えてくれるというんですから、今でも十分に魅力的ですね(笑)

ところが一転、明治になると、廃仏毀釈によって集合されてきた要素は削ぎ落とされ、神道系の宗教として多くの施設が神社に変わってしまいました。

その際には祭神も、荼枳尼天や天狗、権現さまといったものから、火之迦具土大神(ヒノカグツチノオオカミ)に変更された所もあるみたいですよ。

迦具土といえば、第1巻の「大正コソコソ噂話」で、タイトル候補の中にあったキワードの一つです。やっぱり、ご縁がありますね。

鱗滝さんのキツネ好きはトレンド?

木彫りのお面に関しては、山岳信仰には仏像彫刻の文化があるし、宗教は関係なくても、山の文化には木地師(きじし)といった、木工品を生産する文化があります。

鱗滝さんが修験道に関係があるかどうかはわかりませんが、11巻の第90話の表紙には、炭治郎と禰豆子の木彫りの人形を彫る鱗滝さんが描かれていたので、鱗滝さんと山の文化はそれなりに重なっていそうです。

上記のとおり、お稲荷さんと眷属のキツネは、明治以前は町民から修験道にまで広がる一大トレンドだったこともあるし、山の文化としての天狗でもなく、神仏でもなく、やっぱりキツネをお面に選んでいるのは…

鱗滝さんはキツネが好き(はあと)

と、いうことなんでしょうか…。

というわけで、どうやら鱗滝さんは公式ファンブックで紹介されているとおり、ガチでキツネLOVEの人だったみたいです。

ただ、狐面から見たお稲荷さんひとつを取ってみても、廃仏毀釈前の文化を生きてきた鱗滝さんと、二十歳で結婚してすぐに炭治郎が生まれたとしても、お父さんもお母さんも明治生まれの炭治郎が見ているお稲荷さんは、見えている景色はきっと随分違うんでしょうね。今の私達のように。

江戸以前と明治以降というのは、本当に激変の時代だったんだなということを感じさせられます。

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