煉獄杏寿郎って何者? さつまいもに重なるカグツチの姿

さつまいも

Kyojuro Rengoku often reminds you of Christianity. This seems to be a way of expressing Demon Slayer’s roots.
煉獄杏寿郎は、しばしばキリスト教を思い出させます。これは「鬼滅の刃」のルーツを表現する方法になっているようです。

The image that overlaps with Rengoku can be thought of as referring to a shrine on Sakurajima in Kagoshima.
煉獄さんと重なるイメージは、鹿児島の桜島にある神社を指していると考えられます。

(この記事は、第1巻、第6巻、第8巻、ファンブック第一弾、第二弾、吾峠呼世晴短編集のネタバレを含みます)

当ブログでは最初、煉獄さんと九州武士のイメージが重なりそうだとしていたのですが、前の記事で九州武士と重なるのは義勇さんかもしれないと考察したので修正することにしました。

では、煉獄さんと重なるものは何でしょう?

この記事では、ファンブックのキーワードを元に、改めて煉獄さんのことを考えてみました。

能、歌舞伎、相撲観戦に共通するもの

義勇さんの考察でも感じたのですが、ファンブックに書かれている「趣味」や「好きなもの」といった情報は、そのキャラクターを知るための手がかりになりそうです。

例えば義勇さんの場合、趣味は「詰将棋」、好きなものは「鮭大根」(ファンブック第一弾 46頁)で、それぞれキャラクターに関連しそうな出来事や人物につながっていきました。

詰将棋→達磨大師
鮭大根→福岡県

煉獄さんの趣味は「能や歌舞伎、相撲観戦」です。(ファンブック第二弾 50頁)

一見、普通の趣味に見えますが、この3つには共通点があります。それは、「中入り」があること。

長時間興行する相撲や能楽などで、興行の途中の区切りのいいところで休憩することを「中入り」と言います。

原作を見てみると、無限列車の一件が片付いた後、鍛錬を続ける炭治郎たちの横にはツツジが満開で描かれていて、モノローグでは無限列車から「四か月が過ぎようとしていた」と語られています。(第8巻 70話)

この後、次の遊郭編へつながっていく人攫い騒動が起こるのですが、これはさらにもう少し時間がたってから。ここでは庭の紫陽花が満開になっている様子が描かれています。(第8巻 70話)

煉獄さんの趣味から読み取れる「中入り」のキーワードは、一休みとも取れる、この「時間の空き」に重なりそうですよね。

さらに中入りのことを調べてみると、寄席の場合は中入りの前にも客が入るように、前半の最後にトリに準ずる芸人が出てきたりするようですよ。

「中入り」は、煉獄さんを思わせるキーワードと言えそうですね。

「さつまいもの味噌汁」は薩摩汁とは限らない

では、煉獄さんの好きなものには、何が隠れているんでしょう?

ファンブックには、好きなものは「さつまいもの味噌汁」と書かれています。(ファンブック第一弾 50頁)

ここでちょっと気になるのは、「さつま汁」ではなく、「さつまいもの味噌汁」としているところ。どちらも同じ気がしますが、薩摩汁は本来「鶏肉を使った具だくさんの味噌汁」のことで、サツマイモが入るとは限らないのです。

煉獄さんの好物は、「特にさつまいもを重視している」と考えてよさそうです。

参考 さつま汁 鹿児島県 うちの郷土料理 次世代に伝えたい大切な味 | 農林水産省

さつまいもが日本にやって来たのは1600年ごろのこと。中国から琉球に持ち込まれ、その後、薩摩(現 鹿児島県)に入ってきます。

このときの名前は、唐芋(からいも)とか甘藷(かんしょ)と呼ばれていました。

徳川吉宗の時代には甘藷の有用性が認められて、救荒作物として奨励されるようになり、薩摩から来た芋として「さつまいも」の名前で日本全国に広がっていきます。

つまり「さつまいも」は、「海の向こうからやってきて、薩摩に上陸して日本に広まったもの」なんですよね。

この条件に当てはまる人物に、フランシスコ・ザビエルがいます。

フランシスコ・ザビエルと煉獄さん

フランシスコ・ザビエルのイメージ

フランシスコ・ザビエルといえば、教科書にも掲載されていた絵を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?

実はこの絵、大正時代に大阪府茨木市で発見されたものなのです。発見された民家では「あけずの櫃(ひつ)」と伝わる箱に入れられていたそうで、茨木市立キリシタン遺物資料館で企画されたザビエル像発見100周年記念「ザビエル・ストーリー」(2020年3月25日~2020年6月1日開催)のチラシによると、「カマドの屋根裏にくくりつけてあった」そうですよ。

なんだか、煉獄さんと炭治郎の絆を感じてしまうエピソードです(笑)

ザビエルに影響を与えた人 ロヨラ

ザビエルが生まれたのは1506年、スペインとフランスの国境にあったナバーラ王国です。父は王国の貴族でしたが、ザビエルが6歳のときに国はスペインに占領され、3年後には父がなくなり、2人の兄も戦場へ出てしまいます。

兄たちはザビエルも軍人になることを望んでいたようですが、19歳になるとパリ大学に留学。聖バルブ学院で哲学を学んでいるときに同室となったピエール・ファーヴルや、イグナチオ・デ・ロヨラの影響を受けて聖職者を志すことになります。

興味深いのは、ロヨラはパンプローナの戦いで、片足の自由を失った傷痍軍人だったこと。

「鬼滅の刃」の前身となる「過狩り狩り」や「鬼殺の流」の主人公は、藤襲山の選別で怪我を負って、体に障害を持ったキャラクターでした。(吾峠呼世晴短編集 過狩り狩り、ファンブック第一弾 146頁)

煉獄さんに重なるザビエルのこうしたエピソードは、最初の作品で描かれていた何かを「鬼滅の刃」も受け継いでいることを表しているのかもしれませんね。

だとしても、キリスト教の要素から重ねて見てもあまり違和感を感じさせずにストーリーを楽しむことができるわけですから、「鬼滅の刃」はなかなかすごい漫画です。

ザビエルを日本に導いた人 ヤジロウ(アンジロー)

そして、ポルトガル王ジョアン3世の要請で、ザビエルが所属していたイエズス会からインドのゴアに人を派遣することになり、ザビエルがやって来ます。

当初、ザビエルは中国を目指していたそうで、日本のことは知らなかったのですが、ゴアを拠点にインドで活動するうちに、ポルトガル商人から紹介された人物が日本人だったことで、はじめて日本のことを知ります。

この人物の名前が、ヤジロウともアンジローとも呼ばれていたそうです。これ、音が何となく似てませんか? そう、炭治郎に(汗)

ともあれ、ヤジロウ(アンジロー)は鹿児島出身の武士で、何らかの理由で日本を逃げ出していたのですが、ザビエルには罪の告白をするために会おうとしていたようです。

鬼殺隊の剣士でありながら、鬼を連れていることで「鬼殺隊柱合裁判」にかけられる炭治郎と、重なるところがありそうです(第6巻 45話)

ザビエルもヤジロウ(アンジロー)と会ってからは日本に関心を持ち、日本でも布教することを目指すようになります。

無限列車での禰豆子の働きを認めて信じてくれた煉獄さんと、ちょっと重なるところがありますよね。(第8巻 66話)

ヤジロウとアンジロー

ザビエルの残した記録には、最初、彼のことを”angero”と表記しているのですが、時間がたつと”yajiro”となっていて音声的な揺れがあります。

でもこれは、「日本」という単語でも、”nihon” “nippon” → ”yapan” “yapon” → “japan”と変化したように、母国語にない音声が入ってきた場合、言葉には揺れが発生するので、同じことがザビエルのヤジロウ(アンジロー)にも起こっていたようです。

参考 アンジローか?ヤジローか? 門田明氏の鹿児島とキリスト教3 | キリスト教の福音上陸の地・鹿児島

ヤジロウなのかアンジローなのかは気になるところですが、どちらにしてもこの人物は炭治郎と重なるところがあるようです。

ちなみに、ザビエルとともに日本に帰国してからのヤジロウ(アンジロー)は、鹿児島の信徒たちのまとめ役を託されるのですが、ザビエルが日本を去った後は再び日本を脱出してしまいます。

ヤジロウ(アンジロー)に好意的なジョアン・ロドリゲスやメンデス・ピントによると、「仏僧からの迫害が原因で脱出するに至った」としていますが、批判的なフロイスによると「利益を求めて海賊になった」とも伝えていて、詳細は不明ですが、どちらも共通して「中国に渡った後は倭寇に加わって戦いの中で死んだ」と伝えているようです。

この辺の展開も、どこか炭治郎と被るところがあって、最終話の展開は行き当りばったりで決められたストーリーではなかったんだろうなと感じさせます。

煉獄さんの鎹鴉「要」とザビエルの共通点

それから、煉獄さんとザビエルの一致点は、もう一つあります。それは鎹鴉の名前です。煉獄さんの鎹鴉は「要」(かなめ)でした。(ファンブック第二弾 83頁)

平成27年(2015年)にオープンした大分駅の北口駅前広場には、先に設置されていた大友宗麟(おおとも そうりん)公像(昭和57年設置)と向き合うように、南蛮世界地図を挟んで聖フランシスコ・ザビエル像が新設されているのですが、この像のある住所が「要町」(かなめまち)なんですね。鎹鴉の名前と一致します。

では、煉獄さんと重なるのはキリスト教なのでしょうか?

いえいえ、煉獄さんの場合、キーワードの「さつまいも」には、まだ何かありそうです。

射楯兵主神社の「三ツ山大祭」と煉獄さん

農林水産省の「令和2年産かんしょの作付面積及び収穫量」によると、さつまいもを作っている上位3県はこんな感じになります。

1位 鹿児島(21万4,760t)
2位 茨城(18万2,000t)
3位 千葉(9万200t)

漫画の連載がスタートした平成28年もこんな感じ。生産量の多少の増減はあっても、だいたい同じと言っていいみたいですね。

1位 鹿児島(32万2,800t)
2位 茨城(17万2,000t)
3位 千葉(103,500t)

この3県の関係は何かというと、ミミズクが神使だった射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)の三ツ山大祭と関係があると言えそうです。

三ツ山大祭は、「平将門の乱(935年)と藤原純友の乱(939年)を鎮定するために、天慶2年(939年)に斎行された臨時祭」がその始まりでした。

それぞれの乱が発生した地域は、こんな感じ。

平将門の本拠地→茨城県西部から千葉県北部。
※関連する伝説も、茨城県から千葉県北部にかけて数多く残る

藤原純友の本拠地→愛媛県周辺。出没した地域は備前(岡山)、播磨(兵庫)、淡路(淡路島)、太宰府(北九州)など広範囲。
※純友討伐後は、天喜元年(1053年)に藤原純友の4代孫を称する長谷場永純(はせば ながずみ)が薩摩へ落ち延び、東福寺城(とうふくじじょう)を築いて周辺を支配したと伝えられる

平将門と藤原純友の伝説の地が、ちょうど「さつまいも」の生産量上位の県とぴったり一致しているのです。「さつまいも」、すごいですね。

ということは、「三ツ山大祭」の注目ポイントは数字の「6」に関係しているからだと管理人は思っていたのですが、「三ツ山大祭」の成り立ちからガッツリと「鬼滅の刃」と重なりそうです。

桔梗の花と煉獄さん

桔梗の花

映画「鬼滅の刃 無限列車編」では、煉獄さんの母 瑠火さんの部屋に、桔梗の花が描かれた風鈴がありました。

原作に風鈴は描かれていませんが、瑠火さんの着物の柄の中に桔梗の花が小さく描かれているみたいです(第8巻 64話、66話)。さらに第8巻のカバー折り返しにも「桔梗の花」が描かれていて、かなり大切なキーワードになるようです。

平将門・藤原純友の伝説を見てみると、平将門に関連する人物で「桔梗の前」という女性がいます。

ほとんどは将門の愛妾とされているのですが、千葉県東金市のように「将門の母親である」と伝える地域もあるようです。瑠火さんと重なるのは、平将門の母「桔梗の前」なのでしょうか?

どこか育ちのよさを感じさせる、煉獄さんと平将門

平将門は桓武天皇の曾孫である高望王(たかもちおう)の孫にあたります。つまり、皇族につながる人なんですね。

ただ、高望王は父である高見王(たかみおう)が早世してしまったため中央政界での出世は望めなかったようで、寛平1年(889年)に臣籍降下して平姓を授かり、上総介(かずさのすけ)として坂東へ下向して土着しています。

臣籍降下
この時代は朝廷の財政を圧迫するほど皇族の数が多く、臣籍降下する例が多かったようです。主な名字は、源氏、平氏、藤原、橘の四姓。

政治の世界では摂関政治の中心となった藤原氏が栄え、代わって院政政治の時代になると、中心となった平氏が栄えました。

桓武天皇をルーツとする桓武平氏や、清和天皇をルーツとする清和源氏からは多くの武家を輩出しています。

「平家勘文録」(南北朝期)によると、高望王は反乱を企てた民部卿宗章(みんぶきょう むねあき)を討滅した功によって従五位下に叙せられていたということなので、先のない都に身を置くよりも、武をもって自分の道を切り開いていこうと考えたのかもしれません。

血筋や家柄が重視される世界と槇寿郎さん

「国史大系」(元明天皇和銅五年、712年)によると、将門の父 良持は従四位下で鎮守府将軍を務めていたようですが、将門は都での就職を考えていたみたいで、15歳ごろに京へ出て、藤原北家の藤原忠平(ふじわらのただひら)に家人(侍)として仕え、忠平の推挙で滝口武者(たきぐちのむしゃ)の任につきます。

将門は高望王の孫ですが、それでも都での出世は難しかったようで、望んでいた検非違使には任ぜられることなく帰郷しています。

滝口武者
「滝口の武士」(たきぐちのぶし)ともいって、天皇の住む内裏を警護する人のこと。「滝口の武士」(たきぐちのぶし)と言う場合の「武士」は官職を示します。

成立は宇多天皇の時代で、清涼殿の東北にある御溝水(みかわみず)の落ちる所を宿所としていたのでこう呼ばれました。

天皇の在所や清涼殿の殿上の間(てんじょうのま)は四位、五位の殿上人(てんじょうびと)がその任に当たり、滝口武者は庭などを警護しました。

滝口武者は無位ですが、実績を積めば、滝口の武士→八省の丞(はっしょうのじょう)→左右右衛門少尉→検非違使と出世の道が開かれ、貴族として最下位ではあるものの従五位下に昇進できる可能性がありました。

当時は藤原氏全盛の時代だったこともありますが、思うように出世できなかった宮仕えはどんなものだったのでしょう。

「全ての呼吸が”日の呼吸”の後追いに過ぎない」、「”日の呼吸”の猿真似をし 劣化した呼吸だ 火も水も風も全てが!!」(第8巻 68話)と言っていた煉獄さんのお父さん、槇寿郎さんの言葉とどこか重なりそうです。

瑠火さんの残した言葉と武の者の歴史

将門の父 良将(よしもち)の死後、将門は伯父の国香(くにか)や 良兼(よしかね)と姻戚関係や所領を巡って対立し始めます。

最初は一族の私闘だったようですが、将門の武力に頼る者が出てくると国府とも対立。さらには、国庁を占拠したうえ受領の象徴である印鑑を奪う行為にまで及びます。

「将門記」によると、この反乱で新皇となることについて、弟の将平(まさひら)をはじめ複数の家臣は、「帝王の為すべきことは、人智によって競い求めるものでも力で争うものでもなく、昔から今に至るまで、君主や天皇は当然ながら全てを天から与えられてきたものです。ですから、後世で物の譏り(もののそしり)となる挙に出てはなりません」と諌めるのですが、将門はこう答えます。

武弓之術、既助兩朝。還箭之功、且救短命。將門苟揚兵名於坂東、振合戰於花夷。今世之人、必以撃勝為君。縱非我朝、僉在人國。

如去延長年中大赦契王、以正月一日、討取渤海國、改東丹國領掌也。盍以力虜領哉。

加以、眾力之上、戰討經功也。欲越山之心不憚、欲破巖之力不弱。勝鬥之、念可凌高祖之軍。

凡領八國之程、一朝之君、攻來者、足柄、碓冰固二關、當禦坂東。然則汝曹所申甚迂誕也者。

武弓の術は、既に両朝を助く。還箭(かんせん)の功は、且(また)短命を救ふ。将門も苟(いやし)くも兵の名を坂東に揚げ、合戦の花夷(かい)に振るふ。今の世の人、必ず撃ちて勝てるを以て君と為す。縱(たと)ひ我が朝(わがちょう)に非ずとも、僉(みな)人の国に在り。

去(さ)んぬる延長年中の大赦契王(たいしゃけいおう)の如きは、正月一日を以(もっ)て、渤海国(ぼっかいこく)を討ち取りて、東丹国(とうたんこく)と改めて領掌(りょうしょう)せり。いかんぞ力を以(もっ)て虜領(りょりょう)せざらんや。

加以(しかのみならず)、衆力(しゅうりょく)の上に、戦い討つこと経の巧なり。山を越えんと欲(おも)ふの心憚(はばか)らず。巌(いわお)を破らんと欲(おも)ふの力弱からず。闘ひに勝たむとの念は、高祖の軍を凌ぐべし。

凡(およ)そ八国を領せむの程に、一朝の軍、攻め来たらば、足柄(あしがら)、碓氷(うすい)の二関を固めて、当(まさ)に坂東を禦(ふせ)ぐべし。然(しか)れば則ち汝曹(なむだち)が申す所甚(はなはだ)迂誕(うたん)なり。

実戦における弓術はすでに両方の国を助けている。ぐるりと取り囲んだ矢の仕事はまた短い命を救う。将門も、いやしくも武人の名を坂東において示し、都や地方における合戦で思う存分に力を働かせている。今の世の人は、必ず打ち合って勝つため君主とするのだ。仮に我が国ではなかったとしても、ことごとく外国には例がある。

去る延長のころ、大赦契王(たいしゃけいおう)は正月一日に、渤海国(ぼっかいこく)を占領して、東丹国(とうたんこく)と国の名を改めて支配した。どうして力で占領してはならないのか。

そればかりでなく、多くの人の力の上に、戦い征伐することは教理の働きである。山を越えたいと思う心をひるまずに行い、巌(いわお)をやぶろうと思う力も弱くない。勝とうと一途に思いを込めるのは漢の高祖の軍に勝るだろう。

そもそも八国を領有するだろうから、一国の軍が攻めて来たなら、足柄、碓氷の2カ所の関を固く守って、当然、坂東を防ぎ守るつもりだ。だからつまりお前たちの申すことは非常に大げさで現状に合わないようだ。

「将門記」によると、「1カ国で大罪なら8カ国も同じ。坂東全域を奪いとって様子を窺いましょう」とそそのかしたのは将門の客人 興世王(おきよおう)だったと伝えています。

最終的に将門は「新皇」(しんのう)と名乗って朝敵となり、対立していた従兄弟・平貞盛(たいらのさだもり)と、将門が助力を乞うていた藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の連合軍に打ち破られてしまいます。

将門を討伐した功により、藤原秀郷は従四位下下野守(じゅうよんいげ しもつけのかみ)に叙せられて鎮守府将軍となり、平貞盛も従五位下右馬助(じゅうごいげ うまのすけ)に叙せられて、秀郷に続いて鎮守府将軍を務めるなど、それぞれ軍事貴族として中央政界に地位を築いていったのは皮肉な話です。

こうした武の者の歴史を知って、瑠火さんの言葉を見ると、「なぜ自分が人よりも強く生まれたのかわかりますか」という問いは、かなり重いものがありますよね。

キーワードが指し示す、鹿児島県にあるもの

平将門は茨城県西部から千葉県北部を舞台とする話でした。

もう一つの大きな乱を起こした藤原純友は愛媛県周辺が本拠地で、備前(岡山)、播磨(兵庫)、淡路(淡路島)、太宰府(北九州)など広範囲の地域に出没するのですが、純友が討伐された後は4代孫と称する長谷場永純(はせば ながずみ)が鹿児島へやって来ます。

そういえば、フランシスコ・ザビエルが日本に上陸したのは鹿児島でした。

煉獄さんの技も鹿児島を指しているものがありますよね。「炎の呼吸 壱ノ型 不知火(しらぬい)」です。

「炎の呼吸 壱ノ型」が指す鹿児島県

不知火は陰暦七月末の夜に、熊本県と鹿児島県にまたがる八代海(やつしろかい)に現れるとされる火のことで、現在ではその正体は夜光虫とも、蜃気楼とも言われています。

海岸から数キロメートル沖にいくつも並んで見える怪火なので、かつては龍神の灯火とも考えられていました。

不知火の歴史は古くて、「日本書紀」にも出てきます。

五月壬辰朔、從葦北發船到火國。於是日沒也、夜冥不知著岸。遙視火光、天皇詔挾杪者曰「直指火處。」因指火往之、卽得著岸。天皇問其火光之處曰「何謂邑也。」國人對曰「是八代縣豐村。」亦尋其火「是誰人之火也。」然不得主、茲知非人火。故名其國曰火國也。

五月壬辰(ごがつ みずのえたつ)朔(ついたち)、葦北(あしきた)從(よ)り船を發(た)たしたまひ火の國(ひのくに)に到(いた)る。於是(ここに)、日(ひ)の沒(くれぬ)也(や)、夜(よる)冥(くら)く著(は)く岸を不知(しらず)。遙(はるかに)火(ほ)の光れるを視(め)し、天皇(てんのう)挾杪者(かぢとり)に詔(の)たまはく「直(ひた)火(ほ)の處(ところ)に指せ。」因(よりて)火を指し往(ゆ)き、卽ち岸に得(え)著(は)く。天皇(てんのう)其(そ)の火の光(ひかりし)處(ところ)を問ひたまはく。「何と謂(まを)す邑(むら)なる也(や)?」。國の人對(こた)へ曰(まを)さく「是(これ)八代縣(やつしろあがた)の豐村(とよのむら)なり。」。亦(また)其の火を尋ねたまはく「是(これ)誰人(たれ)之(の)火(ひ)なる也(や)?」然(しかれども)主(ぬし)を不得(えず)。茲(ここに)非人(ひとによらざる)火(ひ)と知りたまふ。故(かれ)其の國を名(なづ)け火の國と曰(のたま)ふ。

五月壬辰朔、葦北(あしきた)より船を出して火の国に到着しました。

ここで日が暮れてしまい、(月がないので)夜も暗く、船を寄せる岸もわかりません。遠くに火の光っているのをご覧になり、天皇が舵取りに「まっすぐ火の光る所を目指せ」とおっしゃるので、火を目指して行くと、すぐに岸に上がることができました。

天皇はその火が光っていた場所を問われて、「何と申す村であるか」。その国の人が答えて申し上げることに、「ここは八代縣(やつしろあがた)の豐村(とよむら)といいます」。また、その火を尋ねられて、「これは誰の火なのか」。

しかしながら主はおらず、ここに「人によらざる火」ということをお知りになりました。故にその国を火の国と名付けられました。

こうして見ると、かなり念入りに「鹿児島」にキーワードが集まっているようです。鹿児島には一体何があるんでしょう?

藤原純友の末裔が残したものから見えるもの

藤原純友の伝説をもう少し見てみると、4代孫と称する長谷場永純が鹿児島にやって来て東福寺城を築きます。現在、多賀山公園のある場所です。

多賀山公園は目の前に桜島と錦江湾を臨むことができる景勝地で、春は桜が楽しめるみたいですよ。そばにはザビエル上陸記念碑もあります。

注目なのは、桜島には167mほどですが愛宕山があり、愛宕神社があることです。

桜島の愛宕神社と月讀神社

大正大噴火(1913年)の際に周辺が溶岩で埋まったため、現在は愛宕神社と牧聞神社(ひらききじんじゃ)が合併して「愛宕枚聞神社」となっています。

祭神は火皇産霊神(ホムスビノカミ)と天照大御神(アマテラスオオミカミ)の二柱です。なんとも爽やかな組み合わせですね。

上の図では、大正大噴火のときに溶岩で埋まった場所をピンクの線で囲んでみました。

ホムスビノカミ
日本書紀では火産霊(ホムスビ)とも表記され、軻遇突智(カグツチ)と同じ神様です。

古事記では火之夜藝速男神(ヒノヤギハヤヲノカミ)・火之炫毘古神(ヒノカガビコノカミ)・火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)と表記されます。

愛宕神社のそばには月讀神社があった

そして愛宕枚聞神社のすぐそばには、月讀神社(つきよみじんじゃ)があったようです。大正大噴火のときに溶岩の下に埋もれてしまったため、現在は少し北に遷座して多賀山公園の正面にあります。

オレンジの斜線で囲んだ部分は、遷座する前の旧社地があった西桜島村赤水の辺りです。鹿児島県ホームページの「桜島大正噴火100周年記念誌」(PDFファイル)に掲載されていた桜島の図を参考にしています。

薄いオレンジで囲んだ部分は、現在の赤水町の位置になります。

溶岩に埋まる前は、水色の海の部分がもっと陸側に迫っていて、神社があった赤水の集落は海のすぐそばだったみたいですね。

参考 「桜島大正噴火100周年記念誌」 大正噴火(第1節~第3節) | 鹿児島県

月讀神社の祭神は、夜を統べる月読命(ツキヨミノミコト)です。痣のある月が度々描かれる「鬼滅の刃」にぴったりの神社になるようです。

ここに合祀されている神様は、こんな感じ。

邇邇芸命(ニニギノミコト) … 天照大御神の孫。稲穂の神。霧島(高千穂峰)に降臨した、初代天皇(神武天皇)の曽祖父。

木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト) … 邇邇芸命の妻。火の女神。古事記では木花佐久夜比売(コノハナサクヤヒメ)。

彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト) … 邇邇芸命の子。古事記では火遠理命(ホオリノミコト)。山幸彦とも呼ばれます。

鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト) … 初代天皇(神武天皇)の父。山幸彦と豊玉姫の間に生まれ、山と海の両方の霊力を持つと言われる神様。

豊玉彦命(トヨタマヒコノミコト) … 海神。山幸彦に嫁いだ豊玉姫の父。古事記では綿津見神(ワタツミノカミ)

月讀神社に合祀されてる神様 「木花咲耶姫命」

木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)は、富士山では祭神である浅間大神(アサマノオオカミ)と同一とされている神様です。

浅間大神は浅間大菩薩(センゲンダイボサツ)とも呼ばれていて、江戸時代では大日如来が本地仏(ほんじぶつ)と解釈されていました。

本地仏(ほんじぶつ)
本地垂迹(ほんじすいじゃく)という、仏や菩薩が衆生を仏道で救うため、借りに日本の神々の姿となって現れるという考え方に出てくる言葉です。

本地仏は、姿を借りる前の本来の仏や菩薩のことをいいます。

富士山には御神体の化身と伝わる赫夜姫伝説もあって、「鬼滅の刃」の「赫灼の子」と関連していそうでした。

桜島は名前に「島」とついているのでわかりにくいですが、ここは北岳、中岳、南岳と円錐状の火山が連なる火口島です。北岳は「御岳」(おんたけ)とも呼ばれていて、修験道と関わりがありそう。

赫夜姫伝説を生んだ富士修験道とも相性がよさそうです。

月讀神社に合祀されてる神様 「彦火火出見命」と「豊玉彦命」

彦火火出見命と豊玉彦命は、記紀(日本書紀、古事記)が伝える「海幸彦・山幸彦」に出てくる神様です。

「海幸彦・山幸彦」は、弟の山幸彦と兄の海幸彦が自分たちの道具を交換して獲物を取りにいくのですが、山幸彦は借りていた釣り針をなくしてしまい、綿津見神がすむ海の国まで探しに行くお話でした。

綿津見神が海じゅうの魚を集めて釣り針を探したところ、鯛ののどの奥から、なくした釣り針が出てきます。

煉獄さんの好きなお弁当のおかずは「鯛の塩焼き」となっていますが(ファンブック第一弾 53頁)、もしかして海幸彦の釣り針が出てきたからでしょうか(笑)

月讀神社に合祀されてる神様 「鵜草葺不合命」

鵜草葺不合命は玉依姫の子どもで、産屋の屋根が葺き終わらないうちに生まれてしまったのでこの名前になりました。煉獄さんの「少しせっかち」(ファンブック第二弾 86頁)という部分は、鵜草葺不合命につながるヒントかもしれませんね。

そして、月讀神社のおみくじは、「鳩みくじ」と「ふくろうみくじ」の2種類があるそうです。

「鳩」といえば、「吾妻鑑」に出てくる源頼朝ゆかりの「鶴岡八幡宮」の神使でした。「ふくろう」は、「射楯兵主神社」の神使です。

おみくじにも射楯兵主神社や三ツ山大祭とイメージの重なるところがあるのは、偶然でしょうか(汗)

ともあれ、当ブログでは別記事で「煉獄さんも山の神(≒月の神)のイメージが隠れているかもしれない」と予想していましたが… 隠れていましたね、よもや、こんな形で(汗)

第1巻 3話末の大正コソコソ噂話で「鬼狩りカグツチ」、「炭のカグツチ」といったタイトル候補が紹介されていましたが、火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)を祀る愛宕神社は、「鬼滅の刃」ではけっこう重要な位置を占めているようです。

ちなみに、炭治郎には愛宕神社(京都・愛宕山)が、義勇さんには鷲尾愛宕神社(福岡・愛宕山)のイメージが重ねられているみたいですよ。

よかったらこちらの記事も覗いてみてくださいね。

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