鬼滅の刃 を貫く、「6」という神秘の数字

「6」のイメージ

Six is an important number in Demon Slayer.
鬼滅の刃では6は重要な数字です。

Giyu’s haori has the meaning of “6”. The Demon Slayer mark that appeared on the Hashira also seemed to mean “6”.
義勇の羽織には「6」の意味があります。柱たちに現れた痣も「6」を意味しているようです。

(この記事は、1巻、3巻、5巻、7巻、10巻、12巻、14巻、15巻、17巻、19巻、20巻、22巻、23巻、ファンブック第一弾のネタバレを含みます)
 

ミミズクを神使とする射楯兵主神社には、20年に一度行われる臨時祭「三ツ山大祭」があって、神様を迎える3つの造り山には「鬼滅の刃」の物語に通じるイメージがありました。

 

 

でも、どうして射楯兵主神社が鬼滅の刃とつながるんでしょう?

それは神社の元々のお祭り「一ツ山大祭」が、「60年に一度」のタイミングで斎行されているからかもしれませんよ。

(この記事は、「「六」を使った鬼退治」以外は、アニメ視聴メインの方が読んでも大丈夫だと思います)

鬼滅の刃で繰り返し描かれる数字

お祭りが実施される「60」という数字に注目すると、鬼滅の刃には数字のメッセージがあることに気が付きます。こんな感じ。

 

・炭治郎と禰豆子を支える6人の家族の亡霊(第1巻 7話、第5巻 40話、第7巻 57話、第10巻 82話、83話)
・義勇さんが引き継いだ刀の鍔(六角)と羽織の柄(六角)(ファンブック第一弾 49頁)
・痣の特徴
・黒死牟の特徴(第20巻 173話)
・零式の特徴(第12巻 103話)

 

このように鬼滅の刃では、「6」という数字が繰り返し描かれています。

考えてみれば、第1話の題名がいくら「残酷」だからといって、炭治郎の兄弟は別に5人もいなくていいわけです。書き分けるのも大変ですよね。

でも、炭治郎と禰豆子を支える家族は「6」でなければいけないのであれば、話は変わってきます。節目、節目で炭治郎と禰豆子を助ける家族の数は、ちょうど6人です。

 

1. お父さん・炭十郎
2. お母さん・葵枝
3. 竹雄
4. 花子
5. 茂
6. 六太

 

このこだわりは、義勇さんの羽織にも見ることができます。

義勇さんが一番小さく描かれているのは、第15巻130話の橋の上のシーンだと思うのですが、こんな小さなスペースに描かれているにもかかわらず、羽織には連続する模様がきっちり描かれているのです。

義勇さんの模様は何を表す?

義勇さんの羽織の模様の部分は、錆兎の形見の着物です。そして錆兎の着物は、鬼に殺されたお父さんの形見でもあります。

ファンブックでは、「刀の鍔も羽織の柄と同じ亀甲形」(ファンブック第一弾 49頁)と説明されていました。刀の鍔も錆兎と同じ亀甲形になるようです。(第15巻 131話)

でも羽織のこの模様、普通の亀甲形じゃありませんよね。どうなっているのでしょう?

亀甲形ってどんな模様?

というわけで、どういうものが亀甲形になるのか調べてみました。基本的なものはこれですね。

この模様の由来は亀の甲羅で、厄を払い身を護る意味を持っています。

 
亀甲模様

Basic tortoiseshell pattern. The hexagons are arranged in an orderly fashion. It was introduced to Japan during the Asuka and Nara periods.
ベーシックな亀甲模様。六角形が整然と並んでいます。日本には飛鳥・奈良時代に伝来しました。
亀甲模様
飛鳥・奈良時代に古代中国から伝来したと伝わる模様で、当時は高貴な身分の人のみが使える模様でした。鎌倉時代になると、厄除けとして、衣類や武具に好んで用いられるようになります。

 

武士に人気のあった「毘沙門亀甲」

武士の間では、戦勝、必勝の神である毘沙門天に由来する「毘沙門亀甲」が好まれていたようです。

パッと見、まるで違う模様に見えますが、これも亀甲模様です。水色の色で塗った部分が亀甲模様になっているのがわかります?

 
毘沙門亀甲

Bishamon tortoiseshell consists of three hexagons. These are arranged in regular rows. Another feature is that the seven parts make a large hexagonal shape.
毘沙門鼈甲は3つの六角形で構成されています。これらは規則的に並んでいます。 7つのパーツで大きな六角形になります。7パーツで大きな六角形をつくっているのも特徴です。
毘沙門亀甲(びしゃもんきっこう)
毘沙門天の甲冑の柄に由来する亀甲紋。

亀甲柄を3つ組み合わせた「人」の字で構成されている複雑な模様ですが、少し引いて見ると、さらに大きな六角形の亀甲模様が隠れているのが特徴です。

 

建築などでよく使われる「亀甲網代」

でも、義勇さんの場合はもう少し立体的ですよね。「亀甲網代」(きっこうあじろ)でしょうか。

亀甲網代を絵にすると、六角形の小さなパーツが3つ寄り集まっているように見えますが、通常はリボン状の細長い材料を編み込んでつくる、「編み組」で表現される模様です。

 
亀甲網代

Tortoise shell wickerwork is made by weaving ribbon-like parts. It looks very similar to Giyu’s haori.
亀甲網代はリボン状のパーツを編んでつくられます。義勇さんの羽織にかなり似ている模様です。
亀甲網代(きっこうあじろ)

「亀甲文様」を網代で表したもので、模様の名前は縄文時代からある「網代」(あじろ)という漁法に由来します。

素材としては、杉柾(すぎまさ)、さわら、ねずこ、竹皮、杉皮、桧皮といった「へぎ材」など。天井、壁面、建具といった建物の内装や、車、輿(こし)、団扇、笠などさまざまな場所で使われます。

ちなみに、ねずこ材は木曽五木の一つで、虫に強い素材です。こちらの記事でも触れているので、よかったら覗いてみてくださいね⇒「禰豆子が生き残れたのはなぜ? 月の形から、「鬼滅の刃」1話の状況を考えてみた」

 

義勇さんの羽織の模様は複合的

義勇さんの場合、この模様にもう少し捻りが入っているようです。

 
変わり毘沙門亀甲

Giyu’s haori is thought to have a bishamon tortoiseshell design used in sashiko in part of the pattern.
義勇さんの羽織には、模様の一部に刺し子で用いられる毘沙門亀甲のデザインが入っていると考えられます。

 

上の図でいうと左図の縦線を入れた部分、ここに毘沙門亀甲の「人」の字に似た幾何学模様が上下逆になって入ってます。

右の図は、義勇さんの羽織の特徴的な部分を取り出してみました。下に重ねているのは、刺し子のデザインで見られる「毘沙門亀甲」を上下ひっくり返しています。

最初に見た毘沙門亀甲に比べると似ていないように見えるかもしれませんが、刺し子は直線で構成されるデザインになるので、同じ毘沙門亀甲でもこんな感じになるんですね。

こうして見ると、亀甲模様の中にさらに亀甲模様に関連するデザインが書き込まれていることになるわけで、どこまでも亀甲尽くしになっているところが義勇さんの模様の特徴といえそうです。

ただ、亀甲網代は「編み組」であること、義勇さんの刀の鍔も「六角の一辺の端が重なり合った、竹細工を思わせる模様」になっていることなどを考えると、もう少し何か意味がありそうです。

第1巻 カバー折返しに描かれたヒント

そういえば、第1巻 カバー折り返しに描かれている花は鉄線の花でした。花びらのように見える部分は萼片(がくへん)で、花びら状に6枚あるのが特徴です。

 
1巻カバー絵に描かれていた鉄線の花
 

そして六ツ目編みの一種に、「鉄線編み」というのがあるんですよね。

 
六ツ目編みと亀甲網(鉄線編み)
 

上の図は左が「六つ目編み」、右が「亀甲編み」(鉄線編み)です。

どちらも使う材料は6筋ですが、「六ツ目編み」は中央の六角の目が大きくて、三角を上下に重ねたような、「籠目」の模様が目立っているのが特徴です。水色で示した部分ですね。

これに比べると「亀甲編み」は隙間がずっと小さくなります。籠目は網目の中に埋もれがちになりますが、オレンジの部分のように花に似た模様が際立ってくるのが特徴です。この部分を鉄線の花に見立てて「鉄線編み」とも呼ばれています。「亀甲編み」は緑色の部分に注目した名前ですね。

九州には古くから竹細工の技術を受け継ぐ地域が多いのですが、中でも福岡県八女市は平家の落人伝説があり、炭治郎と関連があるのではないかと指摘されている「溝口竈門神社」がすぐそばにあります

「鬼滅の刃」に竹細工の文化が関係していてもおかしくなさそうです。

 
溝口竈門神社と源平合戦最後の地
 

義勇さんの羽織に隠れていた模様は籠目紋

編み組にはこうした隠れた模様があることを押さえて、義勇さんの羽織の模様をもう一度よく見ると、六角形に囲まれた籠目(六芒星)が横向きになって浮かび上がってきますよ。

こんな感じ。

 
義勇さんの亀甲模様に隠れているもの
 

そういえば義勇さんの誕生日は、2月8日でした。(ファンブック第一弾、46頁)

この日は「事八日」(ことようか)といって、鬼や妖怪がやってきて害をなすとして、目籠など魔除けとなるものを戸口や軒下に掲げる地域があるみたいです。もしかすると、山の神の神事に絡めた何かのヒントになっているのかもしれませんね。

 

事八日
地域によって1月8日、2月8日、3月8日、4月8日、7月8日、10月8日、11月8日、12月8日といろいろあります。

1月は年の変わり目。2月は立春の直後で季節の変わり目。3月、4月は山から里に降りてくる山の神に関する農事のある月。10月8日、11月8日は里から山に帰る山の神に関する農事のある月。12月は年末といった区切りが関係しているようです。

目籠は目がたくさんあるため妖怪のたぐいは恐れて逃げていくとか、目の数を数えているうちに朝になるとか、魔除けの理由もいろいろあるみたいです。

 

陰陽五行から見た「6」の特徴

五色山
 

ちょっと興味深いのは、射楯兵主神社のお祭りで設けられる造り山のうち、20年に一度の「三ツ山大祭」と、60年に一度の「一つ山大祭」に共通する「五色山」の特徴です。

この造り山を飾るのは大江山の鬼退治で、陰陽五行に通じる五色の布が使われています。

陰陽五行から見ると、「6」はとても興味深い数字になるようです。

「六」を使った鬼退治

「6」は「2」と「3」の最小公倍数ですが、それぞれを陰陽五行で見ると、「2」は「陰」の数字で、「3」は「陽」の数字となります。

つまり、「6」という数字は、陰陽両方の要素を持つ数字になります。

 

最小公倍数
2つ以上の正の整数で共通する倍数(公倍数)のうち最小のもの

 

無惨討伐では、この「6」の特徴を生かした戦い方が描かれているようです。

例えば義勇さんと炭治郎が二人で刀を赫くして、無惨にダメージを与える場面です。(第23巻 199話)

このとき義勇さんは水の呼吸、炭治郎は日の呼吸を使っていました。これは陰と陽の関係と考えることができそうです。

陰陽の理では、左が「陽」、右が「陰」と考えられています。刀を持つ手を含めてそれぞれ見ていくと、陰陽がクロスしているように見えます。

 

炭治郎 … 【陽】日の呼吸 【陰】右手 
義勇 … 【陰】水の呼吸 【陽】左手

 

これを「籠目」の交差する三角になぞらえると、陰と陽が交差する形として見ることができそうです。

 
火と水の三角形
 

神道では古い文献に「神は火水(カミ)なり」という言葉が記録されているそうですが、これは籠目の形に当てはまりそうですね。

 
参考 【境内案内2】 神は火水なり | 身曾岐神社
 

この他、柱たちに出現した痣をよく見ると、それぞれ「6」につながる形をしていると考えることができそうです。

 

霞柱 時透無一郎(第14巻 118話)
左の額(1)、両頬(2, 3)、左腕(4, 5)、右腕(6)

恋柱 甘露寺蜜璃(第14巻 124話)
2つのハートの曲に出た部分(1, 2, 3, 4)、葉っぱのように両サイドに出た尖り(5, 6)

水柱 冨岡義勇(第17巻 150話)
巴に似た模様(1, 2, 3)と小さな丸(4, 5, 6)

風柱 不死川実弥(第20巻 170話)
風車の羽(1, 2, 3, 4)、両サイドにある小さな丸(5, 6)

蛇柱 伊黒小芭内(第22巻 189話)
蛇に似た曲線模様(1, 2, 3, 4)、間にある丸(5, 6)

 

ただ一人違うのは岩柱の悲鳴嶼さんで、不規則な輪の集まりから外側に枝分かれして伸びる模様が、両腕にそれぞれ出現していました。

漫画でははっきりしませんが、閉じた輪の部分は片腕で6つあるのかな? という感じです(第19巻 169話)

「6」を基本にした痣が1種類なのか、それとも2種類なのか、こうした痣の出方の違いは、もしかすると痣の寿命問題にも関わっていそうです。

80歳を超えても痣が出ているのは左の額だけだった縁壱に対して、痣の寿命問題を恐れていた厳勝は、左の額だけでなく、右の首から顎にかけても痣が出現していました。

悲鳴嶼さんと痣の出現するパターンが似ているようです。(第20巻 174話、178話)

流れる水が示すもの

この他、「六」は「水の流れを表す」とも考えられています。

陰陽五行説によると、この世界は原初唯一の「混沌」から陰陽の二気が分かれて五行が生まれたといい、このとき「水→火→木→金→土」の順で生成されたと考えられています。

この五行に数字を割り当てると、生数(1~5の数)と成数(6~10の数)ではそれぞれ「1」と「6」が「水」とされているのです。

 

水 … 1、6
火 … 2、7
木 … 3、8
金 … 4、9
土 … 5、10

 

「1」と「6」はどちらも水を表しますが、「1」は水を生じるものの、まだ動きをなすことができない状態。生数の「5」を得て成数の「6」となることで流れが生まれ、万物を潤す働きが起こると考えられています。

「鬼滅の刃」に度々描かれる「六」も水の流れを表しているとすると、単行本のカバーやカバー折り返し部分に水流紋が描かれているのも納得ですよね。

 
参考 「陰陽五行と日本の民族」吉野裕子著
参考 「易・五行と源氏の世界」 吉野裕子著
参考 五行の生成とその順序 | 聖至会
 

興味深いのは、天皇から賜った姓で大きな勢力を持っていた四姓「源平藤橘」(げんぺいとうきつ)の一つである「源」(みなもと)は、「和訓栞」(わくんのしおり)(江戸後期)では水の源として説明されているところです。

 

みなもと
源をよめり水_元の義なり

参考 みなもと 倭訓栞.3 谷節清著(コマ番号133/271) | 国立国会図書館デジタルコレクション
 

四姓のうち、源氏と平氏はそれぞれ天皇を祖先に持つため、皇族賜姓(こうぞくしせい)といって他の2つの姓とはちょっと格の違うところがあります。国の財政逼迫を避けるため、皇位継承に関わる東宮(皇太子)と親王以外は「源」か「平」の姓を賜って臣下に降ってきたからです。

源氏の「源」は嵯峨天皇が臣籍に降下する皇子皇女に源姓を与えたことにはじまり、「皇族と祖を同じくする」という意味。

そして、平氏の「平」は桓武天皇が皇子・葛原親王の子である高棟王に平姓を与えたことにはじまり、桓武天皇が建設した平安京にちなんだ姓です。

「6」を「みなもと」ととらえた場合、やんごとなき人々につながる数字ということが言えそうです。

別記事にまとめていますが、炭治郎の「俺は長男だから我慢できたけど、次男だったら我慢できなかった」(第3巻 24話)という言葉には、源平合戦前に発生した京都の大火が重なっていました。

ファンブックから読み取れるキーワードを辿っていくと、宇髄さんの目の化粧から一条天皇につながって、平安時代の怨霊伝説が重なってくるようです。

こういうところを見ても、「6」には何か意識されているものがありそうです。

 

 

「六」が表す循環する世界

「6」が「流れる水」を表すとすると、鬼殺隊の階級もちょっと興味深い特徴が見えてきます。鬼殺隊の階級は十段階あり、十干(じっかん)で表されていました。

 

甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸

 

ただ、順位を表す場合、本来は音読みで表現するはずですよね。こんな感じ。

 

甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)

 

ところが階級(ランク)を表すはずなのに、鬼殺隊の階級は訓読みをするのです。こんな感じ。

 

甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)

 

これは陰陽五行説の意味を踏まえた読み方になります。年上のものを表す兄(え)で「陽」を表し、年下の同性のきょうだいを表す弟(おと)で「陰」を表します。

 

甲(きのえ)=木の兄
乙(きのと)=木の弟
丙(ひのえ)=火の兄
丁(ひのと)=火の弟
戊(つちのえ)=土の兄
己(つちのと)=土の弟
庚(かのえ)=金の兄
辛(かのと)=金の弟
壬(みずのえ)=水の兄
癸(みずのと)=水の弟

 

このように十干が訓読みになる時、十二支とセットになって月日や年を表すことが多いようです。こんな感じ。

 

甲子(きのえね)、乙丑(きのとうし)、丙寅(ひのえとら)、丁卯(ひのとう)、戊辰(つちのえたつ)…

 

最後の癸亥(みずのとい)までくると、次は最初の甲子(きのえね)に戻ります。まるで「6」が表す水の流れが循環するかのようですね。

そして、計算の上では10×12=120なのですが、十干十二支は実際の組み合わせは全部で60になります。

これは十二支にも陰陽が割り当てられていて、十干十二支(六十干支)を組み合わせるとき、「陰と陽」の組み合わせは用いないためです。

十二支の陰陽はこんな感じ。

 

子(陽)、丑(陰)、寅(陽)、卯(陰)、辰(陽)、巳(陰)、午(陽)、未(陰)、申(陽)、酉(陰)、戌(陽)、亥(陰)

 

なので、それぞれこんな組み合わせになります。

 

陽(兄)の「甲、丙、戊、庚、壬」は、陽の「子、寅、辰、午、申、戌」と組み合わせる。
陰(弟)の「乙、丁、己、辛、癸」は、陰の「丑、卯、巳、未、酉、亥」と組み合わせる。

 

5×6=30の組み合わせが2種類あるので、合計すると60になるわけですね。

射楯兵主神社の「一つ山大祭」は年単位で十干十二支を数えるので60年に一度のタイミングでお祭りが行われ、「庚申待ち」は日単位で十干十二支を数えるので60日に一度のタイミングで行事が巡ってくるわけです。

射楯兵主神社の「三ツ山大祭」には、無限列車を思わせるような造り山があり、怨霊となって天皇家にも祟ったという藤原元方の伝説には「庚申待ち」に関わる伝説がありました。

鬼殺隊の階級が訓読みになっているのは、60で一巡りする十干十二支(六十干支)を指すヒントになっているのかもしれませんね。

 

 

「六」につながる神と人

また、名前や特徴で、「六」にまつわる鍵になっている人間や神様がいるようです。

例えば「六」に音が通じる「陸」の文字には、「字義」の中に「道」の意味が含まれています(角川 漢和中辞典)。

 


[解字]
高い丘の連なる意味。

[字義]
1. おか(をか)。くが。高く平らな地。「大陸」「陸地」
2. あつい(厚)。
3. たかい(高)。
4. みち(道)。船によらないで、歩行または馬車などで行く道。「陸路」
5. おどる(跳)。「陸梁(りくりょう)」。
6. 音が通じるので「六」に通用する。「陸尺」。
7. つづくさま。「陸続」。
8. 双陸は、すごろく。

 

塞の神(サイノカミ)とも呼ばれる道祖神は、「道陸神」(ドウロクジン)と表記することがあるのですが、「陸」と「六」を置き換えた「道六神」と表記することもあるんですよね。

「道祖神」は「六」にまつわる神様ということがいえそうです。

塞の神が祀られているのは、村境や橋の袂、峠の上、道路の交差点や辻など、内と外の境と考えられていた場所です。

江戸時代になると3年18回の勤行を続けたことを記念して、集落の街道筋や通りの分岐点などに庚申塔を建立するようになる庚申信仰とも習合して、塞の神は「日本書紀」にも出てくる猿田彦命と同一視されるようになります。

猿田彦命は、鱗滝さんとイメージが重なるところがありました。

 

 

習合(しゅうごう)
いくつかの教義や主張を一つにまとめること。習合思想は本地垂迹思想(ほんじすいじゃくしそう)ともいいます。

「法華経」では、仏は無限の命を持ち、人々を導くために姿を変えて現れるといい、その一つがお釈迦様であると解説されているので、「じゃあ、日本の神様も入るじゃん」てことで、「本地仏が日本古来の神の姿を借りて現れる」という本地垂迹という考え方が生まれました。

 

また、塞の神(道祖神)には、衣類や片袖、獣皮などを捧げる風習があったと考える研究者の方があります。

この風習に関わるお祭りが、小袖を災厄と汚れの象徴としてとらえる射楯兵主神社の「三ツ山大祭」と八坂神社の「祇園祭」です。

 

 

小袖を死者の衣類として見ると、明暦の大火には三人の少女が関わる振り袖にまつわる因縁話があり、明暦の大火には「振袖火事」という別名があります。

遊郭編のエンディングに描かれる三人の娘にどこか重なる悲しい伝説です。

 

 

名前や特徴に「六」を持つ人々はこんな感じ。

幼名を「源六」と名乗っていた徳川吉宗は、一条天皇につながっていました。

豊臣秀吉は「六つめの指」を持っていたと伝えられていて、炭治郎のイメージが重なる興聖寺にも祀られている三面大黒を守り本尊にしていた人物です。

晩年、糖尿病を患っていた藤原道長は名前に「六」に通じる「道」の字があり、文献に記載された最初の糖尿病患者として、第15回国際糖尿病会議の記念切手に六角形のインスリン結晶とともにデザインされています。

同じく名前に「道」の字がある蘆屋道満は、「宇治拾遺物語」(鎌倉時代前期)では「道摩法師」(どうまほうし)という名前で、妓夫太郎のイメージに重なる藤原顕光の前に現れます。

特に道満は、京都と姫路をつなぐ鍵になっているようです。

「峰相記」(鎌倉・南北朝時代)によると、安倍晴明によって藤原道長(ふじわらのみちなが)に呪詛をかけようとしていたことを見破られた道満は、呪術の依頼主が藤原顕光(ふじわらのあきみつ)であることを自白した後、播磨の佐用郡(現 兵庫県佐用郡佐用町)に流されたと伝えられています。

佐用町には、道満が流されてきた後もなお、企みを捨てなかったため、京都からやってきた晴明と谷を挟んで最後の呪術対決があったという伝説があります。

ただ、道満が本当に道長を呪詛しようとしたのか、本当に罪人として佐用町に流れてきたのかは不明です。

「日本紀略」(平安末期)に記された事件の顛末で明らかになっているのは、「陰陽師法師」という職業名のみです。「政事要略」(寛弘6年ごろ)や、「円能勧問日記」(平安中期)には、呪詛の実行者には「円能」という別人の名前が記録されていて、どちらも蘆屋道満の名前は記されていないんですね。

かつて陰陽師として安倍晴明と並び評される人物が佐用町に住んでいて、その地で亡くなったということだけは言えるようです。

ただ、佐用町にはもう一つ、興味深い伝説が残っています。道満の死後、陰陽師の業を継いだ子孫は飾磨郡英賀(現 姫路市飾磨区英賀)、もしくは三宅(現 姫路市飾磨区三宅)に移り住んだというのです。

地図で見るとこんな感じ。当時の射楯兵主神社は姫路城がある辺りに鎮座していた時代ですが、神社のかなり近い場所へ引っ越していったことになるようです。

 
英賀と三宅の位置関係
 

「鬼滅の刃」では、義勇さんや鱗滝さんの他にも「六」の要素を持つキャラクターがいるみたいですよ。よかったらこちらの記事も覗いてみてくださいね。

 

 

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