炭治郎と禰豆子が変化するたび、月に模様が浮かびます。
Demon Slayer Mark seems to have a deep connection with the moon.
鬼滅の刃の痣は、月と深い関わりがありそうです。
(この記事は、4巻、7巻、8巻、10巻、12巻、13巻、14巻、15巻、16巻、17巻、18巻、20巻、21巻、22巻のネタバレを含みます)
剣士の痣
「鬼滅の刃」では、全集中の呼吸を極めた者が一定の条件を満たすと、体に「痣」が現れます。その状態で発揮される基本的な力は、こんな感じ。
・桁違いの反射、戦いへの適応、瀬戸際での爆発的な成長(第13巻114話)
ただ、戦国時代の始まりの呼吸の剣士たちが痣を発現したときと、大正時代の炭治郎たちが痣を発現したときでは少し様子が変わるようです。
第20巻176話の黒死牟によると、さらにこんな力が発揮されています。
・斬られても斬られても失血死しない
・鬼に匹敵する成長速度で、肉体の限界を超える動きをし続ける
・日の呼吸の使い手ではない者たちが刃を赤く染める
もちろん人間なので限界はあります。第18巻154話では、猗窩座に対峙する義勇さんの所でこんな解説が示されています。
全力疾走というものは、長時間できることではない。通常の人間は、全力であれば十秒走るのですら激しく息切れする。それ以上動き続けると、まず速度が落ち、技の精度も落ちていく。筋肉疲労で手足は鉛のように重くなる。疲労・負傷の概念がない鬼。さらには上弦との戦いで、長時間全力を維持し続けたのは、呼吸を使える者だけが起こせる奇跡だ(第18巻154話)
果たして、この痣とは一体なんでしょう?
第14巻の124話で、半天狗が生み出した憎珀天が、甘露寺さんの痣を見て「鬼の文様と似ている」とつぶやいていたように、実は下弦以上の鬼にも、体のどこかに文様があります。
つまり痣は、剣士の痣者と、下弦以上の鬼に見られるわけです。しかも似ている。
痣に関係する伝説が何かないかなと調べてみたところ、民俗学を研究している人の中に、月と痣の関係を挙げている人がいました。
月信仰と痣
劉福徳という方の論文「蛭子考」では、月信仰と山の神、火の神の関係に触れています。
参考 つくばリポジトリ
月の満ち欠けから「不具」を、月の表面に見える陰影から「醜さ」に関連させた物語が各地に残っているそうですよ。
さらに、山の神様は醜い容貌をした女性神と伝わることや、火の神様は不潔を嫌い、激しく祟るといった伝説も影響しあって、関連を持っていると考えられるようです。
大体、こんな感じになるのかな? 色分けして並べてみました。
山岳信仰や、火の神様「迦具土」(カグツチ)の関連が指摘されている「鬼滅の刃」ですが、山の神様も火の神様も、月が持つ「不具」や「醜さ」からくる影響を受けているとしたら、鬼滅の刃の痣も、月のこうしたイメージに鍵がありそうです。
最終決戦で、無惨の毒で変貌した炭治郎の様子は、まさに月の不具や醜さを背負っているみたいでしたもんね(汗)
月といえば、管理人も気がついたことが一つあります。
刀鍛冶の里が鬼の襲撃を受ける第12巻。105話の最後のほうで描かれる月に、なんとも禍々しい痣のような模様があるのです。
では、月に浮かぶ痣のような模様、もしくはクレーターは、鬼滅の刃ではどんなときに描かれているんでしょう?
鬼の回想や、過去の記憶の中にも、模様のある月が描かれるケースがあるのですが、物語の進行上で描かれている月に限ってまとめるとこんな感じになります。
第4巻 那田蜘蛛山の月
那田蜘蛛山の戦いでは、月が明るく輝き、痣のような模様が現れました。
第1巻~3巻までは、月が描かれても模様はありません。
第4巻29話の累が登場する場面で、初めて月に模様が描かれます。そして、那田蜘蛛山の一件が解決するまで描かれる月すべてに、クレーターっぽい模様が描かれています。
この場面で描かれているのは…
・炭治郎は走馬灯の中でお父さんのメッセージを受けて、初めてヒノカミ神楽を技として使う
・禰豆子は回復の眠りの中、お母さんに呼びかけられて目覚め、初めての血鬼術「爆血」を放つ
これまでも、手鬼の攻撃で気を失っている炭治郎に、弟の茂が呼びかけて危機を伝えることがありましたが、月に模様が描かれたこの場面から、明確なメッセージを含んで物語が急展開していきます。
第7巻 無限列車の月
第7巻の話の中で月は出てきませんが、55話の表紙に描かれた無限列車の上空に、模様のある欠けた月が浮かんでいます。
この場面で描かれているのは…
この後、吉原・遊郭の話に入っていきますが、月に模様が出てくるのは少し先になります。
第10巻 吉原・遊郭の月
この間には、人間の限界を超えかけた炭治郎が堕姫をぎりぎりまで追い詰めたり、強い怒りのエネルギーで鬼化が進んだ禰豆子に痣が現れたりしますが、月が描かれることはありません。
かなり話が進んでから、妓夫太郎が登場する86話になって、やっと模様の浮かんだ満月が現れます。ここから第11巻の97話まで、模様のある満月が空にありますよ。
この場面で描かれているのは…
・鬼の毒による負傷者の解毒に、禰豆子の爆血が力を発揮する
そして戦いの後、上弦の鬼に勝利した報告を受けて、「運命が変わり始める兆しだ」とお館様が予見する、その館の上にも模様の浮き出た月が浮かんでいます。
第12巻 刀鍛冶の里の月
第12巻の105話では、玉壺が現れる直前に、痣のようなくっきりとした模様が月に描かれています。ただ、模様のある月は、この一コマだけです。
この後もまだまだ鬼との戦いが続くし、空には月も描かれるのですが、すべて模様のないきれいな月に変わってしまいます。これまでは、その場面が終了するまで模様のある月が描かれていることが多かったのに、かなりあっさりしてますね。
この後、模様のある月が描かれるのは第15巻の131話で、珠世さんとお館様のカラスが接触する場面が最後になります。
なので、戦闘の場面で描かれるのは、第12巻のこのシーンが最後になります。
第12巻の場面で描かれているのは…
・鬼と戦う中で、無一郎、甘露寺の二人に痣が現れる
・翌朝、禰豆子が太陽を克服する
第17巻 最終決戦の夜
珠世さんと鴉の場面(第15巻 131話)で最後かと思っていたら、1つシーンを見逃していました(汗)
最終決戦の夜、人間に戻る薬を服用した禰豆子を鱗滝さんが見守る場面(147話)で、館の上に模様のある月が描かれています。
このとき炭治郎は、ちょうど猗窩座と対峙する場面。第17巻で出てくるのは…
・炭治郎、父に教えてもらった透き通る世界を体得
この後は無限城での戦闘が続くので、月はしばらく描かれないのですが、無限城が地上へ表れる第21巻 183話で描かれる月には、痣のような模様はなくなっています。
このときも、刀鍛冶の里と同じくあっさりした感じの現れ方でした。
でもこれ、やっぱりワニ先生は、月も意識して書き分けてますよね(汗)
鬼の痣
こうして通して見ていくと、月に痣のような模様が現れるたびに、炭治郎と禰豆子は変化していきます。
鬼を倒すために必要なヒノカミ神楽(日の呼吸)を技として自分のものにし、痣を出現させて加速させ、赫刀を手に入れます。
でも、第20巻175話で縁壱が言っていたように、「これから生まれてくる子供たちが、(今の世代を超えた)さらなる高みへ登っていく」というように、ゆっくり進むのが自然の理なら、第20巻170話で黒死牟が言うように、その世代のうちに問題を解決しようとして、「痣を出現させ、力を向上できたとしても、所詮それは寿命の前借りに過ぎない」ことになるのでしょう。
猗窩座と対峙して痣を出現させた義勇さんによると、「(圧倒される強者と出会って)閉じていた感覚が叩き起こされ、引きずられる。強者の立つ場所へ」(第17巻150話)と言っているので、痣の発現はかなり無理がかかるようです。
そんな痣ですが、鬼を倒すために働いてくれているように見えるのに、鬼にも痣があるのは何なのでしょう?
人間の側から見ればそんなふうに見えますが、陰陽五行の比和(ひわ)の関係がいいも悪いもなく影響しあうように、人も鬼も関係なく、そこに存在していれば、月の影響は痣となって現れているのかもしれませんね。
大きく違うのは、鬼は人間のように限界がないことです。
しかも、無惨は「変化は劣化、衰え」(第16巻 98話)だとして、そもそも変化することを嫌っています。
月は満ち欠けをして変化していくものなのに、その変化を拒否するのは、月の理に反しているといえそう。
さらには太陽を克服するべく、自分を鬼に変えた青い彼岸花を千年以上も探し回っているわけですから(第8話 67話、第15話 127話)、陰陽のバランスさえ拒んで永遠を望む生き物は、炭治郎が言うように「存在してはいけない生き物」(第21巻 181話)なのかもしれません。
ちなみに「角川 漢和中辞典」によると、「痣」は病垂れに志(あとがつく)と書きます。
「志」の字義はこんな感じ。「志」は「幕末の志士」とか「少年よ大志を抱け」みたいなイメージが強い文字だけど、何かを記録したり残したりする意味もあるみたいですよ。
1. こころざす。心をその方にむける。こころざし。
2. のぞみ。ねがい。
3. したう
4. しるす(記)。かきしるす(誌)。しるしたもの。書きもの。記録。
5. おぼえる
ワニ先生、この辺の痣の意味もわかったうえで、わざわざ痣に設定してそうですね…。
ちなみに英語では、痣のことは”mark”とか”Demon Slayer mark”と訳されているようです。4番のイメージに近い感じかな?
月の影響が印として現れたもの、それが鬼滅の刃の痣なのかもしれませんね。
痣者の寿命
黒死牟によると、剣士で痣を持つ人は「痣の者」もしくは「痣者」と呼ばれ、「痣の者は例外なく、二十五の歳を迎える前に死ぬ」(第20巻 170話)といいます。
直後に悲鳴嶼さんが虚偽だと看破してましたが、確かに例外がいます。始まりの呼吸の剣士である縁壱と、炭治郎のお父さんの炭十郎です。
炭治郎から槇寿郎への手紙で、炭治郎のお父さんには生まれつき、額に薄い痣があったことが明らかにされています。(10巻81話)
黒死牟によると、縁壱は八十歳を越えて生きていたようですが(第20巻 174話)、炭治郎のお父さんはいくつだったのでしょう?
公式ファンブックによると、炭治郎が鬼に家族を襲われたのは13歳。お父さんが亡くなったのがその直前だったとしても、25歳-13歳=12歳。痣者の限界で亡くなっていたとすると、12歳で炭治郎のお父さんになっていることになってしまいますよ。これはさすがにおかしいですよね。
内閣府の「平均初婚年齢の推移」によると、大正時代は男性で27歳くらい、女性で23歳くらいなので、平均的な年齢で結婚して、すぐに炭治郎が生まれたとすると、27歳+13歳=40歳くらいになります。
明治・大正時代の平均年齢は、男性で43歳前後なので、40歳くらいであれば、平均より少し早いけれど、当時としてはそんなにびっくりするほど早く亡くなってしまったわけではない設定になります。
では、法的な年齢から見るとどうでしょう? 江戸時代は15歳で元服していましたが、明治9年太政官布告第41号で満20歳が成年年齢と定められ、明治29年4月27日から民法でも成人の年齢は20歳と定められているので、明治29年4月27日以前で15歳だったとすると、炭治郎が生まれたときには18歳。18歳+13歳=31歳。
法律から見た場合、若くても31歳くらいだったといえそうです。
参考 成人の年齢が20歳になったのはいつからか… | レファレンス協同データベース
参考 民法(成年年齢関係)改正 Q&A | 法務省
これだと平均年齢より若いものの、痣者の限界は超えることができていますね。
共通点はどちらも生まれつきの痣者ですが、違う点もありますよ。
縁壱は日の呼吸の使い手で、7歳でいきなり剣技の指南を倒してしまう先天的なものがありますが(第20巻 177話)、炭十郎は日の呼吸を継承するヒノカミ神楽の舞手で、「弛まぬ努力を続ける」ことで獲得した後天的なものです(第17巻 151話)。
そして、どちらも透き通る世界に入ることができますが、縁壱は先天的、炭十郎は後天的ですね。
最初に比較して見たように、戦国時代の始まりの呼吸の剣士たちにできなかったことでも、大正時代の炭治郎たちにはできることが多数あるわけです。
戦国時代のレベルでは25歳を超える前に死んでしまっていたことでも、大正時代のレベルなら、また違う結果が出せるかもしれませんね。
ちなみに、二人にはもう一つ共通点があります。
物静かで感情をあまり顔に出さないけれど、素直で素朴、争いを好まないおっとりした性格(第21話186話 戦国コソコソ話)
父は植物のような人だった。感情の起伏が殆ど無い人で、いつも穏やかだった。(第17話151話)
これが寿命を保つ人の共通する性質だとすると、炭治郎や義勇さんはともかく、タイプが真逆の不死川さんは苦労しそうですよね。心配しなくても、不死川流の道を開いてしまいそうですが(汗)
ちなみに、炭十郎が熊を退治する様子を炭治郎に見せているその夜の月にも、痣のような模様が描かれています(第17巻 151話)
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