日輪刀の色が変わる理由は、日本の古い習俗と陰陽道の考えに基づいていると考えられます。
Since ancient times in Japan, the Ying-Yang Five Lines have been used to exterminate demons.
日本では古来より、陰陽五行を使って鬼を退治してきました。
(この記事は、第2、第4巻、第6巻、第9巻、第13巻、第20巻、第21巻、第22巻のネタバレを含みます)
日輪刀は「鬼滅の刃」に登場する、鬼を退治するための刀です。別記事でまとめたように、材料の名前にある「猩々」には、疱瘡(ほうそう)(天然痘)に関する文化と信仰がありました。名前にある「日輪」は大日如来の意味もあるようです。
でも、そんな刀が、太陽の光と並ぶ威力を発揮するのはどうしてなんでしょう?
鋼鐵塚さんは、こんなふうに言ってますよ。
日輪刀の原料である砂鉄と鉱石は、太陽に一番近い山でとれる
“猩々緋砂鉄” “猩々緋鉱石”
陽の光を吸収する鉄だ
陽光山は一年中、陽が射している山だ
曇らないし雨も降らない
(第2巻 9話)
日輪刀の材料がとれる、陽光山はどこにある?
「鬼滅の刃」に出てくる陽光山は、普通に考えると海外か、もしくは架空の山といえます。
理由の一つは、「鉄鉱石もとれる」から。
日本の鉱山はもともと鉄鉱石に恵まれないこともあって、長らく砂鉄を使った作刀が行われてきました。燃料はそれほど高温が出せない木炭です。
石炭(コークス)を使えば高温が出せるのですが、硫黄やリンなど不純物を多く含むので、刀を造る素材にするために出来上がった鉄を再精錬する必要があるのだそう。そうした手間をかけても、現在の砂鉄を使った「たたら吹製鉄」でつくられる玉鋼に比べると、品質としては今ひとつ及ばないといいます。
では、低温でつくる日本刀はどうしているのかというと、砂鉄は粒子が細かいので、低温しか出せない木炭であっても短時間で還元して鉄にすることができるのです。こうした環境は不純物が還元しにくく、酸素・窒素などのガスも溶け込みにくいというメリットがあるといいます。
燃料が木炭というのも絶妙で、不純物は炭素しか出てこないため、送り込む空気の量や、木炭を積む高さ、材料を置く位置などの調整だけで、酸化・還元といった現象を加減することができるのだそう。
日本刀は、制限のある日本の環境だからこそ生まれた刀と言えるみたいですね。
でもこれは「江戸末期に確立した、たたら吹製鉄では鉄鉱石を使わない」というだけで、それ以外の作刀方法は不明のため、日輪刀のすべてが架空というわけではないようです。
大正時代に途切れた伝統
「たたら吹製鉄以外の作刀方法がわからない」というのは、大正時代に一度、その伝統が途切れているためです。それ以前の江戸時代も平和な時代が続いたため、刀はどちらかというと顧みられない文化でした。
明治には廃刀令が配布され、大正時代になると近代工業を重視する国の政策や、それに伴う価格の安い洋鉄が普及したことで、「たたら文化」は大きな影響を受けます。
さらに第一次世界大戦の講和を機に、鉄価が三分の一に下落したことを受けて廃業が続出。大正末期には技術の伝統が途絶えてしまいます。
景気が回復して刀の存在が見直されるようになるのは、昭和に入ってから。ですが太平洋戦争が勃発して軍事用に必要とされていたことも大きかったため、敗戦によって再び廃止されてしまいます。
日本の文化として見直され、後の世に伝えることを目的に復興の機運が高まったのは、公益財団法人 日本美術刀剣保存協会が設立された昭和23年になってからです。
このため、今でも日本刀の造り方には謎が多いみたいですよ。作刀のたびに釜を壊す製造方法や、一子相伝という継承のしかたも、技術が残りにくい原因になるようです。
発掘調査によると、製鉄黎明期とされる古墳時代後期には、円筒形をした製鉄炉で鉄鉱石を精錬していたと考えられています。
「上古刀」と呼ばれる奈良時代以前の刀も、鉱石系箱形炉という小型の炉を使って、鉄鉱石を原料にしていたそうなので、もしかすると日輪刀は、失われた古の技術で作刀される刀なのかもしれませんね。
参考 鉄の古代史 ─ひろしまの鉄の歴史─ | 遺跡探訪のへや 公益財団法人広島県教育事業団事務局 埋蔵文化財調査室
参考 みちのくの鉄 | 室蘭工業大学・材料物性工学科 材料製造プロセス学研究室
参考 玉鋼の特徴 | 刀剣ワールド
参考 日本刀の原料は人にしか作れない。超高純度の鋼「玉鋼」の製法とは | 中川政七商店の読みもの
参考 日本刀 | ウィキペディア
参考 日本刀の出来るまで | おさるの日本刀豆知識
曇らないし雨もふらない条件を満たすには
陽光山が架空の山と考えられる理由の一つは、「曇らないし雨も降らない」という条件です。
空を覆ったり、雨を降らせたりする雲は、対流圏(10~16km)で発生します。その上にある成層圏は安定しているので対流が起こりにくく、ここから先は雲ができません。
成層圏と対流圏の境目は「対流圏界面」(たいりゅうけんかいめん)といって、入道雲もここから上へは上昇することができず、横へ広がっていくことになります。
「曇らないし雨も降らない」ためには、雲ができない高さが必要、そう考えると、陽光山は単純に考えてもエベレスト(8848m)より高い山ということになります。
でも、エベレストは世界一高い山なわけですから、残念ながらそれ以上高い山は地球上に存在しません。高さだけで考えようとすると、外国でもかなり厳しい条件になるようです(汗)
では、高さを問題にするのではなく、「周囲に雲がわいても、その山だけ常に寄せ付けない」といった呪術的な要素があったとしたらどうでしょう?
例えば平安時代の貴船神社には、雨乞い・晴れ乞い(はれごい)の神事にあるように、雨が降ることを止める祈り、雨止み神事がありました。
貴船神社の御祭神は、本宮に高龗神(タカオカミノカミ)、奥宮に闇龗神(クラオカミノカミ)、結社(中宮)に磐長姫命(イワナガヒメノミコト)が祀られています。
・奥宮 … 高龗神と同一神とされる闇龗神(クラオカミノカミ)、船玉神(フナダマノカミ)としての信仰もある
・結社 … 山の神「大山祇神」(オオヤマツミノカミ)の御子神である磐長姫命(イワナガヒメノミコト)
高龗神の「龗」(おかみ)は水を司る龍神のことで、「高」は山の高いところを意味し、闇龗神の「闇」は山の低い所を意味します。
貴船神社の社記には、高龗神と闇龗神は「呼び名は違っても同じ神なり」と記されているそうで、順調な天候と必要十分な水の恵みを司る神様として祀られています。
日照りや長雨が続いたり、国家有事が発生した際には、朝廷から勅使が遣わされて奉幣(ほうへい)が行われていました。
祈雨(きう)のときには黒馬を、祈止雨(きしう)のときには白馬(または赤馬)を献じて、雨乞いや雨止みが祈願されます。
神前に幣(ぬさ)を奉ること。幣というのは、紙や麻を垂らしてつくる道具のことです。
雨乞いのこと。
晴れ乞いのこと。
献上するのは「河之精」と考えられていた生きた馬でしたが、しだいに簡略化されて「板立馬(いただてうま)」が奉納されるようになり、この板立馬が今日の絵馬の原形になったといわれています。
つまり、貴船神社の神様は「天候の順調」というご利益で、降っている雨を止める働き(止雨)も期待された神様だったんですね。
こうした神様なら、「曇らないし雨もふらない」という特殊な条件を揃えることができそうです。
貴船神社に関しては、鬼を考察する際にも出てくるので、後ほどまとめますね。
板に馬の絵を描いたもの。
参考 「貴船神社要誌」(1942年)
参考 日本古代の祈雨・祈止雨儀礼について : 祈 (止)雨特定社をめぐって 岡田 干毅 | 関西学園大学リポジトリ
日輪刀の特徴は「色変わり」
というわけで、日輪刀は特別な環境から生まれた素材で造られる、特別な刀ということになります。
その原料には「猩々緋砂鉄」、「猩々緋鉱石」という名前がつけられているのですが、この「猩々」には天然痘のまじないに関する文化がありました。
疱瘡の守護神とされていた「猩々」です。
そして、疱瘡神として信仰を集めていた猩々には、月と深い関わりがあるようです。参考になる論文がこちら。
参考 皮膚の病と境界の神 日本「賤民」史研究への一階梯 鯨井千佐登 | 日本の論文をさがす CiNii Articles
この論文で紹介されている、富本繁太夫(とみもとしげだゆう)の「京坂滞留日記」(天保七年、1836年)や曲亭馬琴(きょくていばきん)の「馬琴日記」(天保二年、1831年)には、疱瘡患者が出ると、棚を新しく整えて疱瘡神を祀り、穏便に退散してもらうための「猩々祭り」が行われたと伝えられています。
論文では、古来日本には病気平癒を願う「境界の神」(道祖神)の文化があり、「月の霊水を浴びれば皮が剥げ落ち、きれいな肌になる」という俗信があったそうで、この考え方は疱瘡の守護を願う猩々にもつながっているといいます。
疱瘡神として祀る猩々人形の手には酒甕(さかがめ)と柄杓(ひしゃく)があり、これは「疱瘡患者に酒という霊水を浴びせる姿をあらわしていた」と考えられるそうで、猩々は疱瘡神と月神の性格を併せ持っていると指摘しています。
疱瘡神としての猩々が月と深い関係のある存在だとして、鋼鐵塚さんの説明をそのまま読むと、日輪刀には「太陽」と「月」の要素が両方あることになります。
日輪刀は、「陰陽両方の性質を持つ刀」ということになりそうですね。
陽の光を吸収する鉄 … 太陽の要素【陽】
日輪刀の色変わりは、陰陽五行に関わりあり?
日輪刀は持ち主によって色が変わるため、「色変わりの刀」という別名があります。(第2巻 9話)
刀鍛冶によって作刀された時点では普通の刀の色ですが、持ち主となる剣士が抜刀して初めて色が変わります。日輪刀の色の変化は、剣士が持つ陰陽のバランスを反映しているのかもしれませんね。
そう考えると、色の変化も陰陽の理として説明することができそうです。「ほへと のブログ」さんの解説がわかりやすいですよ。
・自分で光っていない物の色は、色の三原色「イエロー(Y)、マゼンダ(M)、シアン(C)」で表現される
・黒く見える物は、白く光ったもののエネルギーをすべて持っていると考えられるので「陽」、白はその反対で、すべて反射して自分では持っていないので「陰」と考えることができる
【陽】 黒(YMC) → 赤(YM─) → 黄(Y─ ─) → 白(─ ─ ─) 【陰】
剣士と呼吸の関係で見る日輪刀の性質
色変わりは剣士の持つ性質を反映している ──
そう考えられる表現に、呼吸と刀の関係があります。呼吸が合わない刀を使うと、刀に大きなダメージが現れるというのです。
比較してみるとわかりやすいですよ。伊之助以外は(汗)
こうして見ると、伊之助が刀の刃をギザギザにしているのは、伊之助登場時に刃毀れ問題が目立ってしまわないように、わざと刃毀れさせていたんじゃないかと勘ぐってしまいますよね(汗)
該当シーン | 剣士が使う呼吸 | 使用時の刀(色) | 呼吸と刀の関係 | ダメージ | |
炭治郎 | 第9巻 77話 | 水の呼吸 | 自分の刀(黒) | 合ってない | 刃毀れ |
無一郎 | 第13巻 110話 | 霞の呼吸 | 他人の刀(不明) | 合ってない | 刃毀れ |
義勇 | 第22巻 189話 | 水の呼吸 | 他人の刀(青?) | 合ってる | 表現なし |
伊之助 | 第4巻 27話 | 獣の呼吸 | 1本は力比べで奪い取った他人の刀(不明)、1本は最終選別後の自分の刀?(不明) | 力比べで奪った刀は不明、最終選別後の刀(?)は合ってる |
自分で刀を欠いているため(第6巻 51話)刃毀れは不明
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伊之助 | 第6巻 51話 | 獣の呼吸 | 2本とも自分の刀(藍鼠色) | 合ってる |
自分で刀を欠いているため(第6巻 51話)刃毀れは不明だが、多分なし
|
ともあれ、日輪刀は月(陰)の力と太陽(陽)の力を秘めていて、刀の色が変わるのは持ち主の性質を反映してのこと。
他人の刀であっても、呼吸が同じ系統であればその力を発揮することができるけれど、呼吸が合っていない場合は刀に大きなダメージが出ると考えてよさそうです。
日輪刀のもう一つの姿、赫刀の仕組み
色が変わるといえば、日輪刀は最初の色変わりでどの色に変化していても、一定の条件が揃えば赤く変わることが描かれています。(第20巻 175話、第22巻 189話)
赫刀の状態で鬼に斬撃を与えると、そのダメージは大きく、斬られたところが再生する速度も遅くなります。(第13巻 113話、第20巻 175話、第21巻 187話、第22巻 190話)
「角川 漢和中辞典」によると、「赫」は「赤を二つ並べて、火のまっかにかがやく意味を表す」会意文字です。
色が赤いことを表す他に、「かがやく」「ひかる」「きらきらする」といった字義があり、色彩というより光の明るさを意味する言葉になるようです。
刀を造る工程を振り返ると、十分熱した状態の玉鋼を打ちのばしていく工程で「赫くなる」状態が発生していますが、このときの温度は1200℃~1300℃。
でもこれは「刀を造るときの温度」というだけあって、鋼が溶けたり変形したりしやすくなる温度ということになります。そんな状態で鬼が斬れるんでしょうか?
参考 鉄の曲げ加工について製品事例と共に徹底解説!曲がる温度についても紹介! | Mitsuri
参考 ちょっと豆知識 | 田中貞豊鍛刀場
陰陽では、色と明るさの変化はベースが異なる
ただ、陰陽五行で見た場合、少し様子が変わってきます。
「ほへとのブログ」さんによると、光を発しないものと違って、光を発するものの陰陽と色の関係は「光の三原色」をベースに変化するそうです。
・自分で光る物の色は、光の三原色「レッド(R)、グリーン(G)、ブルー(B)」で表現される
・全色が全力で発光すると白になるので「陽」、発光していない黒は「陰」と考えることができる
【陽】 白(RGB) → 黄(RG─) → 赤(R─ ─) → 黒(─ ─ ─) 【陰】
こうして見ると、発光していない状態「黒」の隣は、もう「赤」く輝いている状態になるんですね。
日輪刀は、月の要素と太陽の要素を持つ刀、陰陽どちらも内包した存在と考えることができるので、黒から赤に変わるためには、ほんの少し「陽」の要素を増やすか、「陰」の要素を減らすかすることができればいいわけです。
ずっと考えてた
あの一撃のことを
妓夫太郎の頸を斬れた
あの一撃の威力の理由をあの瞬間の感覚、呼吸、力の入れ方
燃えるように熱くなった体中
そして額がわかった、もうできるぞ
(第13巻 113話)
赫刀を使いこなし始めた炭治郎のモノローグからは刀の変化だけでなく、持ち主である人間も「陽」の要素を生み出すべく変化しようとしているように見えます。
明るさの変化は、星の輝きと理屈は同じ
ちなみに鉄を温めたときに赤っぽく見える状態を科学的にいうと、「熱によって放射される電磁波が、可視光帯域に達したから」と言えます。
電磁波といえば、夜空に見える星々(恒星)の色も電磁波によるものだし、太陽の光も電磁波によるものです。
その理屈でいうと、赫刀の出現は「猩々の吸収した太陽が現れている」ともとれるわけですね。
赤を表す文字の中でも、「かがやく」意味を持つ「赫」を使って、「赫刀」としているのはとても興味深い表現です。
ちなみに民俗学では、村武精一という方が「南島文化では,赤が男性神で太陽を,黒は女性神で月の表象を持っている」と指摘しているそうで、民俗学から見た色の変化から見ても、炭治郎の刀は「月の象徴」から「太陽の象徴」へ変化していると考えることができそうです。
貴船神社の雨乞い・晴れ乞い(はれごい)の神事でも、祈雨のときには黒馬を、祈止雨のときには白馬(または赤馬)を奉納していたことにもつながりそうですね。
参考 色のフォークロア研究における諸前提 小林忠雄 | 国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ
「無限列車」に重なる祭りに見えるもの
こうしてみると、日輪刀の仕組みは、かなりしっかりと陰陽五行に沿って組み立てられていると考えることができそうです。
興味深いのは、陰陽五行の設定があるとして見ると、「三ツ山大祭」に設けられている「五色山」(上図中央)にイメージが重なってくるところです。
「三ツ山大祭」というのは、姫路にある射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)のお祭りで、上図のように三つの造り山を設けて行われます。
射楯兵主神社の神使はミミズクなので、柱相関言行録で無一郎君が、煉獄さんの印象を「梟みたい」と言っていたことにつながる神社です。(ファンブック第二弾 113頁)
造り山の一つである「小袖山」(上図右端)は、藤原秀衡(ふじわらのひでさと)の百足退治を表現していて、小袖に覆われた造り山の上を、大百足がぐるりと巻き付いています。
その光景は、まるで二百人の乗客を乗せて走る無限列車のイメージがあります。
「五色山」は、緑、黃、赤、白、紫の5種類の布で覆われた造り山に、源頼光(みなもとのよりみつ)の大江山の鬼退治が表現されています。
造り山を覆うこの五色は、仏教では仏の精神や智慧を表す色とされています。
青(もしくは緑) … 如来の毛髪の色
黃 … 如来の体の色
赤 … 如来の血液の色
白 … 如来の歯の色
黒(もしくは榛、紫) … 如来の袈裟の色
「御伽草子」(室町時代~江戸時代)などで語られる大江山の鬼退治は、石清水八幡(いわしみずはちまんぐう)、住吉社(すみよししゃ)、熊野三所(くまのさんしょ)といった神仏の加護によって成し遂げられたとされているので、五色の布はこうした神仏の加護を表しているのかもしれません。
ただ、この五色は、陰陽五行に通じる色でもあるのです。
青(もしくは緑) … 木
黃 … 火
赤 … 土
白 … 金
黒(もしくは紫) … 水
陰陽五行では、古代中国の哲理を起源とする5色を、世界を構成するという5つの要素に割り当てて、世界そのものを表しているといいます。
蘆屋道満と三ツ山大祭
射楯兵主神社のある播磨国は古くから播磨陰陽師が活躍する地域で、佐用郡(現 兵庫県佐用郡佐用町)には蘆屋道満(あしやどうまん)の伝説があります。
上の地図からははみ出してしまいますが、ずっと北西のほうに佐用町があります。
道満は安倍晴明(あべのせいめい)と並び称された陰陽師なのですが、藤原顕光(ふじわらのあきみつ)の依頼で藤原道長(ふじわらのみちなが)の呪詛をはかったことを晴明に見破られ、京都からこの地へ配流になったといいます。
ところが道満は佐用の地でも道長の呪詛を行っていたため、京都から晴明がやって来て、谷を挟んで呪術合戦になったというのですが、道満の首を洗ったといわれる「おつけ場」という史跡があるので、伝説では道満が負けてしまったようですね。
それはともあれ、道満の死後、子孫は陰陽道の業を継いで、播磨国の飾磨郡英賀(現 姫路市飾磨区英賀)や、三宅(現 姫路市飾磨区三宅)に移り住んだと伝えられています。
地図で見ると、射楯兵主神社のすぐそばです。
こんな背景があるので、お祭り自体に陰陽道のいわれが取り入れられていてもおかしくないんですよね。
ブログ「播磨陰陽道」さんによると、播磨陰陽道として大切に伝承されているのは、三種の神器になぞらえて、「鏡にあたる祭祀、剣にあたる武術、玉にあたる霊術」があるそうです。
参考 播磨陰陽道とは 播磨陰陽道・播磨陰陽師 | 播磨陰陽道
「三ツ山大祭」の造り山をよく見ると、この三種の神器に当てはまるところがありそうですよ。そして、日輪刀にもつながっていきそうです。
並べてみると、こんな感じ。
・重なるイメージは、富士信仰の大日如来
・鬼滅の刃では、刀の名前「日輪刀」
【剣】武術 … 五色山
・重なるイメージは、陰陽五行の理
・鬼滅の刃では、日輪刀の性質、「色変わりの刀」
【玉】霊術 … 小袖山
・重なるイメージは、母子神信仰の「境界の神」と、病気平癒の文化(猩々、赤絵)
・鬼滅の刃では、材料となる「猩々緋砂鉄」、「猩々緋鉱石」
日輪刀の性質である「色変わり」は、五色山に重なる陰陽五行のイメージに重なるのですが、播磨陰陽道では剣が象徴する「武術」にもつながっていきそうです。
まとめ
考えてみると、現在に伝わる鬼退治はかなりマイルドになって、陰陽五行の気配を感じさせないものもありますが、古い昔話や古典に出てくる鬼退治は、陰陽道の考え方とセットになっているのが定番になるようです。
例えば「御伽草子」では、鬼を退治したのは武将たち ── 源頼光(みなもとのよりみつ)と頼光が率いる四天王、そして藤原保昌(ふじわらのやすまさ)ですが、都を騒がせる怪異が発生したとき、その正体が酒呑童子という大江山の鬼であることを明らかにしたのは安倍晴明でした。
鬼退治で有名な桃太郎も、陰陽五行に則った設定になっています。
鬼は鬼門(北東)にあらわれるとされているため、頭に牛の角を生やし、虎のような鋭い牙を持った形相で、虎の皮のふんどしを身につけています。
鬼門の方角にある干支は、「丑」と「寅」。「丑=牛の角」と、「寅=虎の牙、虎の皮のふんどし」のイメージが割り当てられているんですね。
そして、「鬼門」(北東)の向かいにある桃太郎(桃)が、猿(申)、雉(酉)、犬(戌)を従えて鬼(寅)を退治します。
桃、申、酉、戌は陰陽五行では「金」の要素が割り当てられているので、これで寅が持つ「木」の要素を制するわけですね。木を斧で切り倒すイメージになるのでしょうか。
陰陽五行のイメージが重なる日輪刀で鬼を滅する「鬼滅の刃」は、こうした古典に則った、意外と正統なお話ということがいえそうです。
日輪刀に込められた三ツ山大祭のイメージは、この他にも「小袖山」や「二色山」にもありそうです。
それぞれ別記事にまとめているので、よかったらこちらも覗いてみてくださいね。