日輪刀は病魔退散の「赤」を利用した祈りの刃

日本刀

The materials used to make Nichirin Swords are Scarlet Crimson Iron Sand and Scarlet Ore. The culture and beliefs of the scarlet scarlet are related to smallpox.
日輪刀の材料は猩々緋砂鉄と猩々緋鉱石です。猩々には天然痘に関わる文化と信仰があります。

(この記事は、1巻、2巻、4巻、7巻、13巻、23巻、ファンブック第一弾、第二弾のネタバレを含みます)
 

「鬼滅の刃」といえば「刀」が武器です。それも、ただの刀ではなく、特別な鋼で造られた「日輪刀」でなければならないとされています。(1巻 第6話)

明治9年(1876年)に廃刀令が配布されているので、大正時代は刀をすぐに使える状態で持っていると見咎められる時代。

それにもかかわらず、鬼滅隊は鬼を退治するために日輪刀を帯刀して使い続けているわけですが、それはどうしてなんでしょう?

猩々緋砂鉄、猩々緋鉱石が表すもの

日輪刀がどんな刀なのかというと、「鬼滅の刃」2巻の鋼鐵塚さんのセリフの中に、こんな説明が出てきます。

 

日輪刀の原料である 砂鉄と鉱石は 太陽に一番近い山でとれる
猩々緋砂鉄(しょうじょうひさてつ)
猩々緋鉱石(しょうじょうひこうせき)
陽の光を吸収する鉄だ
陽光山は 一年中陽が射している山だ
曇らないし 雨も降らない

 

「太陽に一番近く、天気にも左右されない、陽光山という山でとれた、陽の光を吸収する鉄」が使われているというんですね。

さらにそうした砂鉄や鉱石には、「猩々緋」という名前がついているといいます。猩々緋というのは、緋色の中でも強い黄色味がかった朱色のことです。

この赤には、疱瘡(ほうそう)(天然痘)に関わる文化と信仰があります。

 
猩々緋
 

疱瘡が軽く済むよう人々が祈った疱瘡神

色の由来となっている「猩々」は、古代中国に伝わる猿に似た姿をした、海にすむとされている架空の生き物のこと。

お酒が好きで赤ら顔をしているのが特徴で、人の言葉を理解するけれど、それは鳥のオウム並で、動物の域を出ないとされていました。

 
猩々

Shojo is a legendary chinese animal and it appears in Kabuki as a full body red character.
猩々は中国の伝説上の動物で、歌舞伎では全身が赤いキャラクターとして登場します。

In japan, It was enshrined as a guardian deity for smallpox..
日本では、天然痘の守護神として祭られていました。

 

日本では船幽霊のように船を沈めようとする怖い存在として伝える地域がある一方で、能の演目ではお酒好きで陽気な神様として、秋月の夜に全身が真っ赤な姿をして現れます。

でもこの姿のために、猩々は疱瘡(天然痘)が軽く済むよう守護してくれるという疱瘡神の役割を果たすようになります。

古くから赤い色は病魔・鬼神を退散させるという言い伝えがあったのと、「発疹の色が赤いと疱瘡も軽くすむ」ということが経験的に知られていたので、「疱瘡が赤くなって早く治りますように」と、患者の周りに赤いものを置く風習があったからです。

日輪刀には、病に関わる文化と信仰が重ねられていそうですね。

 

屏風衣桁(びょうぶいこう)に、赤き衣類をかけ、そのちごにも、赤き衣類を着せしめ、看病人も、みな赤き衣類を着るべし、痘(もがさ)の色は赤きを好(よしみ)とする故(ゆえ)なるべし

「小兒必用養育草」香月牛山(元禄16年、1703年)

 

「無限列車」に重なる「祭り」に見えるもの

こうした日輪刀のことを知る鍵は、姫路の「射楯兵主神社」(いたてひょうずじんじゃ)で行われるお祭りにありそうですよ。この神社の神使はミミズクです。

柱相関言行録(ファンブック第二弾 111頁)で無一郎君が、煉獄さんの印象を「梟みたい」と言っていたことにつながります。

この神社には、60年に一度行われる「一ツ山大祭」と、20年に一度行われる「三ツ山大祭」があり、「三ツ山大祭」では、以下の3つの造り山が設けられます。

 
三ツ山大祭
 

そして、この造り山は、それぞれこんな場面が表現されています。

 

・二色山(左端) … 仁田四郎直常(にったしろうただつね)の富士猪退治
・五色山(中央) … 源頼光(みなもとのよりみつ)の大江山鬼退治
・小袖山(右端) … 藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の百足退治

 

注目なのは上図右端の小袖山です。たくさんの小袖で覆われた造り山に、大百足がぐるりと巻き付くように表現されています。

その様子はまるで、二百人の乗客を乗せて走る無限列車のよう。興味深いですよね。

 
小袖山
 

無限列車に現れたのは、夢を操る血鬼術を使う鬼「魘夢」です。

鬼狩りを確実に殺すために取った手段も、悲しい現実や苦しい現実から目を背けさせる夢を見せることでした。(ファンブック第一弾 110頁)

禰豆子の力を借りずに、こうした夢から目覚めるには、夢の中で自決する必要があります。(ファンブック第一弾 111頁)

夢の中の死、つまり擬死体験ですね。

目覚めるために擬似的な死と再生を繰り返す様子は(7巻 第59話)、修験道の入峰修行(にゅうぶしゅぎょう)にも似ています。

 
山伏 鈴懸

 

入峰
霊場とされる険しい山々へ、修行のために入ること。修験者の服装は、鈴懸(すずかけ)の下に白装束を着用します。これは死装束でもあるといいます。

山伏のこの服装は、山の中で厳しい修行を課すことで擬似的な死と再生を体験し、生まれ変わった新たな自分と森羅万象が一体となって、精神的な覚醒(悟り)を得ることを目的としているためです。

 

小袖に託された病気平癒の信仰

興味深いのは、小袖にも「死と再生」に重なるイメージがあるところです。しかも、病気にまつわるもので。

三つの造り山がどんなふうにつくられているのか詳しく見ていくと、以下の特徴があります。

 

・小袖山 … 厄災と穢れの象徴である多数の小袖で覆われている
・二色山 … 富士山を表す二色の布で覆われている
・五色山 … 陰陽五行に通じる五色の布で覆われている

 

参考 第46回:節目としての三つ山大祭 | 兵庫歴史ステーション 学芸員コラム れきはく講座
参考 【開催間近】三ツ山大祭を学ぶべし(後編) | 山陽沿線ブログ
参考 時代をこえて──二十年に一度の祭り 三ツ山大祭
 

小袖が象徴するものと境界の神の関係

「兵庫歴史ステーション」の「学芸員コラム れきはく講座」によると、小袖山を覆う小袖は「厄災と穢れの象徴」で、京都の祇園会(祇園祭)と共通しているといいます。

「厄災と穢れの象徴」というと、ちょっとびっくりしてしまいますよね。

でもこれは病気がよくなるように祈願する一つに、小袖を「撫物」(なでもの)として使う呪術があったことを考えると理解しやすくなりますよ。

 

撫物
禊(みそぎ)や祓え(はらえ)などに用いる、人形や衣類(小袖)のことをいいます。形代(かたしろ)、人形(ひとがた)ともいいます。

撫物で身体をなでて穢れや災いを移し、川などに流します。

 

現在は中止となっていますが、祇園祭の山鉾の中には、巡行中に「ちまき」を投げる山鉾があったようです。鉾に集まった穢れや災いを「ちまき」に込めて投げることで福に変えることができると考えられていたそうで、見物人も厄除けのお守りとして、投げられた「ちまき」を競って拾ったそうです。

この場合の山鉾は、撫物と同じ働きが期待されていたと考えることができそうですね。こういうことから、三ツ山大祭と祇園会(祇園祭)は、共通していると言えるわけです。

 
参考 囃子方と祇園囃子[詳細] チマキ投げ | 函谷鉾
 

興味深いのは、「皮膚の病と境界の神」という論文によると、境界の神(道祖神)には、衣類や片袖、獣皮などを捧げる風習があったといいます。

 
参考 皮膚の病と境界の神 日本「賤民」史研究への一階梯 鯨井千佐登 | 日本の論文をさがす CiNii Articles

 

道祖神(ドウソジン)
峠や坂、村の入り口の辻、渡し場などの地境(じざかい)に祀られている神様です。道祖神、塞の神、地蔵、石神などがあります。

こうした場所は、「他界=異界」と「この世」の境界領域と考えられているとする研究者の方がいます。(「辻の世界」笹本正治)

古くは、人が死んだ後に祖霊となり、他界にこもり、やがて再び子孫として再生するという「生まれ変わり」の観念(祖霊観念)もあったといいます。(「他界」小松和彦)

道祖神は旅の安全祈願でよく知られていますが、祖霊観念から意識される、「子授け」や「縁結び」も祈りの対象になっていました。

 

そして、境界の神には、病に冒された「表皮」を剥ぎ取る霊験があるといいます。

その霊験によって「表皮」の再生を図ることを期待する信仰があり、「表皮」=皮膚に症状が現れる病気の治癒を祈っていたのだそう。

具体的には、疣(いぼ)、瘡(かさ、くさ)、眼病など、表皮につながる病が「皮膚の病」として認識されていました。瘡には裳瘡(もがさ)とも呼ばれた天然痘、唐瘡(とうがさ)とも呼ばれた梅毒なども入ります。

月の神に重なる境界の神と、小袖の関係

こうした境界の神には月神の性格があり、月に対する信仰もあったと考えられるそうです。

「鬼滅の刃」では重要な場面になるたびに、月に痣のような模様が描かれているのでちょっと興味深い話ですよね。

 
 

 

「皮膚の病と境界の神」の論文では、その例として、境界の神の一つとされる石神の例が挙げられています。

それは、小さな子石を伴った大きな自然石の信仰(母子神信仰)で、胎内に新しい生命を宿した胎内神と、瑞々しい生命力を宿して誕生する御子神を祈りの対象としています。

母と子の絆に、聖なる呪力があると信じられていたといいます。

こうした境界の神をめぐる信仰世界では、「水が皮膚の病に効く」と信じる俗信があり、以下のような意識が共有されていたといいます。

 

・霊水を浴びると皮が剥げ落ち、その結果、皮膚の病が治癒する
・母神の胎内には、霊水が湛えられている
・胎内神=御子神が、そうした霊水を人に浴びせる

 

自然石がたたえる水は、月の霊水につながると仮定すると、月神と境界の神には類似性があると考えられるそうです。

月の霊水というのは、万葉集でも歌われていた、月夜見(月読)(ツクヨミ)が持つとされる「変若水」(をちみず)のことですよね。

「をち」は「復ち」で、復活することを意味します。

 

天橋文 長雲鴨 高山文 高雲鴨 月夜見乃 持有越水 伊取来而 公奉而 越得之旱物
(万葉集 第13巻 3245番歌)

天橋(あまはし)も 長くもがも 高山(たかやま)も 高くもがも 月夜見(つくよみ)の 持てるをち水(をちみづ)い取り来て(いとりきて)君に奉りて(たてまつりて)をち得て(をちえて)しかも
天へと通じる橋がより長く、高い山もより高くあったらいいのに。月夜見がお持ちの若返りの水をいただいてきて、君に奉り、若返っていただくのに。

 

この論文では、さらに「明宿集」(めいしゅくしゅう)(室町時代)を例にあげて、以下の点を指摘しています。

 

衣類や片袖は、「宿神」(しゃぐじ)という御子神を覆う「胞衣」(えな)とされていた

 

胞衣(えな、ほうい)
胎児をつつむ、膜と胎盤のこと。

 

つまり、小袖は境界の神へ供える「表皮」の代わりとなるもので、月神の顔も合わせて持つという境界の神は、衣類や片袖をその身にまとって再生する「胎内神=御子神の信仰」(母子神信仰)にもつながっているというわけです。

三ツ山大祭の小袖山を御子神を覆う胞衣と見るなら、小袖山は「死と再生」を象徴するものと考えることができそうですよね。

魘夢の血鬼術を破る方法が擬死体験だったのも、境界の神の「死と再生」のイメージにつながっていきそうです。

そして、「皮膚の病と境界の神」の論文では、猩々人形の手にしているのが「酒甕と『干杓』=柄杓」であること、現れた舞台背景が「月夜」であり、「八幡愚童訓」(はちまんぐどうくん)(鎌倉末期)に出てくる月神(高良大明神)と同じ赤衣を着ていることに注目して、猩々の酒は月の霊水と深い関係があるのではないかと指摘しています。

疱瘡神(猩々)の背景にも、「月の霊水を浴びれば皮が剥げ落ち、きれいな肌になる」という、境界の神にかかわる「死と再生」の信仰があるというわけです。

疱瘡から護る赤もの、赤絵の文化

In Japan, it has been believed that the red color could ward off evil. Momotaro and Bodhidharma Daishi drawn in red were amulets for smallpox.
日本では、赤い色は魔除けになると信じられてきました。赤色で描かれた桃太郎や達磨大師は、疱瘡のお守りでした。

 

疱瘡患者の周りに赤いものを置くという風習には、猩々の他にもう一つ、興味深いものがあります。「赤絵」とも「疱瘡絵」とも呼ばれた一枚絵です。

赤一色の濃淡で桃太郎や達磨の置物などが描かれたもので、疱瘡のお守りとして用いられていました。

「鬼滅の刃」には、この疱瘡絵のモチーフに重なりそうなキャラクターがいますよ。

 
桃太郎の赤絵

桃太郎(桃):桃が邪鬼をはらう呪力を持つという古代中国の思想から、桃をもって鬼をふせぐ

 

桃太郎にイメージが重なるのは、桃太郎と同じように頭の固い炭治郎です。

桃といえば、「古事記」に出てくる桃には名前があるのをご存じですか? 意冨加牟豆美命(オホカムヅミノミコト)といって、伊耶那岐命(イザナギノミコト)を黄泉の国から追いかけてきた八の雷神(ヤクサノイカヅチ)を追い払い、守ったことで、その功績を称えて名付けられました。

「日本書紀」では、桃をぶつけられて雷神たちが逃げていった後に、伊弉冉尊(イザナギノミコト)が杖を投げつけて、「これよりこちらへ、雷は決して来ないだろう」と言われたので、その杖は境界を守る「岐神」(ふなとのかみ)になったといいます。

境界の神の一つである「岐神」は、鱗滝さんにイメージが重なる猿田彦大神と同一視される神様です。「日本書紀」で桃と境界の神が同じ場面に出てくるところは興味深いですよね。

4巻 第34話の善逸の回想シーンで、兄弟子から桃をぶつけられる場面があるのですが、もしかして日本書紀のこのシーンを思い出すヒントになっているのかもしれません。

 
ミミズクと春駒の疱瘡絵

ミミズク:疱瘡の高熱で失明しませんように

 

ミミズクにイメージが重なるのは、煉獄さんです。煉獄さんの見開いたような目と髪型は、赤絵のミミズクのイメージがあります。

疱瘡の高熱による失明は結構多かったそうで、ミミズクがお守りになっていました。

ミミズクの大きな羽角は「飛び跳ねるウサギのように、子どもが元気に回復しますように」という願いが込められていると考えられるそうです。

 
参考 今月のおもちゃ | 日本玩具博物館
 

達磨とミミズクの疱瘡絵

達磨:起き上がり達磨のように、すぐに元気に起き上がることができますように

 

赤絵の達磨にイメージが重なるのは、義勇さんです。

江戸中期の達磨は起き上がり小法師の代表的なモチーフで、縁起物として喜ばれていました。

達磨大師は頭から赤い被(ひ)を被っていたこともあって、「病が軽くすむように」と病気平癒の祈りを込めて張り子の達磨を贈ったり、疱瘡絵にも好んで描かれたりしています。

「柱相関言行録」の無一郎君から見た義勇さんは、「置き物みたい」(ファンブック第二弾 113頁)ということでしたが、縁起物の置き物である「達磨」と考えると、義勇さんと達磨には共通点がいくつかあるようです。文中リンク先にまとめているので、よかったら覗いてみてくださいね。

まとめ

日輪刀の材料に名付けられた「猩々」は赤色を表していて、境界の神にまつわる病気のイメージにつながって、日輪刀の重要な要素になっているようです。

キャラクターに重なる「赤絵」のイメージも、日輪刀に込められた「赤」が特別な色であることを感じさせますよね。

死に至る病の脅威を封じて、軽く済ませることで、これ以降かかることがないよう「これより来るな」の祈りを込めた特別な赤という意味にとれそうです。

疱瘡は一度かかって治れば、二度はかからない、終生免疫(しゅうせいめんえき)を獲得することができる病気。最終話で鬼のいない世界(23巻 第204話)が描かれる、「鬼滅の刃」に通じるものがありそうです。

日輪刀にはこの他にも、鬼を退治するために重要な要素があるみたいですよ。そこには射楯兵主神社の「三ツ山大祭」で設けられる造り山が、鍵として重ねられていそうです。

「猩々」と「赤絵」は小袖山に重なるイメージがありましたが、その他のイメージはこんなふうに考えることができそうです。

 

小袖山 母子神信仰 → 疱瘡が軽く済むよう祈る赤ものの文化(猩々、赤絵):材料となる猩々緋砂鉄、猩々緋鉱石
二色山 富士信仰 → 大日如来を表す両界曼荼羅:刀の名前「日輪刀」
五色山 陰陽五行 → 陰陽五行の理:日輪刀の性質、色変わりの刀

 

それぞれ別記事にまとめているので、よかったらこちらの記事も覗いてみてくださいね。

 

 

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