槇寿郎の名前に含まれる「槇」という文字は少し特殊です。日本独自の意味があり、由来となった物語が日本書紀にも描かれています。
The word ‘槇 Maki‘ has an image that overlaps with the appearance of Shinjuro.
「槇」の文字には槇寿郎の姿と重なるイメージがあります。
(この記事は、第7巻、第8巻、第10巻、第20巻のネタバレを含みます)
煉獄さんや義勇さんにつながるイメージが見つかった射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)ですが、まだキャラクターが隠れていそうですよ。
この神社に祀られている「射楯大神」は素戔嗚尊(スサノオノミコト)の子とされる神様で、「日本書紀」では木の神様として登場する五十猛命(イタケルノミコト)のことだといいます。
「古事記」では大穴牟遅神(オオナムチノカミ=大国主命)を助ける大屋毗古神(オオヤビコノカミ)として登場する神様です。
この五十猛命の神話を辿っていくと、煉獄さんのお父さん、槇寿郎さんの姿につながりそうです。
日本書紀に出てくる「槇」
五十猛命が「日本書紀」に登場するのは、素戔嗚尊の悪行に怒った天照大御神(アマテラスオオミカミ)が天石屋戸(あめのいわと)にこもってしまうという、ひと悶着が落ち着いた後のこと。
本文では素戔嗚命が高天原(たかまがはら)を追放されて、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の話に進んでいくのですが、八岐大蛇退治に関連する「一書に曰く」に高天原(たかまがはら)追放後の話がいくつかあり、その中に五十猛命が描かれています。
日本書紀が語る、日本に木々が茂るわけ
千座置戸(ちくらのおきと)の解除(はらへ)を課されて高天原を追放された素戔嗚尊は、五十猛命を引き連れて新羅国に天降りをし、曽尸茂梨(そしもり)におられました。
でも、素戔嗚尊は「私はこの地にはいたくない」と仰せられて、埴土(はに)で舟を作って乗り、東に渡って出雲の国の簸(ひ)の川上にある鳥上の峯(とりかみのみね)にやってきます。
初、五十猛神、天降之時、多將樹種而下、然不殖韓地、盡以持歸。遂始自筑紫凡大八洲國之內、莫不播殖而成靑山焉。所以、稱五十猛命、爲有功之神。卽紀伊國所坐大神是也。
「日本書紀」 一書(第四)
初め、五十猛神が天降りされる時に、多くの樹種を持って来ました。しかし韓国(からくに)には植えずに、残らず持ち帰りました。そして筑紫より始め、全て日本の国内に種をまき、また植えつけて、青山を成さないということはありませんでした。
このため、五十猛神を讃えて有功之神(すぐれた仕事をされた神)と申し上げます。すなわち、紀伊国(現 和歌山県、三重県の一部)にいらっしゃる大神がこの神様です。
たくさんの贖罪のための品物。
罪のある人に物品を出させて罪を清める事。また、罪過を贖うための物品。
「日本大百科全書」によると、「古代朝鮮、新羅の地名」と説明されていますが、実際のところ、本当に地名を意味しているのか、何か別のことを意味しているのかは不明みたいです。
「角川 漢和中辞典」によると、「韓」にはこんな説明があります。
「2. 戦国時代に普から独立した国。今の河南省の中部と山西省の一部を治めた。のちに秦のために滅ぼされた
3. もと朝鮮南部の地。昔の三韓の地。」
「三国志」(280年)によると、「韓は帯方郡の南にあって馬韓、辰韓、弁辰の三種あり、南は倭と接する」と説明されています。
つまり五十猛命は日本中に青山を成した「森林の神様」というわけで、射楯兵主神社が森林を住処とするミミズクを神使としているのも納得ですよね。
この「一書」では「五十猛命が高天原から樹種を持ってきた」としているのですが、こうした樹木の中でも特に重要とされるものがあるようで、別の「一書」にはこんな物語が語られています。
ここでは「槇」が出てきますよ。
特に重要な木々は、素戔嗚尊から生まれた
一書曰、素戔嗚尊曰「韓鄕之嶋、是有金銀。若使吾兒所御之國、不有浮寶者、未是佳也。」乃拔鬚髯散之、卽成杉。又拔散胸毛、是成檜。尻毛是成柀、眉毛是成櫲樟。已而定其當用、乃稱之曰「杉及櫲樟、此兩樹者、可以爲浮寶。檜可以爲瑞宮之材。柀可以爲顯見蒼生奧津棄戸將臥之具。夫須噉八十木種、皆能播生。」于時、素戔嗚尊之子、號曰五十猛命。妹大屋津姬命、次枛津姬命、凡此三神、亦能分布木種、卽奉渡於紀伊國也。然後、素戔鳴尊、居熊成峯而遂入於根國者矣。棄戸、此云須多杯。柀、此云磨紀。
「日本書紀」 一書(第五)
乃(すなわ)ち鬚髯(ひげ)を抜きて之(これ)を散(あか)つ、即(すなわ)ち杉を成せり。又、胸の毛を抜き散(あか)つ、是、檜(ひ)を成せり。尻の毛は是、柀(まき)を成せり。眉の毛、是、櫲樟(よしょう)を成せり。
已而(すで)にして其の当用(もちゐるべき)を定む。乃(すなわ)ち称(とな)へて曰はく、「杉及び櫲樟(よしょう)、此の両(ふたつ)の樹を者(ば)、以(も)ちて浮宝と為(な)す可(べ)し。檜は以ちて瑞宮(みづのみや)之(の)材と為す可し。柀(まき)は以ちて顕見蒼生(うつしきあをひとくさ)の奥津棄戸(おくつすたへ)に将臥之具(ふすべきそなへ)と為す可し。夫(そ)れ須(すべから)く噉(く)らふべき八十木種(やそこだね)、皆(みな)能(よ)く播(ま)き生(お)ひき」。
一書に曰く、素戔嗚尊の言うことには、「韓郷の嶋には金銀があるということだ。もしも私の子孫の統治する国で、船(浮宝)がないならば、それはよくないだろう」。
そこで顔のひげを抜いてまき散らすと、たちまち杉になりました。また、胸の毛を抜いて撒き散らすと、檜(ひのき)になり、尻の毛は柀(まき)になり、眉毛は櫲樟(くすのき)になりました。
やがて、さしあたって用いるべきを決めました。名付けていうには、「杉と樟(くすのき)、このふたつの樹をもって船(浮宝)とするのがよい。檜をもちて瑞宮(めでたい、よろこばしい宮)の材料とするのがよい。柀(まき)は、この世に生きるすべての人々の奥津棄戸(墓所)に横たえさせる道具の用意とするのがよい。そして当然、食べるはずの多くの木の種は全て十分にまき、大きく育てよ」。
この世に生きる、多くの人々のこと。
「顕し」(うつし)はこの世に存在している、現存していること。「顕見」で、目に映るこの世のすべてのものを意味する。
あをひとくさ(青人草)で、人が増えるようすを草の茂るのに例えた言葉で、人民や国民のこと。
墓。墓所。
「おくつ」は「奥」(遠い所、内に深く入った所)の意味。「すたへ」は「棄つ」の語根。「へ」は瓮(かめ)とも「場所」の意味とも考えられていて、「角川 新版 古語辞典」では「奥の方にある人の捨場」と説明されています。
似たような言葉に「奥つ城」(おくつき・おきつき)という言葉もあって、こちらは「神・霊の収まっている場所」「神霊の静まる所」といった意味があり、「奥つ城所」(おくつきどころ)で「墓」を意味します。
炭治郎のイメージが重なる京都の愛宕神社がある愛宕山は、もともと朝日峰と呼ばれる山々の一部で、古くから死霊を迎える霊山だったわけですが、「奥津棄戸」は、こうした山の歴史と重なりそうな言葉です。
「伏す」は横になる、横たわる、寝るという意味。「将臥之具」で棺のことになるようです。
参考 六国史における「御」という字の動詞用法について 吉野政治 | 同志社大学学術リポジトリ
参考 「日本書紀」は訓めるか ─助字の用法を中心に─ 中村宗彦 | TEA-OPAC Tenri University Academic Information Library Catalog
ちなみに「角川 新版 古語辞典」によると、「上代東国方言」として「木」のことを「け」と言うと書かれていましたよ。
ここはもしかして、「『毛』(け)が『木』(け)になったんだって、わははは」と笑うところなのかもしれません…。
上代のユーモアって難しいですね(汗)
「槇」は何を表しているのか
ともあれ、「柀」という字は我が家の「角川 漢和中辞典」には収録されていないのでわからなかったのですが、上記の「一書」の最後のほうに「柀、此云磨紀」(柀、此れ磨紀《まき》と云ふ)と書かれています。
「デジタル大辞泉」によると、「ま-き」は「真木、槇、柀」と書いて、「コウヤマキ」や「イヌマキ」の別名と説明されていました。
「鬼滅の刃」で「槇」の字を名前に持つキャラクターは煉獄さんのお父さん、槇寿郎さんですが、「槇」の用途は「棺とするのがよい」と言われると、瑠火さんや煉獄さんのことを考えるとちょっとびっくりしてしまいますよね。もしかしてこのことを暗示していたのでしょうか?
ただ、「槇」という字は少々ややこしくて、本来の「槇」という字には特定の植物を表す意味はありません。
「槇」の字を「角川 漢和中辞典」で調べてみると、木そのものを表す文字になるようです。
槇 テン、シン/こずえ
1) 1. こずえ。樹木の頂上。2. たおれる木。
2) しげる。木の茂ったさま。
日本独自の「訓」(国訓)で読むときに、はじめて「柀」の意味になります。
[国訓] まき。常緑喬木の一。
庭園のシンボルツリーにもなる「コウヤマキ」
そして、コウヤマキとイヌマキの特徴をそれぞれ調べてみると、こんなふうに違いがあるようです。
コウヤマキ科コウヤマキ属の常緑針葉樹で、分布は日本及び韓国済州島。「コウヤマキ」の名前は、和歌山県にある高野山に多く生息していることが由来です。
アカマツ、スギ、ヒノキ、ツガ、モミと並ぶ「高野六木」の一つで、樹姿は円錐形。その姿のよさから、ナンヨウスギ、ヒマラヤスギとともに「世界三大公園木」の一つにも数えられている樹木です。東京スカイツリーのデザインの原点にもなっているそう。
成長の遅い樹木ですが、繊維が緻密で抗菌性や耐水性があるので、風呂、桶、船、橋などに広く利用されてきました。
開花は3~5月。雌雄同株で、花の後にはマツボックリのような実ができます。
身近で人の生活を守ってくれる「イヌマキ」
一方、イヌマキはこんな感じ。
マキ科マキ属の常緑針葉高木で、分布は日本及び台湾など暖かい地域。名前にある「イヌ」は「似て非なるもの」という意味からきています。
「真木」と呼ばれ、良材とされた杉、檜に対して、「イヌ」と名付けられたとも、「本槇」と呼ぶコウヤマキに対して「イヌ」と名付けられたとも言われているようです。
樹姿は少し崩れた卵型。成長の遅い樹木ですが、刈り込みに耐えるので、樹形を仕立てて庭木にしたりします。「散らし玉仕立て」や「門冠仕立て」(もんかぶりじたて)に手入れされたものは、どこかの庭園で目にしたことがあるかもしれませんね。
この他にも、防火、防煙、防潮、防風、防音の目的で生垣にする家もあるようです。木材は耐湿性が高く、シロアリに対しても抵抗性を持ちます。
開花は5~6月。雌株の花が暗紫色に熟した果托(かたく)になると、食べることができます。ただし、先端の緑の種子には毒があり、お腹を壊してしまうので注意が必要です。
コウヤマキとは科から異なる別の植物で、十分役に立っているのにもかかわらず、「似ているけれど違っていて役に立たない」という意味の「イヌ」という名前をつけられているのは、何とも気の毒な話です。
でも、これを槇寿郎さんに重ねてみると…
槇寿郎さんは、炭治郎に宛てた手紙で「杏寿郎も千寿郎も立派な子だ」という部分で、「瑠火の…母親の血が濃いのだろう」(第10巻 81話)と言っていますが、これは槇寿郎さんは直系の出身ではないということなのかな。
けれど、第20巻 178話、第21巻 187話に出てくる煉獄家のご先祖様や、煉獄さんや千寿郎くんと同じ外見をしているわけです。槇寿郎さんは分家か何かの出身だったのでしょうか。
似ているけれど、違う。こういう点がイヌマキと言えるのかもしれませんね。
さらにイヌマキのライフサイクルをよく見ると、やはり槇寿郎さんに重なるところがあるみたいなんですよね…。
イヌマキと槇寿郎さんの絶妙な関係
イヌマキは神社などにも植えられることが多いため、意外と身近な樹木になるようで、「ニンギョウノキ」とか「コケシノミ」と呼ぶ地域もあります。
その理由は雌株になる木の実の形にあって、上の図のような感じで独特の色と形をしているのです。
イヌマキの変種に少し小型のラカンマキがありますが、「羅漢」の名前は、種子と花托の部分がどこか手を合わせた人の姿に似ているところから名付けられています。
素戔嗚命の話が生まれたころは、日本に仏教はまだ伝わっていなかったと思いますが、イヌマキの実は小さな子供が手足を縮めて丸くなっている様子にも似ているので、昔の人が見て、人の生死に関わる特別な木に見えたとしても不思議はないですよね。
ともあれ、昔の子どもはこの実を使って、人形や独楽、おはじき、そしてヤジロベエなどをつくって遊んでいたようです。
ヤジロベエ ──
そういえば、煉獄さんの夢の中や、炭治郎と初めて会ったときの槇寿郎さんは、まるでバランスを崩したヤジロベエみたいでした(汗)(第7巻 55話、第8巻 68話)
ヤジロベエは支点の下に重心があれば、多少傾いてもバランスを保って自立していますが、支点の上に重心があると、バランスを保つことができずに倒れてしまいます。
槇寿郎さんの炎柱引退は、炭治郎に宛てた手紙でもいろいろ理由が書かれていますが、日々の小さな積み重ねに何か大きな出来事が重なって、ヤジロベエの重心を崩してしまったということになりそうです。
ちなみに、イヌマキの花言葉は「慈悲」と「色褪せぬ恋」。
なんだか瑠火さんのことに重なっていきそうなワードです。いつまでも鮮明で色褪せることがないために、いつまでもこだわって、うずくまってしまったのでしょうか。
花言葉まで何とも切なくて、槇寿郎さんにぴったりですよね。
ただ、「源氏物語」に出てくる怨霊を手掛かりに見ていくと、槇寿郎さんの「槇」は炭治郎へつながっていく鍵にもなっていそうです。よかったらこちらの記事も覗いてみてくださいね。